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私自身SFファンなので、昔よくSFを見ていたのですが、最近のSFは暗い未来像ばかりのような気がするのですが、皆さん(特にSFファンの方)はどう思われているのでしょうか。
最近見たSFで明るい人類の未来を描いていて面白かったと思ったのはスタートレックの新作だけですが、これとて暗い未来像のSFばかりのなかで、やっと少しはマシな未来像の映画だったからです。
伝統的なトレッキーとしてみれば(一応新スタートレックやボイジャーのファンです。)、この作品はやや異質で過去のスタートレックにはやはり及ばないと思います。
SFとは現在の人々の思い描く未来へのイメージが多かれ少なかれ反映しているのだと考えますが、暗い未来像のSFが多いのは、人々の思い描く人類の未来像に希望や明るい側面が少なくなり、暗い側面ばかりに目がいくようになっているからでしょうか。
取り留めのない質問になってしまいましたが、皆さんどうお考えでしょうか。ご意見のほどお願いします。

A 回答 (2件)

 30年来のSF小説&映画ファンですが・・・スタートレックだけはもっと古くて第一期の日本放映オンタイム世代ですね。

今見ると笑っちゃうほど化粧の濃いカーク船長とスポックが出てないと、なんかスタートレックって感じがしません。(スキンヘッド艦長と顔色の悪いナビゲータでさえ、どうにも馴染めません。)

>最近のSFは暗い未来像ばかりのような気がするのですが、

 どういう面で『暗い』とお考えなのか、具体的なところが今一つ判りませんが・・・とりあえず『現代社会が抱える問題が、そのまま未来に反映されている』『ナニをどう頑張っても、人類は必ず衰退し、やがて滅ぶ』といった辺りを称して『暗い』と指摘されているなら・・・

 未来をテッテー的に暗く汚く、現代の世界の延長線上として捕えたSF映画は『ブレードランナー』が最初なんではないかと思われますが、元々原作者のフィリップ・K・ディックの小説が、どれも明るい未来を描いて見せてはいないんですよね。

>SFとは現在の人々の思い描く未来へのイメージが多かれ少なかれ反映しているのだと考えますが、暗い未来像のSFが多いのは、人々の思い描く人類の未来像に希望や明るい側面が少なくなり、暗い側面ばかりに目がいくようになっているからでしょうか。

 すごく鋭い洞察ですね。ワタシ思うに、こう言った暗いSF映画や小説がやたらとあるのは、『リアリティを追及した結果』なんではないか、と。
 勿論ディック自身はリアリティなど追及していた素振りはありませんが・・・結果論として我々『受け手側』の多くが、ディックが描いた様な『悲惨で閉塞感が強く、迷走した未来』にモーレツなリアリティを感じているということなんでしょう。

 科学技術の進歩と、人類を含む知的生命体が持つ哲学面・心理学面或いは宗教面での『暗部』からの脱却(それを以てして知的進化、と言ってもいいかもしれません)とは、そもそも関係がありません。未来だから、超技術があるから、宇宙は皆兄弟であり、お互いを尊重し、誰もが平等で、話し合いでなんでも解決出来、そして人類は未来永劫繁栄する、とはならないでしょう。

 ところで。
 『最近のSFは暗い未来像ばかりのような気がするのですが』と指摘されていますが、明るい未来のSFってそんなにありましたっけ?自分が知る限り、そんな『お子さまアニメ』みたいな話の方が少数派の様な気がしますが。
 元々SF小説は、ジュール・ベルヌの時代から教訓めいた話が多く、(暗い未来というワケではありませんが)読後の後味が決して良いものばかりではありません。(J・P・ホーガン辺りならいつも明るく大団円となりますが、それでさえ宇宙的災害によって地球が滅び、人類が絶滅寸前となる様な話もあります。)

 と考えると、SFの多くは最初から明るい未来など示唆していない様な気がします。そこにアーサー・C・クラークや前記ディックなどが、哲学的な意味や精神的な探究を持ち込んで話を更に現実的(他愛もない空想小説でもよいはずのSFが、最高にリクツっぽく暗くなる要素ですね)にしてしまった、って辺りが今日のSFを生んだんではないでしょうかねぇ・・・。
 
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。ところで、

>科学技術の進歩と、人類を含む知的生命体が持つ哲学面・心理学面或いは宗教面での『暗部』からの脱却(それを以てして知的進化、と言ってもいいかもしれません)とは、そもそも関係がありません。未来だから、超技術があるから、宇宙は皆兄弟であり、お互いを尊重し、誰もが平等で、話し合いでなんでも解決出来、そして人類は未来永劫繁栄する、とはならないでしょう。

 ですが、確かにそのとおりでしょう。ただ、人類が科学技術を進歩させてきたのは、人々の可能性がそれによりより広がるものだと認識されてきたからではないでしょうか。(そうでなければ、貴重な税金を学術研究に投入されてきたことに納税者は納得しなかったと思います。)

 しかし、結局それは外面だけで、内側や内面を人間がより深く掘り下げないと、発達した技術に振り回されるだけだということかもしれませんね。それらは哲学の仕事であり、最終的には神(神学や宗教)に行きつくのだと思います。

 という観点から視点を替えて宗教をみると、現実の宗教は見るも無残な状況ですね。日本は葬式仏教ですし、諸外国では戦争のもとになっています。SFはフィクションですが、現実の宗教がその役目を果たしていないため、哲学的な意味や精神的な探究を持ち込んだものの結局現在の現実への失望となってしまったのですかね。逆に宗教や哲学に息吹が感じられた時代に比べ人間が小粒になり、SF執筆に必要な想像力(現実の科学の研究にも必要なものです。)が枯渇していっているのかもしれませんね。
 

お礼日時:2009/07/11 00:23

 21世紀を迎え、はや一昔が経とうしています。

現在SFを書いている世代が少年少女時代に思い描いていた21世紀は、現実の科学やテクノロジー、それを支える経済がもっともっと発展していたはずです。しかし、思っていたより発展していない現実を踏まえると、なかなか未来に明るい希望が持てないのだと思います。また、漫画や想像の中で夢を膨らませていた未来像が、SFXであたかも現実のように表現できてしまうお手軽さも一役買っているように思います。SFの世界だけでなくルネッサンスような事がいずれまた起こるような予感もします。
 回答も取り留めがなく、またSFファンでもありません。失礼しました。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。しかし、明るい未来がくると良い1ですね。

お礼日時:2009/07/11 00:01

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