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「愛」という表現がありますが、これは実際のところ何に対しての表現なのでしょうか。
生存本能や快楽追及(心理的な環境に対する改善欲?)を総まとめにした詩的表現でしょうか。
親和欲求でしょうか。
それとも、単体で存在する何かを「愛」と仮定しているのでしょうか。

私は、「神は死んだ」という表現があるように、いずれ「愛は死んだ」と言われる時代が来ると思います。
(けれど、現在でも神を信仰する人の他に無宗教者でも都合のよい時だけ神にお祈りし「神」を捨て切れない人がたくさんいるように、もしくはそれ以上に、「愛」が死んだ後も「愛」は生き続ける)

皆さんはどのような認識をお持ちなのでしょうか。




教養無く、思索にも乏しいため質問自体やお礼文がナンセンスであれば早期の終了も考えております。
その場合、ご指摘・ダメ出しいただけると助かります。

A 回答 (56件中51~56件)

第一感で申し訳ありませんが――。



英語のコーナーで質問しようと思ってちょっと立ち寄ってみて、目が釘付けになり、こうして書いています。

「神が死んだ」ように「愛が死んだ」と言われる時代がくるのでは――

ちょっと衝撃的な表現です。新鮮でさえあります。

ちなみに、30分ほどまえ、わがやの玄関さきに、キリスト教の方が信仰を「勧誘?」にきたばかりで、うちは「儒教」で足りていると言うと、意外とあっさり引き返していきました。わたしには本心から「唯一神」を信じるきることはできないと思われのですが、逆にキリスト教徒の方にはどこか無理がないか、空虚さはないか、神よりもまず親や子が大事なのではないかと聞いてみたい。

「愛」は外来(西洋)の概念だと思います。
しかも、たぶんキリスト教が支配的になってからのもので、たとえばアリストテレスの『ニコマコス倫理学』では「愛」の占める位置はなかったと記憶します。「友情(friendship)」は「徳」として重視されますが、「~を愛する(フィレイン)」はたんなる動詞表現であり、「徳」にまで高められていません。「愛」なんて眼中にないって感じです(誤っていたらごめんなさい)(ギリシャ人に愛なんて似合わないとわたしは思っているものですから)。

質問者さまが「愛」は何を表現したものかと言われるのは、よく考えてみれば、「日本人」としてふつうの感覚ではないでしょうか。生物学的な方向で理解しようとなさるのも無理ないと思われます。
ようするに実体なき概念のようにとっているものと思われますが、そうすると、そんな概念はほおっておけばよいところを、「愛は死んだ」と言われる時代がくると思うと述べるその真意がはかりかねるのですが、そう言いたくなる感じもよく分かります。

「愛が死んだ」と言われる時代を思考実験すると、どうなるかなんだと思われます。
「世界が愛で満たされれば、愛は死ぬ」かもしれせん。
「愛の代わりになるものが見つかれば、愛は死ぬ」かもしれません。
とすれば、わたしの生きている時代にはまず「愛は死なない」でしょうね。遺伝子工学そのたの技術で、たとえば自分の体が死んだのちも、「意識」だけは存続できて、世界を見つづけることが、たとえばできるとすれば、あるいは「愛」は自然消滅していくかもしれません。だが「意識」はなぜ「生きている」必要があるのか、そもそも「無ではなく有である」のはなぜかと、とりとめもなく問いはつづきます。

ちなみに、わたしが英語のコーナーで質問したかったのは、

May God bless you

のような祈願文では、なぜ「may」なのか、「might」ではいけないか、というものでした。
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この回答へのお礼

まず申しておかなくてはならないのは、私は回答者さんほど考えていないということで、思考力もですが見識に圧倒的な差があるということです。
さらには、質問してわかったのですがどうも自分は理解力に乏しいようです。


推測とのことですが、「愛」は外来の・・・・以下はとても参考になりました。
私もそのように多角的に見られるようにならねばと思いました。

生物学的な方向、という言葉すら持っておりませんでしたので、、


また、「言いたくなる気持ちも分かる」のところは確かにそんな感じだったのですが、回答だけを見ていると、ほうっておいてよい気がしてきました。
愛が死なないように陰ながら応援するほうがよいのかなぁなどという気さえしてくる始末です。


>神よりも親や子

ちなみに、私は「親や子よりも神」の考え方が理解できなくもありません。
神、であると矛盾する(と思う)ので理解できない(賛成できない)ですが。



英語の意味がわかりませんが気になりましたのでお昼頃に英語のカテゴリを覗いたのですがまだ投稿されておりませんでした。
この質問を考えるに関係なくもなさそうですので、もし投稿されていましたら後ほど見させていただきます。
とても参考になるご回答ありがとうございました。

お礼日時:2009/10/01 21:21

>> 「愛」とは何を表現したものか.



[存在」自体が「愛」なんですね。つまり「存在即愛」「愛即存在」ですからなくなることはないのですね。同様に「愛即神」ですから「神」もなくなることはないですね。
すべての存在が「かくあれ」という思いのなかにあるということですね。だから、逆に「愛なくば存在なし」「愛なくば神なし」ですからこの大宇宙も全ての存在も一瞬の内になくなるということですね。
まだあるということは人間がどのように悩乱しようと「変わっていない」ということだけですね。
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この回答へのお礼

参考にさせていただきます。
ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2009/10/01 07:28

愛の反対語は何か考えればわかるんんじゃないかと。

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この回答へのお礼

愛に反対語が可能なのでしょうか?
非常に驚きです。
反対語というのは固定観念の持ち主でないとあてにならないと常々感じておるため眉唾物ですが、お伺いしたいです。

お礼日時:2009/10/01 07:05

確かに愛って曖昧ですよね。



私の独断と偏見は「つながり」です。
ただ、どんなつながりなのかは、それを語る人の裁量です。
肉体的なものですら「愛」ですもんね。

個人的な裁量を披露するなら、かなり限定的に
「慈しみ合う事を求め合わないが、慈しみ合っている」つながりです。
かなり、感傷的で酔ってますが・・・
イメージとしては、キリストさんが2人居る状態ですね。

>「神は死んだ」、その神から死ぬ前に与えられたものだと思います。
私もこう言う感性が大好きです。

この回答への補足

>キリストさんが2人

の表現を使ってお礼を書きたかったのですが、実を申しますとご回答の内容に対して全体的に私の理解が足りなかったため失礼に当たると思い遠慮させていただきました。
No1さんのご回答も理解はできていなかったのですが、あの文章は絵画を見せられたような気がしてああいったお礼を書いたのでした。。

また見返して参考にさせていただきます。

補足日時:2009/10/02 04:44
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この回答へのお礼

参考になりました。
ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2009/10/01 07:25

素人の雑感ですが、愛というのは自分も含めたある対象の存在を是認することではないでしょうか。

存在を認めた上での行動や認識も愛に属すると思います。毎日使っている食器などに対しても愛があると思います。一方使用人などに対して主人が案外その存在を認めないでただこき使っている場合にはそこに愛はないように思います。やはり実在することをはっきり認識することではないかと思います。
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この回答へのお礼

参考になりました。
ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2009/10/01 02:34

こんばんは。


なるほど、深いですね。あくまで私の独断と偏見で・・・

私は、the_hours様が仰る「神は死んだ」、その神から死ぬ前に与えられたものだと思います。

もし私たちが淋しさで、悩み苦しみ周囲に流されても、悲しみに押し潰され、どんなに運命を呪ったとしても、
結局は「愛」に収束されるのではないでしょうか?
それは全てを癒し、全てを慰め、何より強く、何よりも優しい。
一方で全てを騙し、全てを壊し、何より脆く、何よりも儚い。

そして私たちは自分自身が人に「愛」を与えられます。
これからどんな時代になるかわかりません。
しかし神が与えてくれた、この試練を受け入れ、戦った力こそが、
きっと愛を育て、何もかも包み込んでくれるのではないでしょうか。

以上です。
もう一度言いますが、私の独断と偏見なので悪しからず。
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この回答へのお礼

>「神は死んだ」、その神から死ぬ前に与えられたものだと思います。

なんというか、デザインとして素敵で、おぉー、、、と思いました。



>私の独断と偏見なので悪しからず

皆さんの認識をお伺いしたかったので、独断と偏見を前提にしております。
ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2009/10/01 01:23
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