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今「舞姫」反映する道徳倫理思想観についての論文を書いています。この文章の道徳倫理思想観は主に何を反映するか?また、この中から、森鴎外本人のどの道徳思想を見えますか。
教えていただいて、ありがとうございます。

A 回答 (2件)

鴎外は一貫して正義を追求した作家だったと思います。


描かれるのは弱者や敗者です。
「舞姫」はエリートの太田豊太郎が主役のようですが、鴎外が描きたかったのは愛を信じて裏切られるエリスの方だったと思います。
論文を書いておられるならご存じと思いますが、当時のエリート日本人の中には現地妻を捨てて帰国する輩が多く、それに発憤したのが小説を書く動機の一つにもなっていたようです。
同じような女性の悲劇を書いた「雁」、社会の底辺で誠実に生きようとした人間の悲劇と救いを描いた「高瀬舟」、けなげな少女が社会の矛盾を突く「最後の一句」、忠義故え死に至る「阿部一族」等々、どれも「これでいいのか!」という鴎外の憤りを感じます。
でも鴎外は政府側の人間だったのでその怒りをストレートに表現することが出来ませんでした。
文学に限界を感じた鴎外は晩年の史実小説に向かっていくのだと思います。
長くなりましたが、鴎外の道徳観は「社会に対する正義感」だと思っています。
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利己主義の思想では??

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Q森鴎外の「舞姫」の感想を600字程度で書いていただけないでしょうか?よ

森鴎外の「舞姫」の感想を600字程度で書いていただけないでしょうか?よろしくお願いします。

Aベストアンサー

この『舞い姫』を読んで自分なりに感じた事は、人間の持つ「二面性」が悲劇的且つ強烈に描写されている、という事です。太田豊太郎の相沢謙吉に対する心中の言葉にそれが見受けられます。。「相沢謙吉が如き良友は世にまた得がたかるべし。されど我が脳裡に一点の彼を憎む心今日までも残れりけり。」相沢謙吉という二度と得がたい程の友を持ちながら、その友にエリスとの関係を引き裂かれた形になった豊太郎。ただ引き裂かれたのならまだ救いはありますが、エリスの心理的病が進行し、しかもお腹の中には彼の子供が宿っている。豊太郎としては傍にいたかったであろう事は想像に難くありません。まさに『究極の選択』を描いた問題作とも言えるでしょう。また、作家でもあり医者でもあった鴎外だからこそ、このエリスの救い様の無い悲劇を表現できたとも思えます。この作品は、豊太郎は、結果、愛するエリスよりも仕事をとり、相沢は二人の仲を引き裂き、エリスには悲劇しか残らなかった、という三人の環境を取り巻く要素を心理的に複雑に絡め、豊太郎の「この世に相沢よりも友人と呼べる人間はいない。しかし、彼に対し憎悪の感情がある事もまた事実だ」という人間が誰でも持ち得ている「煩悶」を見事に導き出す鴎外の複雑な思いを描いたものと言えるでしょう。時代背景を考えても、敢えて国際恋愛の難しさを描写した鴎外。エリスは、その現実に対し何を感じたのでしょうか。

(594文字、句読点を含む)

下手な文章ですが、こんな感じで如何です?

この『舞い姫』を読んで自分なりに感じた事は、人間の持つ「二面性」が悲劇的且つ強烈に描写されている、という事です。太田豊太郎の相沢謙吉に対する心中の言葉にそれが見受けられます。。「相沢謙吉が如き良友は世にまた得がたかるべし。されど我が脳裡に一点の彼を憎む心今日までも残れりけり。」相沢謙吉という二度と得がたい程の友を持ちながら、その友にエリスとの関係を引き裂かれた形になった豊太郎。ただ引き裂かれたのならまだ救いはありますが、エリスの心理的病が進行し、しかもお腹の中には彼の子供...続きを読む

Q舞姫について

高校の頃、教科書で学び、最近改めて読み直しましたが、大学になった今でも私が成長してないのか(^^;読後の感想は変わりませんでした。
文体が美しかったり、文学的要素はあるのだと思います。が、確か自分をモデルにした小説だったと思いますが、内容がどうも私には、筆者が「自分はエリートな男な上に、女にももてるんだ」と自慢しているようにしか感じられないのです。そもそも、女をあんな目に合わせて、それを小説化するとはどういうことだと私は思ってしまいます。
しかし、教科書にも載る程の文学ということは、何か内容的にもすばらしいところがある気がします。
そこで、私とは違い、この小説の内容はこんないいところがあると理解できる方、是非どんなところか教えて下さい。
この作品に対して違った見方をしてみたいです。

Aベストアンサー

明治文学の一愛好者として回答させていただきます。

まず、ほかの回答のなかにも誤解していらっしゃる方がいるようですが、『舞姫』に出てくる太田豊太郎は森鴎外の創作人物です。
にもかかわらず、『坊ちゃん』の主人公と夏目漱石をだれも同一視することはないのに、鴎外と豊太郎を平気で同一視して解釈しようとする人が多いことが不思議です。
まず、鴎外=豊太郎とする見方を捨ててください。

>女をあんな目に合わせて、それを小説化するとはどういうことだ

鴎外がElise Wiegertという女性と恋愛関係にあったことはいくつもの資料が指摘するところです。

けれども、鴎外が帰国した二ヶ月後の明治二十一年九月十二日、彼女は鴎外のあとを追って来日、築地の精養軒ホテルに一ヶ月滞在した後、帰国します(鴎外は、二十二年後、48歳という年齢になって、その経験をもとに『普請中』という短編を書いています)。

このElise Wiegertがどういった人物なのかはよくわかっていないのですが、とにかく鴎外を追って単身日本に来れるような彼女が、少なくとも作品中の「エリス」とはずいぶん境遇がちがったことは間違いない(当然狂気にも陥っていないし、妊娠の事実も疑わしい)。
むしろ、ごく普通の恋愛だった、と見るべきではないかと思います。

>筆者が「自分はエリートな男な上に、女にももてるんだ」と自慢しているようにしか感じられないのです

自慢がしたいなら、「エリス」を令嬢として描き、そんな極悪非道な仕打ちを書くかわりに、どれだけ彼女が別れをつらがったか、さらに「彼女ったらオレを追っかけて、日本にまできたんだゼ~、どうだ、オレってすごいだろー」と書けば、(文学として成立するかどうかはともかく)作者の自尊心は、はるかに充たされるはずです。

豊太郎はエリスに対してひどい仕打ちをする。
おそらく『舞姫』を読む人のだれもが、太田豊太郎を嫌いになるはずです。
豊太郎の行動を、批判するはずです。
憐憫を持つことはできても、好きにはなれない(たとえば「坊っちゃん」をキライになるのがむずかしいと同じくらい、豊太郎は好きになるのがむずかしい人物です)。

どうして鴎外は、あえて主人公をそのような人物として造型していったか。
また同時に、そんなひどい人間を描いた小説が「明治時代の青春を象徴する小説」(中村光夫『日本の近代小説』岩波新書)として、今日まで読み継がれてきたのか。
そこを読み解いていかなければならないと思います。

この場で読解をやっていく時間もスペースもありませんので、比較的手に入れやすい参考文献をひとつあげておきます。
山崎一穎『森鴎外 明治人の生き方』筑摩新書、とくに第四章「作家誕生 ――『舞姫』を読む」では、読解と作品が誕生した経緯が描かれています。

「鴎外が『舞姫』を発表した時、不特定多数の読者を対象にしてはいない。豊太郎の文脈に添えば、手記の読者として想定可能なものは、「心ある人」であり、豊太郎とエリスとの行実を「あやしみ、又た誹る人」であろう。これを鴎外の文脈で語るならば、エリス(エリーゼ)に代表される西欧の自由と美に象徴される市民精神を自らの手で扼殺した己れの生のあり様を「心ある人」に告白することであり、「この行ありしをあやしみ、又た誹る人」として陸軍軍医部の上官、特に石黒忠悳へ向けられた痛烈な刃であった。おそらく『舞姫』発表は対自家用(鴎外の母や妻登志子)を超えた標的に向けて放たれた小説であり、鴎外としても自己の進退を賭けた表現であったと言える」(引用同)

以下、簡単にわたしの解釈を書きます。
やはりこの小説を読むとき、何よりも忘れてはならないのは、明治という時代の特殊性です。

こんにちのわたしたちは、「日本」というものをそれほど意識せずに生活していますが、江戸末期に生まれた文学者、たとえば坪内逍遙も、二葉亭四迷も、そして鴎外も漱石も、「日本」をどうしていくか、が、自分の人生をどう生きていくか、と表裏の問題としてあった(エリートというのは、そのような社会的重責を課せられた存在でもあったのです)。

とくに鴎外は、ほかの文学者たちが、ともかくも文学を専業(二葉亭の場合はなかなかそういうのもむずかしい側面はありますが)としていたのに対して、陸軍の軍医として、作家とは別の顔を持っていた。

おそらくは鴎外の内面は、公的な生活の充実にもかかわらず、ひどく空虚な部分があったのではないか。
その空虚さとは、当時の日本の「外発的開化」の現状とも結びついていた。
鴎外の創作活動は、その精神的空白を見据え、なんとか埋めようとしたものではなかったか。
その空白は、早くも『舞姫』のなかに胚胎していたと思うのです。

冒頭、豊太郎は自己を恨みます。自分のしたこと、自分の卑しさを、だれよりもよく知っている。
おそらく豊太郎は、どれほど世間的に成功しても、みずからに対する尊敬の念を取り戻すことはできないでしょう。
だれよりも、鴎外がそれを許さないものとして『舞姫』を創作した、と考えることができると思います。

『舞姫』はこの文章で終わります。
「相沢謙吉が如き良友は世にまた得がたかるべし。されど我脳裡に一点の彼を憎むこゝろ今日までも残れりけり」

相沢謙吉とは誰か。
豊太郎を日本に連れ戻した友人は、同時にまた母であり、日本でもあったのではなかったか、と思います。

明治文学の一愛好者として回答させていただきます。

まず、ほかの回答のなかにも誤解していらっしゃる方がいるようですが、『舞姫』に出てくる太田豊太郎は森鴎外の創作人物です。
にもかかわらず、『坊ちゃん』の主人公と夏目漱石をだれも同一視することはないのに、鴎外と豊太郎を平気で同一視して解釈しようとする人が多いことが不思議です。
まず、鴎外=豊太郎とする見方を捨ててください。

>女をあんな目に合わせて、それを小説化するとはどういうことだ

鴎外がElise Wiegertという女性と恋愛関...続きを読む

Q森鴎外「舞姫」の豊太郎をどう思うか

 こんにちは。タイトル通りです。
 以前も似たような質問をさせていただいたのですが、もっと多くの意見を聞かせていただきたいと思い、もう一度質問させていただきました。

 舞姫の主人公・太田豊太郎を、あなたはどう思いますか?
私は無責任だな、言い逃ればかりしているな、と呆れや腹立たしさを感じます。それも含め「舞姫」という作品は大好きです。

 アンケートのようなものなので感じたことをご自由にどうぞ。
どこのシーンにその感情を一番強く感じたかも書いていただけると嬉しいのですが、面倒くさければ、「かっこよかった」など単語レベルでのご回答でも構いません。


よろしくお願い致します。

Aベストアンサー

豊太郎の苦悩の深さがよく伝わってきて、この作品はとても好きです。

難しい選択ですが、単純に「愛」と「仕事」の二択として考えると、自分の一生を左右する決断として間違ってなかったと思います。本来なら同じ天秤にかけるべきではないのでしょうけど。

廃人になってしまったエリスは本当に気の毒ですね。

でも。。そもそも初めから、豊太郎は日本に帰りたかったんですよね。
もしベルリンに残っても、自分の可能性を捨てた事に一生後悔するでしょう。

良かったシーンというか、ドイツに行ってる間の葛藤とエリスからの手紙がいいですね。
エリスが釘を刺すような内容の文面は、豊太郎の優しい心につけこんだ脅しにもとれますし。

あと最後、相沢に責任転嫁するのは良くないですね。彼のおかげでもあるのに。


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