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村上春樹さんの評価をお聞かせください。

先刻発売された「1Q84」は初版が50万部、既に20万部の増刷も決まっているそうです。平成の作家でこれほどの売上と人気を誇る作家さんは稀でありますが、はたしてそういった結果に相応しいお方なのでしょうか?ノーベル文学賞にも名前が挙がったと噂で聞きましたが村上春樹さんの作品はそれ程に高い評価を受けるものだと思いますか?

日本の文学と言えば私は夏目漱石や太宰治、谷崎潤一郎などが浮かびます。日本の昔の小説は使われる漢字も難しく文章の質感も硬い印象を受けますのであまり日本の現代人には手に取るのに抵抗があるのではないかと思います。代わって村上春樹さんの小説は一見した小難しさはなく、また文章雰囲気や文調としても、すぅーっと話に入れる、海外小説に似た印象を受けます。村上春樹さんが人気なのは表現力や思想の面の他に、日本独自の文学にある堅苦しさや小難しさの無さにもあるのだろうと思います。読み易い。

現代人にとって村上春樹さんの作品は手に取りやすいものであるかとは思います。それもこの人気の要因だとは思うのですが、ここまでの人気を誇る程の作品だと皆さんは思われますか?何がこれほど読者の心を掴んでいるのでしょうか。どういった点が文学として作品として優れていると思いますか?お聞かせください。

また、村上春樹さんと肩を並べる、またはそれ以上の力量のある近年の作家をお聞かせください。


回答お待ちしています。

A 回答 (4件)

 現在の村上春樹の新作シリーズの売れ行きを見るにつれ、どうしても冷ややかな目で見る私はひねくれものなのか、それとも真の文学を理解できない人間なのかと自問自答する今日この頃です。



 などとふざけて書きましたが、正直私個人としては彼の作品を読んだあとの感想としては、どの作品にしてもそうですが、なんだかあちこちから寄せ集めたものを食い散らかして書いたものの、いまだに自身の方向性が掴めずにいる、なんて気がします。
 しかし周りがそれなりに騒いでくれるし、なんといっても大好きな外国の国々が高く評価してくれているから、まあそれでいいかぁ、なんて感じですかね。

 彼自身は早い時期にヒップでクールなサンプリング・アンド・リミックス作家を目指し、日本に居場所のないポストモダン作家を自認(といっても彼一流のしぶしぶといった風情で認めた恰好でしたが)していたんですから、これをどう評価したらいいのか迷うところではあります。

 私は文学に造詣が深いわけではありませんので、現在の村上フィーバーを論理的に分析できるものではありませんが、素直に自分の心情を吐露すれば、彼の作品のどこが面白いのだろうかという疑問に突き当たらざるを得ません。

 それでも最初はミーハー的に世間の流行りに乗り遅れてはなるまい、というある意味強迫観念に襲われながらページをめくったものですが、やはり面白くないものは面白くありませんでした。IQ84にしても書店でぱらぱらとめくっただけでもう後は興味が涌いてきません。

 彼にしてみればそれまでの日本近代文学は装飾の華美な気取った文体であり、伝統に捕らわれた感情的なそれであるといっているようで、それへのアンチテーゼとしての今の自分があるといっている文芸誌を読んだことがありますが、そういう意味では成功しているかとは思います。ただそれだけであり、それだからといって彼の作品がどれほどの価値を持っているのかを私は見出せません。

 彼くらいの作風でそれなりの作品に仕上がっているものは他にもあるような気がするのですが、近代日本文学の作家と聞かれれば、一般に評価の高くない作家を上げるのもさすがに気が引けますし、かといって文豪と言っても良いほどの作家と肩を並べさせるのも癪だということで、最後の質問への回答は遠慮しときます。

 若い頃太宰の本を読んではなぜか苛立ちを覚えたことがありましたが、今では太宰の底知れぬさを知り、文学の持つパワーに触れたような気がしたこともありました。翻って村上春樹ですが、彼独特の突然の分ぶち切れやちゃぶ台返し的な物語のひっくり返し方は(本人は意図的ではないと言い張っていますが)、初期の頃はそれでも良かったのかもしれないけど、いまはちょっとあざとく見えますよ、と言いたいですね。

 イスラエルでの例の文学賞の授賞式でのスピーチも、なぜか感動の嵐が巻き上がり、讃美の声が絶えませんでしたが、あの卵を使った隠喩は正直あまりにも平凡というか的外れでいただけませんでした。でも一度構築された名声というものは、名声を得た本人よりも作り上げた周囲が絶対に死守したいものなのでしょうね。

 そういう意味では彼は商業主義の犠牲者というべきかもしれません。と最後はイスラエルの卵スピーチと変わらぬ滑り気味の隠喩で終わりとします(^_^;)

 好き勝手に書きすぎたかかもしれませんが、すべて個人的な感想ということでお許しを。
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この回答へのお礼

回答有難うございます。

お礼日時:2010/12/04 22:23

あなたの感じる通り。

1Q84は、ただの駄作です。「1Q84年」「さきがけ」など、序盤でさんざんスケールのでかい謎をだしておいて、BOOK3の展開はなんでしょう。あれじゃ、ただの恋愛小説です。

また、削除すべきシ―ンを、延々と書いています。それほど文字稼ぎをしたいのでしょうか。はっきりいって、全然面白くありません。ただ、文章は嫌いではないし、比喩も独特。だけど、それだけ。

村上春樹だから売れた小説、というのが結論です。

現在は、村上春樹は大御所ですね。私は村上春樹をあまり知りませんが、昔は、良作を書き続けていたようです。その大御所が、本をだした。マスコミが注目した。一般の人が読もうとした。
……という流れだと思います。
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この回答へのお礼

回答有難うございます。

お礼日時:2010/12/04 22:23

本屋さんの漫談です。



チャンドラーの「長いお別れ」を「ロング・グッドバイ」と題して、訳す。
サリンジャーの「ライ麦畑でつかまえて」を「キャッチャー・イン・ザ・ライ」と題して、訳す。

両方ともすでに名訳として名高いものです。この2作に、村上訳が加わる必然性がありません。

そのようなことをする人間なのだな、というのが、現場での感想です。
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この回答へのお礼

回答有難うございます。

お礼日時:2010/12/04 22:24

人気や売れ行きに関しては、作家の実力とは関係ない要素が大きいので、相応かどうかはなんとも言えませんね。



そういうこととは別にして、村上春樹をどう評価するか、というと、これはなかなか難しい問題です。実力があることは間違いないのですが、あまりにも故意の書き落としが多かったり、「わかる奴だけわかればいい」という排他的な傾向がありすぎるため、本当にそれでいいのかと感じさせるところがあります。自分を理解してくれる者にだけ視線が向いていて、異物を見ようともしない意固地さがあるんですよね。
現実の事件を題材にするようになって、少しは変化するのかと思っていましたが、結局その点についてはほとんど変わらなかった。

本来、文学小説と呼ばれる作品に共通しているのは、異質なものから目を逸らさないことです。理解できない事件や思想などを正面から向き合って、なんとかして解釈しようとする。しかし、村上春樹は肝心なところになると、書き落とし等の技術を使って逃げてしまうんですよね。それを「現代人の正直な感覚を表現している」として評価するか、「そこで逃げたら文学じゃないだろ」とするかで、結果が大きく変わってしまうわけです。

あと、そもそも故意の書き落としをどう評価するかでも変わってきますね。先ほどは「書き落としは逃げの手段だ」とあっさり書いてしまいましたが、「逃げ」とは受け取らず「謎を残すからいいんだ」とか「書き落とされた部分は読者と作者の共同作業で補完するんだ」などと受け取るなら、高評価に繋がるでしょう。
いずれにしろ、村上春樹の作品に対する評価は、両極端になりがちです。

私個人としては、彼の作品単体で見れば「クールな弱虫文学」という面白い分野を切り拓いたわけで、あれはあれで構わないと思うのですが、村上春樹に感化されて「格好付けて逃げることが文学だ」と勘違いする人が続出するのは困るなあ、という感じです。確かに村上春樹は格好良く弱虫を演じる天才ですが、普通の人がそれを真似したら、ただのダサい弱虫にしかならないわけで(笑)

村上春樹と同等以上の近年の作家……は、奥泉光はどうでしょう。代表作の『ノヴァーリスの引用』が中古屋で探すしかない状態なのが悲しいところですが。
手に入るところでは『モーダルな事象』が、どうしようもないクズ小説がバカ売れする経緯を描いた作品でもあり、質問者さんの質問内容とも通じる面があって面白いだろうと思います。
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この回答へのお礼

回答有難うございます。

お礼日時:2010/12/04 22:24

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