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新年になるととても考えさせられる問題なので投稿してみました。

例えば昨年とても仲良くさせていただいた友人がいるとします。
自分としてはとても仲の良い関係だと思っていたのに、年賀状すらこない人。
その一方遠方であったりして、会う回数は少ないものの、まめに年賀状などを送ってくれる友人たち。

この年賀状の状況を見るたびに、自分自身の友人選びはどうなのか?と首をかしげてしますのです。

皆様はこんな経験ありませんか?

どんなご意見でも結構ですのでよろしくお願いいたします。

A 回答 (5件)

年賀状は年賀状。

ただの社交辞令じゃないですか。そういった形式ばった挨拶は時代と馴染まなくなっていると私は思いますよ。だから来ても来なくても気にしません。
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年賀状に対する考え方が個人によって違い


またそれが許容される時代になったと思います。
年賀状を出さない自由もあります。
年賀状をもらって返事をメールですましたら失礼ですが
メールで済ませる同士ならそれは失礼ではないでしょうし。

私は
新しく出来る友人も
比較的感覚の近い人である確率が高く
年賀状はみな送ってきますね。
メールで済ませる人はいません。

近くていつでも会えるから
あえて年賀状は出さずにあったときに
新年の挨拶をすればいいかな、って思ってる
みたいなことはないですかね。
遠方だとなかなか会えませんから
せめて年賀状でご挨拶はしよう、ってこともあるだろうし。

それぞれに考え方がある、と私は思っています。
私自身は、絵を描きたいと思ってても普段なかなか
描く機会がないから
年賀状は例年
「きちんを絵を描く機会を与えてもらっている」
みたいな感じです(笑)
普段会えない人からお褒めの言葉をいただいたりするから
それがやりがいにもなっています。
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この回答へのお礼

早速のコメントありがとうございます。

それぞれの価値観がある事をわかってはいても、なぜだか今年はとても寂しく感じてしまいました。
おそらく私にとっての「比較的感覚の近い人」だと思っていた友人が、感覚の遠い人だったからだと思います。

ようは私の人間観察があまかったのかもしれません。。

私よりもひとまわり年上の方だったりしたため、年賀状のやりとりは当然かと思っておりましたが、
そうではなかったようです。

どちらかというと「マメ」であるゆえの悩みなのかもしれません。

本当にありがとうございました。

お礼日時:2010/01/02 08:49

年賀状は必ずしも友情のバロメーターではないでしょう?


わたしにも10年くらい会っておらず、年賀状だけは毎年やり取りしている友人がいます。
毎年「今年こそ遊びに行こうね」なんてメッセージを書きますが、“たぶん会わないだろうな”
って、お互い心の底では分かってるんです。半分以上は社交辞令です。
でも相手のことを「忘れてないよ、今でも友達だよ」という意思表示でもあるわけですから、
やっぱりこれからも送り続けると思います。

近くの友達と言うのは、やはりいつでも会えるし「改まって年賀状なんて・・・」
と思いがちですよね。年賀状書いたりするのがめんどくさかったり、メールでいいや~みたいな。
わたしはパソコンで画像処理やイラスト描いたりが好きなので、友達用・職場用・上司用とか
何種類か作ったりしています。
本人のこういう「マメさ」とかも、送る送らないに関係あると思いますよ。
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この回答へのお礼

早速コメントありがとうございます。
おっしゃる通りだなとも思ってはいるものの、きちっとした方だと思っていた方に限って・・・
という事があったためそういう気持ちになったのだと思います。

今回の事で多少ショックはうけましたが、あくまでも年賀状は年賀状として、
うけとめたいと思っております。

ありがとうございました。

お礼日時:2010/01/02 08:45

こんにちは(^-^*)/



仲が良いのに年賀状が来ない、ということは、「貴方と仲が良く、分かり合えてるから、年賀状を出さなくても大丈夫だ。」と考える友人なのではないでしょうか?友人同士の信頼関係が強い証でしょう。

余り会った事が無いのに、年賀状が来るということは、貴方はその友人に覚えられているということが取れるのではないでしょうか?

僕は、このように勝手に解釈して済ませてしまいますf^_^;
でも、本人に会ったら分かる事ですし(^O^)得に、そんな経験はしたことは、無いですf^_^;
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40代の主婦です。


質問者さまはもっとお若い方かなとお見受けしましたが。

私も若いころは、仲のいい人とやりとりするという感覚でした。
だから疎遠になってしまうと、ずっと出し続けるのは迷惑かなとか、その年知り会った友達には必ず出さなくちゃとか、会社も同じ部署の同期なら全員出さなくちゃとか、なんとなく辻褄を合せるべきという感覚を持っていたような気がします。

でも何度か転職したり、結婚したり、子供が生まれたりするうちに、年賀状はただ年賀状をやりとりするためのメーリングリストみたいなものになっていきました。

私が持っているルールは以下のとおりです。

疎遠になっている人から2年連続来なければリストからはずす。
非常にお世話になった仕事上の先輩や上司のうち、義理を重んじると思われるタイプの人は一生リストからはずさない(予定)。
年賀状を出したいから住所を教えてと言われた人には必ず出す。

もうこの歳になるとリストを積極的には増やそうとはしないので、毎年数件入れ替わるだけで例年ほぼ同じ通数を出しています。
筆まめな人とは疎遠になっても続くし、仲がよくても途切れっぱなしみたいな人もいます。
感覚としては#3様によく似ています。
近しさと年賀状の送付先はまるで無関係な感じです。

私は若いころ頻繁にスキーに行っていたのですが、当時は仲のよさとは無関係にスキー仲間というのがいました。
秋になるとそろそろ・・・と連絡を取り合うのです。
そんな関係が何年も続いてもお互い不思議に思う人はいませんでしたが、スキーをしない人からは「季節限定の友達がいるなんて信じられない」とよく言われました。
まあそんな感じで、年賀状愛好会ってところですね。
愛好会にしては私の年賀状は事務的ですが、そのメンバーに居場所と消息を年に一度知らせる手段です。
たまに詳しく近況を書いてくれている年賀状を見るとちょっと反省しますが。
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