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「砂の器」について

松本清張の砂の器を図書館で借りました。
映画もドラマも見ていなかったので、あらすじも全く知らないまま手に取りました。
昭和との余りにものギャップに驚き、内容も大変面白かったのですが…
疑問点があります。

1、主人公は、たまたま目にした雑誌で「白い紙を電車から捨てている女」のコラムを読みますが
この女が、犯人の協力者と思ったのはなぜでしょうか?
いきなり「あいつが怪しい!」みたいな展開になって、「え?」と思いました…。

2、被害者(三木でしたっけ)の周辺を洗っている主人公、最終的に和賀を勤めますが
和賀の過去である、ハンセン病で放浪していた親子を突き止めようとしたのはなぜでしょう?
三木が助けた人々は、他にも大勢いましたよね。なぜこの親子がピンポイントだったんでしょう。
主人公がこの親子に対して、何か閃いた描写はなかった気がします(見落としかもしれませんが)
三木と親しかった算盤のおじさんに例の件を手紙で聞いてましたが、その際に他の方についても問うたんでしょうか?
おじさんからの手紙が届いてから、いきなりハンセン病親子(というか父親)に話が動いたので、ここでも驚きました。

3、関川は微妙に訛っている?という設定、そして恋人(友人だったかも)から故郷はどんなところなのかを聞かれ、故郷の様子を語っているとその恋人(友人)が
「確か君は秋田出身だったよね」みたいなことを言い、それに対して彼は
「そういうことに『なっているね』」と意味深なことを言いますが
これに意味はあったんでしょうか?ただの作者のカモフラージュですか?


1,2はやはりよくあるご都合主義というモノなんでしょうか。
主人公は藁1つ掴む思いで捜査をしていたから、どんな小さな情報でも掴みたかったといわれればそれまでですが…。

A 回答 (3件)

はい、ご都合主義なのでしょう^^;


私はかって高1の時に加藤剛主演の映画を見て大いに感動し、原作を読んで少しきょとん、となりました。原作はむしろハンセン病に対する差別への批判の痛烈さで大いに話題を呼んだということもその時に知りました。作者自身ももしかすると、その点と方言の分布圏の方に興味があってあれを書いたのかもしれません。作品としては映画の方が遙かに優れていると思います。これはやはり橋本忍、山田洋次、野村芳太郎、芥川也寸志という極めて強力な製作陣のお手柄でしょうね。
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 『砂の器』は清張としてはかなり杜撰で穴の多い作品で、出来としては決して良くなく、並の下くらいの作品だと思います。

ご指摘の点も単なるご都合主義以外の意味はないでしょう。
 ただ、この作品については映画の出来が大変に良かったため、これだけ穴があるにもかかわらず清張の代表作に祭り上げる人が大変に多いという不思議な作品です (^^;)。ただし、この作品のどこがいいのかを聞くと、たいてい映画の話しか返ってきませんけど (^^;)。「親子が二人きりで旅をする場面が感動的だった」などと、トンチンカンな回答が返ってきたりします。むろんそんなシーンは原作にはほぼありません。
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考えればおかしなことは他にもあります。


小説ばかりではない。テレビ映画の事件もの。ありっこないことが、こじ付けが。
面白くしないと読んでくれません。読者がいないと売れません。ということは、生活できないということになります。読者があっての小説。視聴者があってのドラマ。
一度、映画でも見ましょう。
「砂の器」初代俳優では加藤剛、森田健作、丹波哲夫、緒方拳。
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