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25歳♂ 現在就職活動中のフリーターです

タイトルの通り他人に対し気遣いのできる人間になりたいです
気遣いが出来る人って他人に好まれると思うんです。
それが恋愛面であれ仕事面であれ。
「自分にされてうれしいことを他人にもしなさい」
とよく言われるのですが、自分は元々が冷たい人間なのか
他人に気を遣ってもらっても特に何も感じないので何をすれば他人が喜ぶのかあんまりわからないのです・・・

気遣いのできる人ってどんな風に考えて行動しているんですか?

A 回答 (3件)

気遣いとはそんな生易しいものではないです。



>「自分にされてうれしいことを他人にもしなさい」
なんて真っ向な嘘です。
例えば、あなたは男性ですからセックスは好きでしょう。
だったら、他人にセックスしてあげますか?しないでしょ?笑

つまり、そういうことなんです。
他人が嬉しいかどうかは、自分がされて嬉しいという主観とは異なる場合が
大いにある、ってことです。

ですから、言うなれば「相手がされて嬉しいことをしてあげる」
つまり、「相手の気持ちになって考える」でもあります。
しかし、例えば人ではなく犬の場合、犬の気持ちになって考えるとしたら
どう考えるでしょうか?人ではないのですから人が喜ぶことを考えても
何もあてはまりません。そこで読むべきものはドッグペットマニュアルだとか、
そういった類の本になります。

つまり「相手がされて嬉しいことをしてあげる」「相手の気持ちになって考える」
をするためには、相手を知らなければいけなくなる。
知り合いならば多少相手を知ることができますが、他人ともなると会話の中から
他人の情報を得なければ知ることはできません。

>自分は元々が冷たい人間なのか他人に気を遣ってもらっても
>特に何も感じないので何をすれば他人が喜ぶのかあんまりわからないのです・・・
ですから、これは全く関係ないので気にしなくていいです。
ただ、元々冷たい人間なんていません、あなたがわざと冷たく振舞っているのです。
そこに気づいているのなら直し甲斐があります。

>気遣いのできる人ってどんな風に考えて行動しているんですか?
私がやっていることは、
「相手がされて嬉しいことをしてあげる」ではなく、
「相手がされて嬉しいことを【見返り無しで】してあげる」です。
見返り有り、例えば「好まれる」といったことを考えてやると
そこには必ず下心が生まれるので結果悪くなります。
皆に優しくではなく、特定の個人にだけ優しく、それ以外の人には冷たくなります。
気になる相手にそれができても、嫌われている相手にそれができなければ、
所詮その行動は嘘ってことです。だからこそ、見返りを考えないのは重要です。

でも、見返り考えないのは大変ですよ。
食事をご馳走するにおいても、気になる人だけでなく皆を誘って皆にご馳走するわけです。
気になる人の仕事を手伝うだけでなく、皆の仕事を手伝うのでそれだけ自分の負担は大きくなります。

それでも尚、するんです。
何故かわかりますか?見返りは求めなくても、結果として相手から返されるものだからです。
つまり、見返りを求めないでやるからこそ、相手から返される。
見返りを求めてやると、相手からは返されません。

海老で鯛を釣るという言葉がありますが、世の中では
鯛を釣るために海老で釣りをしても海老は食われるだけで鯛は釣れず、
鯛のために海老を撒いてると、自然と鯛が網にかかりにきてくれる、
それくらいの法則性があります。勿論、すぐには効果はでません。
例えば社会問題でもあるように、きちっと社員を育てる会社は十数年後に社員にいい仕事を
してもらい、そして発展していくが、目先のことだけを考えて内定切りやら残業代カットを
普通にする会社は将来性などなく、いつ潰れてもおかしくない自転車操業が続く。

気遣う、というひとつのことでもここまでスケールが大きくなります。
正直、現在のフリーターのような状況では相手を気遣うことなんてできないと思います。
何せ自分に余裕がないのだから相手に優しくできるはずがありません。
まずは相手に優しくあるためには安定した仕事につき、仕事が一定以上できるようになり、
自分に余裕を持たせることが先決です。
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この回答へのお礼

丁寧な回答ありがとうございます。
単なる説教ではなく、深いアドバイスで大変参考になりました。
>>「自分にされてうれしいことを他人にもしなさい」
>なんて真っ向な嘘です。

なるほど、確かに私は少し勘違いをしていたかも知れません(笑
本当の気遣いというのは、その人それぞれに合った優しさを提供するということなんですね

見返り無しで行動するというのはなかなか難しいかもしれません・・・
ご指摘のように今は余裕がない状況なので(;--)
それでも常に意識してそれをできるよう行動してみます

余談ですが、主観的な気遣いを他人に要求する人がいますが、それはやはり見当違いな気遣いであって
本当の気遣いというのは「相手を知り、相手に合わした気遣い」なのかなぁと思いました
勉強になりました。ありがとうございました。

お礼日時:2010/04/23 10:08

「他人に気を遣ってもらっても特に何も感じない」


といいつつ、
「他人に対し気遣いのできる人間になりたい」
というのは矛盾しているように感じますね。

たとえるならば、
「おいしいという感覚を味わったことはないけど、料理人になってみたい」
というようなことかと。

おいしいものを食べたことのない人がおいしい料理を作れないのと同じで、
気遣いされてうれしいという体験がない以上、
気遣いもできないように思いますが、いかがでしょうか。

気を遣ってあげることも、
気を遣ってもらって感謝することも、
どちらも同じことです。
他者への想像力が必要なのですが、
あなたにはそれが欠けているようです。

気遣いへの感謝ができないうちは、
あなたが誰かを気遣うことも難しいと思われます。
とはいえ、あなたが誰からも気遣われていないとは思えません。
みんな何かしら、誰かからの気遣いを受けています。

気遣うこと以前に、あなた自身が気遣われていることを
感謝することからはじめないと、
気を遣う人間にもなれないと思いますよ。
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昔の話です。


私は一人っ子で、新入社員だったころに
気遣いが足らないとその当時の部長に散々いじめられました。
今となっては、ありがたい教育だったんだと思っていますが。

気遣いとは、相手の行動を事前に予知して
その行動に対して何らかの親切な行動をとるということだと思います。
まあ、これはすぐに身に付くものではないので
ある程度練習が必要ですね。

例えば
家族と食事中にお母さんコップが空になっているとします。
自分のコップも空っぽになってお茶を入れた後
お母さんに、「お茶入れる?」と聞くこと。
お母さんはお茶を飲みたくなるけど、コップは空っぽ
⇒お茶を入れる。という行動です。
わざとらしくないのは、自分のついでにと思わせることですね。
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