プロが教えるわが家の防犯対策術!

その団体名を聞くと、好意的なイメージよりもいかがわしいイメージを持つ人の方が多い宗教団体があるとします(仏教系)

そのように世間的にはマイナスイメージの方が強いという実情に対して、

●「正しい教えを実践すれば誹謗されるのは当然」と開き直る

●マイナスイメージに対して真摯に反省しようとする

上記のどちらの態度をお釈迦様は望むでしょうか?
感じることを教えて下さい。

A 回答 (11件中1~10件)

反省するべきです。


真面目な信者さんと、狂信的な信者は違います。
人のイヤがることというのは、その人によって違うとは思いますが、人間関係の中で、許されない非常識なことに関しては、団体を相手にしても、それを諌め、会員同士で話し合ってより良い方法に変えていくべきだと思います。
仏、仏と言っても、言いなりになるのは愚かです。
自分自身が社会においてどう生きていくのかは、自身で選択していくのです。
人間あっての宗教です。
どうしても、どうあがいても教義と常識がぶつかり合ってしまうような宗教は、宗教とは呼べないのですから、信仰者はすべて、自分の、または団体の行動に、注意を払いながら信仰するべきです。
その中で、どう人と関わり、信仰を勧めていくのかは、とても難しい問題です。

以上、創価学会員の意見でした。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

有難うございます。

>仏、仏と言っても、言いなりになるのは愚かです。
>自分自身が社会においてどう生きていくのかは、自身で選択していくのです。
>人間あっての宗教です。

同感です。

>許されない非常識なことに関しては、団体を相手にしても、それを諌め、
>会員同士で話し合ってより良い方法に変えていくべきだと思います。

全くその通りです。
宗教者と言っても、神や仏ではない修行者の集団に過ぎないのですから、少なからず間違いを犯す可能性があるということを認識していなければいけないと思うのです。
その時の判断の基準として、世間一般のイメージ・評判は真摯に受け止めることが必要なはずです。
それを、ちょっとでも悪評がたつと、
「ねたみがあるからだ!
今の世の中は荒んでいるからだ!
法難があるのは当然!
評判などは気にせず、ひたすら正しい教えを実践するのみ!」
などと、自分達の非については想像を巡らすこともせずに、マイナスイメージを持つ世間に対して対立姿勢のみを示すようなことは、狂信以外のなにものでもないと思えます。
が、事実、そのような精神の信者は多いです(特に新興宗教に)。私の身近にもそういう人がいて、
「世間のイメージなど気にする必要なし!!
○○様も必ず法難があると言っておられるのだ!!」
などと、「法難」という言葉を錦の御旗のようにして自らの正当性を微塵も疑わない人がいるのですが、そんな人には貴方様の爪の垢でも煎じて飲ませたいと思ってしまいます。

何らかの教えを信じることは結構なことだと思います。
が、それを絶対視して、
その教え自体を、
教えを元に作られたシステムを、
疑うことを放棄した信者は、
ただのロボットに過ぎないでしょう。

お礼日時:2003/04/14 13:21

それではあなたのおしゃっている宗教団体は創価学会ではないのですね。


#8の回答の方の聖教新聞の引用に「オウムも機関紙上で同様なことを主張していました」という発言を見ると明らかだと思いましたが、間違っていたのなら申し訳ありません。

ではその宗教団体というのは、真如苑ですか顕正会ですかそれとも他の団体ですか。さしつかえなければ教えてください。

この回答への補足

お答え頂けないようですね。
いろいろ事情がおありなのでしょうが、非常に残念でした。

正しいことを実践すれば「法難」は当然でしょうから、
世間の評判などは一切気にすることなく頑張って下さい!!

補足日時:2003/04/14 13:25
    • good
    • 0
この回答へのお礼

有難うございます。

>それではあなたのおしゃっている宗教団体は創価学会ではないのですね。

創価学会を特定しているわけではありません。が、創価学会が世間的にマイナスイメージが強い団体であるなら、創価学会も含まれることになると思います。ただ私自身は創価学会のことはよく知りませんので。

>#8の回答の方の聖教新聞の引用に「オウムも機関紙上で同様なことを主張して
>いました」という発言を見ると明らかだと思いましたが、

両者が同様な事件を起こしているとは申していないと思いますが。

>ではその宗教団体というのは、真如苑ですか顕正会ですかそれとも他の団体ですか。

質問文に明記されているように
「世間的にはマイナスイメージの方が強いという実情の宗教団体」
このような状態にある団体全てを含んでいます。特定の1つの団体を指しているのではありません。


ところで、#9で質問させて頂いた以下のことですが。

>>オウムに関して申し上げたことは、
>>「一般の人からマイナスイメージを持たれることを一切顧みずに(反省せずに)、
>>正しいと信じた教えを盲目的に実践し続けたことが、あのような惨事を
>>引き起こしてしまった大きな要因になっているのではないか」
>>ということですが、この私の認識は間違っていると思われますか?

この問いかけは、ここで提起した質問の根幹とも思えます。もちろん無理にとは申しませんが、お答え頂けますと大変参考になるのですが。

お礼日時:2003/04/13 13:11

オウムと同じ、オウムと同じとオウムのように繰り返していますね。



オウム真理教と同じだと思われるのなら、マスコミでも、警察でも、役所でもいいですけど、創価学会はオウム真理教のように危ない集団だと投書でも告発でもなさったらどうですか。

まあ、相手にするのは、あの名誉毀損裁判連続敗訴で有名な「週刊新潮」をはじめとする一部週刊誌ぐらいでしょうけど。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

有難うございます。

>オウムと同じ、オウムと同じとオウムのように繰り返していますね。

はっ? 私は創価学会がオウムと同じだなどとは、ただの一度も申していないと思いますが。
そもそも、「創価学会」という言葉さえ今ここで初めて用いておりますが。
創価学会は世間的にマイナスイメージの強い宗教団体なのですか?
オウムに関して申し上げたことは、
「一般の人からマイナスイメージを持たれることを一切顧みずに(反省せずに)、正しいと信じた教えを盲目的に実践し続けたことが、あのような惨事を引き起こしてしまった大きな要因になっているのではないか」
ということですが、この私の認識は間違っていると思われますか?

お礼日時:2003/04/13 02:07

『糞を集めて栴檀(せんだん)』と(日蓮大聖人御書311ページ) 日蓮大聖人さまは偽善のデマを喝破されました。

糞を固めて香木の栴檀のようにみせかけても焼けば悪臭を放ちすぐに正体がわかる。デマはどこまでもデマだ。
~悪臭を放つデマ…。。連中よ、その腐りきったペンをさっさと折れ!!これが社会の声である。

『聖教新聞2003年4月12日号第5ページより引用』

この回答への補足

他の回答の中で「私は創価学会の方を評価します」と述べられているようですが、貴方自身が創価学会員なのですね。
そうでなければ、日蓮大聖人御書や聖教新聞などは手元にないでしょうから(笑)

補足日時:2003/04/14 13:22
    • good
    • 0
この回答へのお礼

有難うございます。

>~悪臭を放つデマ…。。連中よ、その腐りきったペンをさっさと折れ!!これが社会の声である。
>『聖教新聞2003年4月12日号第5ページより引用』

オウム真理教も諸々の事件の疑いがもたれていた頃には、機関紙上で同様のことを主張していました。

お礼日時:2003/04/12 13:10

「猶多怨嫉況滅度後」(ゆたおんしつきょうめつどご)


という釈尊の言葉をご存知でしょうか。

「猶(なお)怨嫉多し。況(いわ)んや滅度の後をや」と読む。法華経法師品第十の文。釈尊の在世においてすら怨嫉(あだみ・ねたみ)が多いのだから、まして仏の滅後に法華経を弘める者はより多くの怨嫉を受け、大難にあうのは当然であるということ。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

有難うございます。

>まして仏の滅後に法華経を弘める者はより多くの怨嫉を受け、大難にあうのは当然であるということ。

真面目に生活している多くの一般の人々から如何わしいイメージをもたれている宗教団体は、なぜそのようなイメージが形成されているのか、真摯に顧みる必要は全くないということなんでしょうか?

>「猶多怨嫉況滅度後」(ゆたおんしつきょうめつどご)
>という釈尊の言葉をご存知でしょうか。

釈尊の言葉と言われても、釈尊自身は書物を残していなかっと思われます。
法華経は釈迦入滅後何百年も経た後に成立されていることは御存知でしょうか。
釈迦の真の教えが反映されてないことも有り得ると思いますが。

>大難にあうのは当然であるということ。

オウム真理教もそんなことを言ってましたね。
火のないところに煙は立たないのではないでしょうか?
よくないイメージに対しては真摯に反省する姿勢があれば、オウム真理教もあのような事件を引き起こさなかったような気もします。
よくないイメージに対して、
>多くの怨嫉を受け、大難にあうのは当然であるということ。
といって、反省することが全くなかっとしたら、私はその宗教団体に非常に危険なものを感じてしまいます。

お礼日時:2003/04/12 13:05

浄土真宗の信者です。


まず、「釈迦の教え」とは何だったでしょうか?
王子として生まれ、何不自由なく育ったゴータマ・シッダールタは
貧しい人たちが巷に溢れるのを目撃し、王族の身分を捨ててまで
彼らを救うため修行に身を投じたのではなかったのですか。
「教え」は目的にすぎません。
「民を救済する」ことを第一に考えれば答えは明らかでしょう。

また、浄土真宗中興の祖・蓮如は、比叡山延暦寺の衆徒に追われた後
布教の座を北陸に移し、そこで多くの信徒に慕われました。
そこがあなたがたを必要としないのならば、救いを求める人々を
そちらから探しに行かれるのが筋かと存じます。

また、地元に受け入れられない理由(高額なお布施、押し売りなど)が明らかならば、
それは宗教とは呼べませんので、それを改めることから始めなければなりません。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

有難うございます。

>地元に受け入れられない理由(高額なお布施、押し売りなど)が明らかならば、
>それは宗教とは呼べませんので、

「高額なお布施」で幹部連中が私腹を肥やしたり立派な会館を作りまくったりしているような宗教団体は、宗教とは呼べないということですね。

お礼日時:2003/04/12 12:28

>反省することは全く必要ないというお考えですか?


>それに、「反省」は大切なことだとお釈迦様は言われ>てないでしょうか?

お釈迦様が反省しなさいと教えてるならば、その
教えに従えばいいのでしょう。
そう教えてないならば、反省という教えを行う必要は
ないはずです。
私は、具体的にどのような教えがお釈迦様の教えであるかは
知りません。
質問内容にある正しい教えを実践すればという内容に
答えたまでです。
本当にお釈迦様の教えのみ実践しているのならば、
ほかに何をすべきなのでしょうか?
違う教えが必要なんでしょうか?

>お釈迦様が言われたことを実践しているつもりでも、>言われたことを曲解していることもあり得ると思うの>ですが。

お釈迦様の教えどおりできてるかどうかは常に反省する
必要はあると思います。教えどおりできてなかったら、
お釈迦様が望まれた結果には ならないでしょう。

私自身は、お釈迦様が望まれようが、望まれまいが
関係ないと思ってます。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

有難うございます。

>質問内容にある正しい教えを実践すればという内容に答えたまでです。

『●「正しい教えを実践すれば誹謗されるのは当然」と開き直る』という一文から、質問内容にある「正しい教え」は宗教団体側の主観であることがお分かりになると思います。
「正しい教え」というものは、物理の法則のように絶対的な基準で規定できるものではないと思っています。
ゆえに、「正しい教え」を実践していると思っていても地下鉄サリン事件のようなことも起こってしまうわけですので、世間からの評価を無視することは危険ではないかと思えているところです。

>本当にお釈迦様の教えのみ実践しているのならば、
>ほかに何をすべきなのでしょうか?
>違う教えが必要なんでしょうか?

お釈迦様自身でない限り、お釈迦様の教えを100%理解することは不可能と感じますので、「お釈迦様の教えさえ実践すればよい!」という態度で、他を一切無視するような姿勢はいかがなものかと思えているところです。

お礼日時:2003/04/11 17:17

なぜその団体(複数?)は「いかがわしい」と思われるようになったのでしょうか。

 宗派など関係なく「人間として」見た場合に「おかしなこと」を正しいとしているのではないでしょうか?

お釈迦様も他の神様も おそらく「人間として正しいこと」は同じことを説いておられると思うのですが、団体に所属することは意味があるのでしょうか・・。

お釈迦様は「団体」に所属することを勧めているのでしょうか?? もっと原始的なところまで戻って考えたほうが良くないですか?

私も無宗教です。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

有難うございます。

>宗派など関係なく「人間として」見た場合に「おかしなこと」を正しいとしているのではないでしょうか?

「正しいことの実践に誹謗はつきものだ!」という反省を一切しない態度では、「おかしなこと」に気がつかないことがあるかも知れないですね。

>お釈迦様は「団体」に所属することを勧めているのでしょうか??

勧めているかどうかは不明ですが、同じ思想を持った人が寄り集まってそれを実践しようとすることは、特に禁じているとも思えないですが。

お礼日時:2003/04/11 16:36

お釈迦さまがどう望まれるか、というのは


とても私ごときの口から語ってよいものとも思いませんが(笑)、
どちらかといえば、
「マイナスイメージに対して真摯に反省」すべきではないでしょうか。

というのは、仏教そのものについては、
「好意的なイメージよりもいかがわしいイメージを持つ人が多い」宗教ではないと思うのです。
(少なくとも日本では)
それなのに、その新興宗教は、仏教系であるにもかかわらず、
何らかのマイナスイメージをもたれているわけですから、
それには何らかの理由があるはずです。

本当にそれが、何の根拠もない誹謗中傷なのであれば、
それを世間に知ってもらうため努力すべきですし、
事実に基づくものなのであれば、
改善できるものは改善し、できるだけの努力をすべきだと思いますが。

感じるままに答えてみました(^^;
ちなみに私は、とくにこれといった宗教を持たない者です。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

有難うございます。

>というのは、仏教そのものについては、
>「好意的なイメージよりもいかがわしいイメージを
>持つ人が多い」宗教ではないと思うのです。
>(少なくとも日本では)

私もそう感じています。

>それなのに、その新興宗教は、仏教系であるにもかかわらず、
>何らかのマイナスイメージをもたれているわけですから、
>それには何らかの理由があるはずです。

そうですね。「何らかの理由」をどうしても感じてしまいますね。

>本当にそれが、何の根拠もない誹謗中傷なのであれば、
>それを世間に知ってもらうため努力すべきですし、
>事実に基づくものなのであれば、
>改善できるものは改善し、できるだけの努力をすべきだと思いますが

マイナスイメージについて謙虚に検証する姿勢が大切ということですね。
お釈迦様も「反省」を実践するように言われていたと思いますので、
「正しいことを実践すれば誹謗されて当然!!」
と開き直るような態度は、お釈迦様は嘆き悲しむのではと思えてきました。

>ちなみに私は、とくにこれといった宗教を持たない者です。

下手な新興宗教の信者さんよりも、よほどお釈迦様の意向を理解されているように感じてしまいました(笑)

お礼日時:2003/04/11 16:15

当然、お釈迦様は自らの考えや教えが全て正しい、幸福へと導くと思われて宗教として広めようと思ったのだと思いますよ。



もちろん、個人の意見ですからある人には誹謗され、またある人には賛同されることもあるでしょう。ですが、誹謗されたから教えと違うことをすればお釈迦様の意に背いたことになります。ただ、開き直るという言い方よりもそっと教えに従っていけばいいのだと思いますよ。

そもそも新興宗教なんて人間の欲望で興されたものだと思っています。訳の分からない壺や掛け軸、寄付そんなものはお釈迦様やイエス・キリストも望んでいなかったのではないでしょうか?少なくともお釈迦様にしてもキリストにしても商売を通じて宗教を広めるようなことはして欲しくなかったと感じていると思います。

ちなみに私は無宗教です。ただ、人間の欲の塊のような宗教が多いので意見させていただきました。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

有難うございます。

>もちろん、個人の意見ですからある人には誹謗され、またある人には賛同されることもあるでしょう。

そうだと思いますが、その宗教団体に対してマイナスイメージの方が遥かに多いという状況においては、その宗教団体が何かを取り違えている可能性もあるような気がするのですが。
そのあたりを謙虚に振り返る姿勢も必要な気がするのですが。

>訳の分からない壺や掛け軸、寄付そんなものはお釈迦様やイエス・キリストも望んでいなかったのではないでしょうか?

偶像崇拝はいかがわしいというお考えですね。曼荼羅のようなものも含まれるのでしょうね。
「寄付」を集めて立派な会館を作るようなことも望んでいなかったということでしょうかね。

>ただ、人間の欲の塊のような宗教が多いので意見させていただきました。

末端の信者が、上層部の「欲の塊」を満たすための駒に過ぎないという団体もあるということでしょうかね。

お礼日時:2003/04/11 16:00

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!