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世のあらゆる芸術分野に「名作」があります。
音楽、美術、文学、映画ect.
しかし、ちょっと考えてみますと、芸術とは「人間性の解放」といわれるとおり、内面の発露、そのエネルギーが昇華したものだとそれば、人間の多様性によって、その方向性は360度あらゆる方向に向かっています。そして、ひとつの方向性を強制された地域や時代(共産主義社会国歌やナチズム、戦時下の日本ect.)は、非常に貧しい芸術しかなかったものです。人間とは本来的(芸術的)には一まとめになれないものです。
そこで「名作」の問題です。これはなぜそんなレッテルを貼られるようになったのかわかりませんが、あるひとつの方向性に向かった作品をそのように命名することは、人間嗜好の多様性を肯定する考えと衝突します。実際多くの人は「フ~ン、これが『名作』なのか、あんまりいいとも思えないな」という体験頻繁にするので、自分の感性がだめなんだろうとか、芸術的センスがないのかなんていう自己否定にもつながる。作家は作家で、「これは『名作』にしよう、これは凡作でいい」と思って作っているわけではない。それを勝手に、こっちは名作こっちは凡作と振り分けられるし、実際のところ自分では失敗作が『名作』などともてはやされるのは、非常に迷惑です。
なぜ、鑑賞者、作家ともに不利益になるような『名作』概念が、はびこるようになってしまったのでしょうか。そして、徐々に、個人主義の漸進的進捗によって淘汰されるかもしれませんが、なお全盛を保っている「名作主義」は消えないのでしょうか。
No.10ベストアンサー
- 回答日時:
この質問においての「名作」は作品を枠にはめることを指し、
「個人主義」が、いままで人が他者や社会から与えられてきた不必要な概念から
自由になることを望む考え方を指すのであれば、
自分も質問内容に納得します。
具体的にこの問題を考えてみた場合、
問題の焦点は「自分の都合でそれに価値を与えること」にあるような気がします。
つまり、「自分の考えは正しいから、その意に沿うような作品には賞賛を与える」というようなことだと思います。
これが単なる意見であればまだ良いと思えるのですが、
価値を与える(レッテルを貼る)という行為を無意識であったとしても
行ってしまった場合は、その作者の立場に枠を設けてしまい、
結果としてその作者が思ったように活動することができにくくなる
ということは現実におこっているだろうと思います。
質問内容について、自分の中ではまだ整理がついていないですが、
むやみに作品を賞賛することも考えものだということになってしまうような気がします。
はい。その通りだと感じています。
作家にとっても大きな障壁となってしまうことがある。レッテルから逃れられなくなるような。一種のマスコミ的弊害ですね。これがこわいんです。大衆とマスコミとそのターゲット。結局、売らんがためにか、押しぎせの教育のためにか、意図的に「事実」を練りまげて、これが歴代の名作でござると大見得を切られる。これは、大いなる商業主義そのもので、芸術とは本来関係ないことです。それが、大きな割合を占める事態になっている。
芸術だけじゃないんですよね。大衆とマスコミの問題の一分野だということです。
No.9
- 回答日時:
名作が要る要らないと論じているうちは、「名作」というものを意識してとらわれてしまっていますね。
名作というのは、そう呼ばれているだけのことで、実質的な意味を持っているとは思いません、私は。
だから、人が名作名作と持てはやすのもなんだか違うと思います。
名作というのは交差点のようなものだと私は考えています。
どこからその交差点に入るかによって見え方が違うこともありますが、それよりも言いたいのは、そこを通らなければいけないというわけでもない交差点である、ということです。
実際、その「名作と呼ばれる作品」に触れないでも人生は送れます。
それともう一点、多くの人がそこで何かを気付き、立ち止まることになるという側面もあります。人が集まり、渋滞するから道路が増えて交差点になる、といったところでしょうか。
「名作交差点」は、目的地へ急ぎたい人にとっては立ち止まる場所ではありません。通過してもよし、立ち止まってもよし。ただし、あっけなく通り過ぎると気付きの機会を見失うかもしれない。いや、そればかりか、気付く訓練をしていないと、目的地に着いたとも気付かず通り過ぎているかもしれない。
そういう風に考えていくと、どんな失敗作にだって気付きはあるだろうと思えてきます。成功から学ぶことだけが全てじゃない。結局のところどんな道端であろうと、気付いて立ち止まってもよいということになります。その時「名作」という呼称は用をなさなくなるのです。ただ単に人が群がっているだけ、ということなのです。中には人が沢山集まっているから名作なんだろうと思っていて全然気付きのない人もいる始末なのに閉口する気持ちもわからなくはありませんが。bossambaさんが問題にしているのは、この群集心理のあたりの問題でしょうね。
問題は気付きがあるかないかということです。気付かなければどんな大理石の彫刻もただの岩石という物質ですし、どんな音楽も振動現象でしかありません。気付くことができて、そこからさらに気付きを探す人になっていく。その第一歩の入門として、道標となる交差点は、必ずしも不要なものとは思えません。
交差点ですね。それを人工的に作る人がいるんです。意図的にかどうか知れません。それがあったほうが、確かに流れはスムーズになるかもしれません。しかし、どうも「意図的」というよう佐賀気になってしまって、素直に通れないですね。
No.6
- 回答日時:
※念のため禁止事項、ネチケットも確認する
ちょっとお邪魔します。
え~と、名作主義せよ○○主義にせよ、主義とつくと
少し行き過ぎで、善くない気がするのですが、
>ひとつの方向性を強制された地域や時代(共産主義社会国歌やナチズム、戦時下の日本ect.)は、非常に貧しい芸術しかなかったものです。人間とは本来的(芸術的)には一まとめになれないものです。
これ、本当ですか。
芸術はどちらかと言うと、抑圧に対して抵抗するもので
ソ連の共産主義下でも、優れた文学があったような。
私は絵のこともあまりわかりませんが、
ファン・エイク、ピカソ、セザンヌ・・・
彼らは、従来のしきたりを破壊したのですが、その時は、抑圧に抵抗しただけのような気がします、まぁ、反発と言ったことを始めてやった、これが芸術の爆発かも。
ちなみに、商業と芸術はそもそも無縁、「名作」にも色々。
ところで、
名作主義と個人主義を対比させる意図は、なへんにあるのか?
謎ですね。
そうですね。「傾向」とでもしておいたほうがよかったでしょうか。
私の印象では、例えばナチズムで超現実主義や抽象みたいなものは否定されました。社会主義下の芸術も、過剰道徳のような雰囲気です。抑圧も過剰になると、さすがに抵抗芸術も衰えます。ピカソセザンヌはそのような極端な抵抗にはあっていないでしょう。
商業主義が人々の精神的自立性を奪っている側面はあります。
No.5
- 回答日時:
>なぜ、鑑賞者・・・はびこるようになってしまったのでしょうか。
人間が群生者として暮らし、複雑な社会システム(ネットワークとヒエラルキー)を形成し、しかも貨幣経済システムの支配下にある限り商品としての「名作」はその内実(内在する価値)とは無関係に拡大再生産され続けるでしょう。そのダイナミクスの前では個人レベルの好悪は関係ありません。
また、「名作」は歴史的概念として諒解したほうがいいでしょう。50年前の「名作」は現在の「名作」と重なりません。残っているのは高校までの教科書に載っている「作品」の断片と、大学や作家や文部科学省の役人によって権威づけられた「公認」「官許」の「作品」のあれこれです。(ドストエフスキーの『罪と罰』は携帯電話で小説を読んでいる若者(?)には不要でしょう。ですから『罪と罰』は今後マニアのための作品、もしくは下に書くような、小説初心者のための「作品」となるでしょう)
>なお全盛を保っている「名作主義」は消えないのでしょうか。
どの分野でも初心者は「権威」を必要とします。弊害がある反面、こういう「公認」のスタンダードは「寄りかかり」となり、初心者に安心感を与えます。
ある程度、特定の分野に精通した人間は、そういった「万人のための名作」を必要としなくなります。すなわち、自身の内部に「名作」か「そうでないか」を測る「水準器(=批評眼)」のようなものが出来れば、「名作」を認定する仕事をしていない限り、世に言う「名作」を必要としなくなります。(もっとも、誰もが読む「名作」を既に読んでいる必要は少なからずあるでしょうが)そして、博捜・精査を経て自分だけの「名作」を見つけるでしょう。
いつの世にも初心者は溢れかえっています。したがって、「名作主義(?)」はなくならず、数多くのスタンダードによって蔓延ることでしょう。(すなわち特定の出版社が持っている版権というスタンダード)
>自分では失敗作が『名作』などともてはやされるのは、非常に迷惑です。
すこし疑問に思ったののですが、これは、質問者さんがお作りになった作品のことで、「迷惑」なのでしょうか。だとすれば、ボルヘスもいうように「繰り返し読まれた本は豊かになる」のだと思います。作品としていったん手元を離れれば、失敗作が「名作」といわれることも稀ではありません。「名作」かそうでないかは「作者」や「出版社」ではなく読者が決めるものです。質問者さんが「非常に迷惑だ」と考えているなら、その失敗作を絶版にすればいいだけのことでしょう。
そして、そうではなく、一般論として「非常に迷惑だ」と思っているなら、それこそ「非常に迷惑」なことではないでしょうか?
わたしは、個人的には「名作」があって当たり前だと思っています。裏を返せば「駄作」と「名作」の違いを劃然とする価値基準をよしとするものです。ですから、最後に申し添えれば、質問者さんのご質問の意図をよく掴めないまま回答したことになります。その点の不行き届きをご容赦ください。
売れれば「名作」ということには抵抗があります。つまり多数意見はどうも正しいと思えないですね。個人的には、「名作」が正当に評価されず、それほどでもないものが評価されてしまうことも多いと感じます。
冒頭の、人間的社会生活と商業主義ですね。芸術の問題となるとえげつない実態です。初心者のための権威主義と商業主義がのさばる。どうも抵抗あります。
お話はすべて納得しました。
No.4
- 回答日時:
>内面の発露、そのエネルギーが昇華したものだとそれば、人間の多様性によって、その方向性は360度あらゆる方向に向かっています
:これはおっしゃるとおりだと思います。
ただ、名作ということに関して言えば、方向性ではなく深度が問題になるのでしょう。
どこまで客観的な深度測定ができるのか、という疑問もあるでしょうが、今の人類が極端に進化(あるいは退化)しない限り「本物の名作」はやはり普遍的価値を持つような気がします。
つまり、本質の部分ではやはり共通項があるのでしょう。
しかし、「名作」と冠することが流通戦略である場合も多いわけで、そのへんの取捨選択は個人で対処していくより仕方ないのでしょう。
以下はちょっと違うかもしれませんが。
私はミステリーが好きなので「○○第一位」などと書かれているとつい買ってしまいますが、
最初の数十ページで放り出してしまうような作品も思いの他あります。
また、「名物にうまいものなし」とは昔から良く言われていますね。
しかし、大半は冠詞に耐えられる、というかまあ許せるものが他のものに比べると多いのも事実でしょう。
本質的には、(相違ではなく)総意を掲げることによって価値観を共用し、さらにそのことで安心感を得たいのではないかという気がします。
この安心感のゆえに商業ベースで利用されやすいのでしょうが、安易な「名作」が多いとすれば、我々は通常とても脅えながら生きている(そこを見透かされている)ということなのかもしれません。
名作とは、内面の発露精神性と、技術性が一体となったものでしょうね。問題は、商業戦略ですね。その風潮にどうしても乗せられて、煙に巻かれる。そういうことを個人的にはなくしたいです。おっしゃっているようなベストセラーものですね、商業戦略としても本当に腹が立ちます。われわれの弱み依存症、そういうものをあおるものですね。もし、過度にそういうものがなければ、逆にそれに慣れて自分自身の基準を作りやすい環境になるのではと思います。
No.1
- 回答日時:
う~ん。
ただ、技術力の優劣は厳然としてあるわけで。ただの落書きやただの粘土遊びが”名作”になる事は決してないですよ。(多分、ね。少なくとも教科書に載ってるような”名作”は、例外なくそういう技術力のある人の手によるものだったと記憶してます。)詩であれ歌であれ小説であれ、映画であれ音楽であれ、そういう一見技術とは何の関係もなさそうなものにも技術はあります。韻やリズム、まとまりや構成力などなど”伝えるための技術”が詰め込まれているわけです。
例えば、音楽業界では沢山の人達がデモテープとかを作って応募したりしてるわけですが、”試みが面白い”だとか”センスがある”だとかで選ばれてるわけではないのですよ。ちゃんと練習を積んで技術の蓄積をしてきて、”最低限聞ける音楽”であるのが大前提になってるわけです。移調におかしいところはなかったか?とか、和音はちゃんと理論に基づいているか?破綻してないか?とかそういう基本的なところをちゃんとやってるかが大前提なんですよ。
映画なら、カメラワークとか構図、ストーリーの構成を最低限見れるものにしてるか?
小説なら、読める文章であるか?文法におかしいところはないか?とか。
基本的なところはクリアしている(または”達人”レベルの基本技術の蓄積)のが”名作”なのではないかな?と僕は思います。
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