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こんにちは。親しい友人や異性に、
「もっと自分のこといろいろ話してほしい」とか「肝心なこと、核心的なことをいつも話してくれない」と、言われます。
「心を開いてくれない人」と思われているみたいです。

私は別に心を閉ざしているつもりはなく、親しい人には態度で
好意を伝えているつもりだし、親切にしますし、相談にも
のるし、相手が困っていたら自分のできる範囲で手助けします。
ただ、自分の抱えている悩みを人に話すのが苦手な性格で、
どうしても辛いときは、身近な人ではなくて専門家に頼っています。

そういう私の態度が、親しい人たちからみると「心を開いてない」と
思われるみたいです。
でも、それの何がいけないんだろう?と私は思います。
人は価値観も考え方も感じ方も全く違う、どんなに親しい人だから
って、悩みを相談してわかってもらえる、解決するわけではないと
思うんです。自分の問題を解決するのは最終的には自分。
人には誰だって、言いたくないことや人には知られたくないことが
ありますよね。そういうことを、どうして話さないといけないのか。
「もっと心を開かないと、本当にいい関係なんて築けないよ」
と友人に説教されました。
けど、私は、どんなに親しい人だとしても、相談してもいないのに、
自分の内面のことをいろいろ詮索されたり、聞かれたり
するのがとても苦痛です。自分の心の領域に土足で踏み込むな!と
怒りたくなってしまいます。

私の態度は「心を開いてない」ことになるのですか?
友人の言うとおり、「心を開かなきゃ本当に人と仲よくなれない」
のですか?
そもそも、心を開くっていうのはどういうことなのですか?
言いたくないことでも人に話すこと?隠してる自分の内面をさらけだす
こと?
私には「心を開く」の意味がわかりません・・・。

A 回答 (9件)

心を開かないのは別に悪い事じゃありませんよ(笑)。


それは個人の自由です。

でも…
ただ…心を開かなければ人付き合いにおいて少しばかり…或いは時によってはかなり貴方自身が損をするかもしれないというだけの事です。

貴方のご友人は言い方は“それじゃダメだ”と言ってるのかもしれませんが、それは貴方に怒っているわけでも非難してるワケでもなく、ただその事を貴方に“忠告”や“警告”をしてくれているだけなのです。


“心を開く”というのがどういう事かを理解するには逆に“心を開いてない”と感じるのはどういう事かを考えれば少し判りやすくなります。

つまり…“アナタ自身は”その相手の人を信頼してるのかもしれません。
でも『相手は』アナタに信頼されているというのを“しっかりと実感できていない”という事なのです。


こう言えば少しは判るかもしれません。

相手は貴方に相談もし、自分が何が好きで何がキライかも話している。
そうやって貴方に心のうちを話していますよね…
もちろん貴方はそれを聞いているわけですし、その中で助けられる事を助けてあげたりもしています。

それはどういう事かというと…、
もしかしたら貴方にバカにされるかもしれない、貴方に笑われ他人に言いふらされるかもしれない、貴方に自分の正直な気持ち(心)をメチャクチャに踏みつけられ傷つけられるかもしれない、そういったリスクや恐怖を“大丈夫、goodness22さんならそんな事はしない”と自分に言い聞かせ『貴方を信じて』その恐怖を乗り越えて貴方に話してくれている…という事なのです。

心を開いてるかどうかは“家”で説明するとわかりやすいです。

つまり…
相手は、貴方との付き合いの中で自分の心にある『家の中』にまで“貴方を信用して”入れてくれているのです。

いくらその友人であってもむやみやたらに他人を家の中には入れないものです。 
信頼できない相手をその家に入れるとあざ笑うかもしれないし汚すかもしれないしメチャクチャにするかもしれないし、何か触れて欲しくないものに触れるかもしれず開けて欲しくない扉を勝手に開けるかもしれないからです。

なのに相手の人は貴方に対してその大事な自分の家の中を、その触れたくない開けてほしくない扉を勝手に開ける事はないと貴方を信じ、決して嘲笑することは無いはずだと『貴方を信頼して』貴方にはその家の中へ入っていいと言い、その家の中に貴方を入れて“私の家はこんなのよ”と見せながらそこで貴方と話をしているのです。

でも、貴方の方は“私も信用しているよ”“親切にもしてるじゃない”“困った時は助けてるじゃない”と言いながら決してそんな相手にさえ自分の家の中には入れようとはしないのです。

『なんで他人を自分の家に入れなきゃいけないんだ』と言い…。
『見られたくないものもあるじゃない』
『触られたくないものもあるんだから』と言って…。

たとえ貴方を自分の家の中にまで入れてくれたそんな相手にさえ貴方は自分の家には決して入れる事を許さないのです。

その条件は相手も同じで、だけど相手は貴方を家に入れてくれたのに…
貴方の方は“家の中に他人を入れたら絶対にロクな事にはならない”と…
自分を家に招いてくれたその人にさえ思い…それを決して許さないのです。

ただ触れられたくない所があるなら…ただ開けて欲しくない扉があるなら『そこはあけないでね』『そっちには行かないでね』と言えばいいだけかもしれないのに…
決して相手を信用せず…家にはあげてくれないのです。
たとえ自分の方はを家に入れてもらえたそんな相手でさえ…。

もちろん大事をとって誰であろうと家に入れないって事は悪い事じゃありません。
家に入れてあげるか入れてあげないかは貴方の自由です。
下手に相手を信用して家にあげてしまって傷ついてしまうのは貴方自身なのですから。 だからこそ貴方の自由にすればいい。

でも…
“相手は”…貴方が持っているものと同じその恐怖も不安も乗り越え、そのリスクあるのを判った上で…
貴方を家に入れてくれていたのです。その事実は変わりません。

もちろん『それは相手が勝手に中に入れって言っただけだ!』『別に私が相手の家に入るのを望んだわけじゃない!』と言っても別に悪い事ではありません。
その通りかもしれないですし…。

ただ、自分は貴方を信用して家の中に入れてあげたのに貴方の方は入れてくれなかった事で“相手はどう感じるか”というのがあるだけ…。

きっと、“なんだ私は信頼されてないんだ…”という大きな落胆もあり、そして悲しくも寂しくも感じたりするでしょう。

その関係で『本当に人と仲良くなれるか?』を考えれば…自ずと答えは出てくるかと思います。

心を開くという事はつまり…“相手を信頼する”という事なのです。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
とても、わかりやすく、参考になりました。
心を開くというのは、相手を信頼する、ということなのですね。
この人になら、話しても傷つく心配がないだろう、という安心感を
もつことでしょうか。

お礼日時:2009/09/12 22:00

レスありがとうございます。



驚かせてしまったら申し訳ありません。そんなことが目的ではありません。
「貴方様はきっとこんな方なのかな」という前提をまず確立しなければ、
「貴方様は特に欠点を治すとかではなく、まずはご自身をありのままに受け入れて良いと思いますよ」と。
そう申し上げる言葉に何ら説得力が無くなってしまいます。

ご自身が「私は変わった方がいいのだろうか? いや、そんなことはないはずだ」
とお思いになっておられる。そして私も又、それに賛同を感じている。そういうことになると思います。
迷うことなく、ありのままのご自身をまずしっかりと受け入れることが宜しいと思うのです。

今の日本はどうも、「明るくなくてはいけない」というような風潮が蔓延していると思うのです。
若い女性なら、キャピキャピしたような明るさがあるのが普通だ、というような…。
かといって決して、貴方様が暗いと申し上げているのではありません。
ただキャピキャピしたある種の軽薄さのようなものは、あまり見せない方なのかな、と。
だとしたですが、だとしたら、それはそれで良いと思うのですよ。
貴方様には貴方様なりの良さがある。時代とか流行とかに惑わされないモノが、人それぞれあると思うのです。
ですから、今以上にしっかりと、ご自身でご自身を受け入れる。
そうすると、きっと何かが変わってきたりもすると思うのです。私の体験を鑑みれば。
貴方様の今後一層のご多幸をお祈り致します。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
>驚かせてしまったら申し訳ありません
いえいえ、単純にすごいなと思っただけですよ。
観察力とか、洞察力に長けた方なのかな?って。

>時代とか流行とかに惑わされないモノが、人それぞれあると思う
そうですね。自分の考えを受け入れて、
大切にしていきたいと思います。

お礼日時:2009/09/13 10:44

普段は比較的冷静で、自己完結した感じの方なのかな、とお見受けします。


クールな感じの方とでも申せば良いのでしょうか。

それは、何ら短所ではないと思うのです。
ご友人や異性の方の基準のようなものが、必ずしも的確とは言えないとも思います。
決して貴方様を変人のように言っているのではありません。
ただ、端的に言えば、やや数少ないタイプの方であろうと。
恐らくそれだけのことであろうという気がするのです。

ご友人や異性の方も、それぞれが人生経験をお持ちで、
数々の人々と出会い、その中で基準のようなものを心にお持ちだと思うのですが、
恐らくは貴方様は、たまたま、今まであまり出会ったことがないタイプの人である、と。
それだけのことであろうと。そんな意味合いです。

それでもきっと何時か、何かの出来事で、貴方様が悩んだり苦しんだりした際に、
それを解決してくれそうな対象の人が、ご友人や異性であると。
そんな場面がやってくるのではないでしょうか。
ただ貴方様の場合は、強くて優秀で冷静であるが故、その頻度が低め目なのでは、と。
しかしたとえ頻度が低くても、ゼロではないと思うのです。
ですから今は余り深刻にお考えにならず、何時かそんな時が来るだろうと。
そんなお心構えでいれば良いのではないでしょうか。
そんな機会がやって来た時、何か自然と「心を開くってこういうことか」と、
分かるのではないでしょうか。そんな気がするのです。

ただ、もしかすると今「孤独のようなもの・寂しさのようなもの」をお感じになってはいませんか。
ハッキリと孤独・寂しいというのではなく、何となく、です。
もしそんなものがあるなら、一度それを自覚されるのも良いかも知れません。
すると、そのお気持ちに沿っていけば、ちょっとした心のふれあいのようなものに、
快感をお感じになるかも知れません。
そんな展開もあるのかな、と。これも又、そんな気がする、という程度のものなのですが。

又、貴方様は芸術関係のご趣味・ご興味などは如何でしょう?
絵とか音楽とか、お好きな分野などあるでしょうか。
実はきっと、貴方様はそういう方面に長けた才能をお持ちな気がします。
もし今まで余り縁が無かったのなら、積極的に取り組んでみるのも宜しいと思うのです。

何か曖昧な回答になりましたが、参考になれば幸いです。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
回答者さんの私に関する分析はほとんど当たっているのですが・・
ちょっとびっくりしました。文面だけでわかるものなのでしょうか?

寂しいときに心が触れ合う、そうしたときに
心を開くことの価値が身に染みてわかるかもしれませんね。

お礼日時:2009/09/13 01:26

 要するにその友達は、ご近所さんの夕べの夫婦喧嘩の内情を知りたがる、近所のオバサンのような人なのでは?首を突っ込んでいい部分とダメな部分があること、そして人の事情を色々知っていることが「仲良し」の証ではないことを勘違いしてるのでは??



そういう人への対策はね、
心を開いている演技をしておけばいいのよ、わかる?
それで相手は心開いたと思うし、内情を知れば、満足するモンなの。

例えば、借金問題や浮気問題で夫婦喧嘩をしたとしても、翌朝聞かれたら、『子どもの教育方針の違いでね・・塾かスイミングか、でちょっと・・・』と言っておけば、『そうよね、そうよね、ウチなんか・・!』と、すっかりオバさん、仲良しモードが入ります(笑)。

とりあえずね、「興味がある」「嫌いじゃない相手」だからこそ、そうやって首を突っ込んでくるのだ、ということだけは、覚えておいてね。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
演技ですか。
それで、相手が満足して突っ込んでこなくなるのなら、
それも苦痛を避けるためのひとつの方法ですね。

お礼日時:2009/09/12 22:40

質問者様は、とても合理的な方だと思いますヨ。


ちょっと合理的に考えてみましょう。

そもそも「心」なんてものは、実体として無いですから、無いモノは開けないですね。

お互いに心を開いた状態と言うのは、意思疎通の量・回数が多く範囲も広範で、その結果、情報の共有が多く、更にその情報処理結果も、相互に共感出来る状態ではないかな?

だから、心を開くということは、まずは相手に情報インプットする行動でしょう。

「悩み」というのも、自分だけの情報(経験・知識)と情報処理能力(知恵)では、解決困難な問題であり、「相談」という行為は、その解析と対策に関し、他人の情報と処理能力も借用する行為でしょう。

ですから質問者様が、解析と対策を、素人では無く専門家に託すと言うのは極めて合理的な行動であり、その合理性からすれば、素人に情報インプットする手間や、そもそも自分の情報を他人に与えねばならないと言う行動にリスクを感じるのも当然だと思います。

ただ、都度専門家に託すのもめんどくさいので、一般的には、手頃なアウトソーシングを利用してるのでしょう。
それが親友などという存在では無いかな?

でもこの親友というものは、とても便利なもので、付き合いが長ければ、いちいちインプットする手間も省けるし、専門性など無い代わりに、全分野でそれなりの答えを出してくれるし、何より、普通はギブアップする様な難問でも、何とか答えを出そうとしてくれる、重宝な存在なんですヨ。

それに専門家はアドバイスはくれるけど、具体性は無いですから。
具体的には、例えば専門家が悩みを「金欠病です」と診断したとして、親友の場合「金を貸す」という治療までしてくれる可能性も有ります。
そんな打算的なコトでは無く、もっと究極は、自分の命を賭けてくれたりする存在です。

そういう存在を手に入れられる可能性が、「心を開く」にはある様に思います。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
>解析と対策を、素人では無く専門家に託す
>素人に情報インプットする手間や、そもそも自分の情報を他人に与えねばならないと言う行動にリスクを感じる
私は、こういった考え方がとても強いです。そして、「わかって
ほしい」というよりも、「解決したい」という気持ちが強いです。

お礼日時:2009/09/12 21:53

シンクロ選手じゃあるまいし、おいらは、シンクロを強要するような人とは、友人という関係にはしません。

話さないことも話せないことも、いっぱいあるものです、心の中すべてを吐きださせて、みんな知っているから友達、という相手は論外です。立場を変えて、おいらなら、大切な人であればあるほど、じっとまちますね、もし悩みがあるようなら、
聞いてあげれる準備はしておく、話したくなるまで、手を突っ込まない。触れてほしくないことなら、そっとしておく これが出来ない友人?? を友人とはいいません。君が心を開くかどうかではなくてね、感じ取ってくれるかどうか 君にそんな友人が現れることを祈る。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
触れてほしくないことはそっとしておいてほしいですね。同感です。
自然に話したくなるまで待っていてくれる、そんな人間関係が
心地よく感じます。

お礼日時:2009/09/12 21:56

質問者さんには申し訳ないんですが、ご友人の方々に意見に同意です。


自分の友人にも同じタイプの人がいるので・・・

ご友人の方々も心の領域に土足で踏み込んだり余計な詮索をしたい訳ではないと思います。
自分の方ばかり相談にのって貰っていたりするのが心苦しいというか、たまには自分も頼りにされたいというか、せめて愚痴くらい言ってくれればよいのにというか、質問者さんが感じている事や考えている事を知りたいというか・・・・要は話をしてもらえない事を寂しいと感じてるのだと思います。
「信頼」はされてないのかなぁ~と感じるのではないかと思います。

性格的なものもありますし、話したくない事を無理に話せす必要はないと思います。
もちろん質問者さんのスタンスが悪い訳でもないです。
単なる友人としての我侭です。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
友人の気持ちは、回答者さんの言ってるとおりの気持ちなんだと
思います。私が自分の核心的な悩みを話さないので、寂しいと
感じてるんでしょう。軽い愚痴や甘えることは、あるんです。
ただ、「一番大事なところでは何も言ってくれない」ということが
不満なんでしょうね。

お礼日時:2009/09/12 21:49

いいえ、そんなことないですよ。


現にこうやって大多数の人に自分の悩みを打ち明けているわけですよね?。
心を開いていないわけじゃないですよ。

友人さんは友人さんなりの「常識」みたいなのがあって、それからいうと「まだ開いてない」と思うんでしょうね。
「情報が足りないよ、わからないよ」と言いたいんだと思うんです。
また「核心に近づきたいのに、中に入れてくれない」ということでジレンマもあるんでしょう。

しかし、あなたが仰るとおりで「他人に知らせたくないこと」は無理に知らせなくてもいいんですよ。
心の扉が完全に開かないならば、開いてくれるまで待つ…これが基本ですから。
ただ、何か悩み事がある場合、どうしても解決が遅くなったりする可能性もあるんですよね。
そこらへんの「加減」をどうするかで、そこのところは、あなた自身が決めればいいことだと思いますよ。

「人が人をわかる」というのは、難しいです。
しかし時には「言葉に出さなくても」わかりあえる人も存在します。
不思議なことですが、そういう人もたまにいるんですね。
まるっきり心を閉ざしているのでなければ大丈夫ですから、あまり気にしないで。
友人がいるということは、それだけで素晴らしいことです。
無理に「かたち」をきめた、お付き合いをしなくてもいいじゃないですか?。
自然に仲良く過ごしていけるなら、それが一番です。
そうなれるといいですね。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
他人に知られたくないことは、無理して知らせなくっても
いいんですよね。安心しました。
言葉に出さなくてもわかりあえる人、そんな人に側にいてほしいです。

お礼日時:2009/09/12 21:45

質問者様は間違っていないと思います。

あなたは正しい。
他人のいろんな事情や秘密を、むやみに聞きたがるご友人のほうがどうかと思います。
そうした内緒話を話すことによって、それをだれかれかまわず言いふらす自称「親友」も、たくさんいます。
返って人間関係が壊れるだけですから、話したくないこと、他人に言うべきでないことは、話さないのが正解だと思います。
詮索好きのご友人には、くれぐれも注意されるべきだと思います。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
言いふらされる、のは怖いですね・・気をつけます。

お礼日時:2009/09/12 21:43

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