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漫画を読むことって読書っていうんでしょうか?

漫画は本というでしょうか。

作文を書く時とか場合によると思いますが、特に何も事情がない場合は読書というと思いますが皆さんはどう思いますか?

A 回答 (9件)

この質問は色々な説を並列して検討する会のようになっていますが。



私も「読書」というのは当っていないと思います。
ですが私は「読」が当っていないからではなくて、「書」のほうがそぐわないからだと思うのです。
マンガとは言えじっくり読んで楽しむものではあります。ただ見ているだけではわかってこない部分も多く、やはり「読む」という言葉がしっくり来ると思うのです。「マンガを見る」だけの人は浅い読み方をしている、あるいはそういうマンガしか見ていない、と私などは思います。

でもマンガが書物かというと違うと思うのです。
理由は主にこれまでの習慣です。
江戸時代には本の出版元は「書物問屋」と「地本問屋」に分かれていて「書物」のほうは「仏書・漢籍など硬派の書物を出版」、地本問屋のほうは「草双紙・洒落本・人情本などを出版」したと広辞苑にあります。江戸時代にはエンターテインメント的な本は「絵本」(今のマンガ)「読(よみ)本」(小説読み物)「地本」(江戸で出版された小説・草双紙)等々に分類されていたようです。
ともあれ「書物」が比較的硬い、勉強のための出版物を意味するという了解は現在でもあるように思います。
そこから言うと小説を読むのもなんとなく「読書」と違うような気も私などはします。
「読書が趣味」もありえないような感じもするのです。

「本」はああいう綴じた形の出版物は内容の硬さに関係なくそう言うと思います。電話帳や名簿は言いませんけど(普通は「読む」ものではない、簿や帳がすでについている)、カタログはカタログ本とも言いますね。漫画本はまぎれもなく漫画本でしょう。

「マンガの本を読む」「マンガを読む」で良いと思います。
ただ月刊誌・週刊誌よりも単行本のほうが「本」というイメージですが。
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この回答へのお礼

詳しい回答ありがとうございました。よく分かりました。ありがとうございました。

お礼日時:2010/05/31 12:33

 私の理解では,読書という言葉はかなり狭い意味で使われています。


 読書の条件
(1)文字で記載された書物であること。漫画,画集,写真集などは含まない。
(2)目的が趣味であり,且つ,読むこと自体が目的であること。例えば,旅行の準備のため,ガイドブックを読むことは読書ではない。
(3)報道を主目的とした書物は含まない。したがって,週刊誌は含まない。月刊誌は,場合によっては含まれる。
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AN.6の回答者さんの漫画に対する熱い思いには私も大いに賛同しますし、例に挙げられた漫画も全部読んでおり高く評価していますが、しかしながら



>漫画を読むことって読書っていうんでしょうか?
と言葉の意味解釈について国語のカテゴリで質問された以上、私も
「『読書』とはいわない人が圧倒的に多い」だろうと回答させて頂きます。

今から数十年後には日本語もどう変化しているかは判りませんが、
少なくとも現状では大多数の人がしっくり来るのは、既にご回答の出ているように「漫画を見る」「漫画を読む」という言い方しかないと思います。

なお「コミック」カテゴリでのご質問で質問者さんのお好きなマンガのいくつかが判りましたが、
> 特に何も事情がない場合は読書というと思いますが
う~ん、事情の有無にかかわらず「読書」と呼ぶにはかなり難があると思われました。ゴメンね。
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>漫画を読むことって読書っていうんでしょうか?



私は、言っても差し支えないように思います。サブカルチャーではあるし、その内容は種々雑多で、メッセージ性はあっても、文学に匹敵するような基準やボーダーラインがありません。しかし、読書の「本を読む」ということと、「漫画を読む」ことの差というのは、どれほど違うのでしょうか。漫画には、一般の大衆小説などよりも、はるかに文学性・芸術性の高いものがあります。だから、読書感想文もアリだと思います。

今、NHKの朝の連続ドラマで、『ゲゲゲの女房』ってやっていますよね。その時代背景を調べてみて気がついたことがあったのですが、そこで、番組では、この先にはなりますが『ガロ』の青林堂が出てきます。『ガロ』の代表というと、白土三平氏の『カムイ伝』がありますが、『カムイ伝』は、京都の大学の入試試験に使われました。いわゆる弁証法的唯物論を表現したといわれ、当時、話題になりました。

そういう流れは、あまり長い期間続いたわけではないにしても、白土三平氏も、『ねじ式』のつげ義春氏にしても、少なくとも、大学生クラスでないと、本当には理解できないと思います。宮沢賢治さんの本がよくて、ますむらひろしさんの漫画がダメだなんて思えません。ますむらさんの表現力や発想は、宮沢賢治さんの小説に勝るとも劣らないと思うのです。事実、ますむらさんの『銀河鉄道の夜』の映画は、宮沢賢治さんの小説の雰囲気を忠実に表現していたと思います。

片方で、1960年代には、もう手塚治虫氏は漫画の神様のようにいわれてきたけれども、時代背景からしたら、彼の持つ反体制思想は、かなり問題のある内容だったと思うし、それを許した出版社とか、そんなことを考えていると、漫画はひとつの文化だったような気がしてならないのです。未だに、その流れは続いていると思うのです。漫画評論家には、有名な尾崎秀樹氏というような人もいます。

少し前になるのですが、『エヴァンゲリオン』の影響は、絶対に売れないような宗教の専門書が売られるようになったし、ユング心理学がにわかに活気づいたのではないでしょうか。近年では、さいとうたかを氏の『ゴルゴ13』の情報などは、かなり世界情勢の勉強になるはずです。

団塊の世代によって、漫画は支えられてきたとも言えます。全共闘時代の学生によって、もてはやされたものも多くあります。

たかが漫画、されど漫画です。公の場で、それをはばかるような人間は、逆に、こちらから、ダメだししてもよいのではないでしょうか。しかし、やはり、国とか政府とは別の所で、こうした文化を守らなくてはならないだろうとも思います。
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>漫画を読むことって読書っていうんでしょうか?



いいません。

A「ご趣味は何ですか?」
B「読書です。」
A「どんな本を読まれますか?」
B「漫画です。」
A「えっ!?」と驚く。

Bさんの返事は「趣味は漫画を読むことです」がいいと思います。
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>漫画を読むことって読書っていうんでしょうか?


言いません。
漫画は絵を主体とした表現物です。「漫画を見る」というのが正しい表現です。グラビアばかりの写真本を見ることを読書とは言わないのと同じです。
>漫画は本というでしょうか。
本です。俗に”まんがぼん”と言うとおりです。でも上記の通り本にもいろいろあって、読書は文字主体で表現されたいわゆる「書」というものを読む作業のことです。
>作文を書く時とか場合によると思いますが、
このあたりが意味不明です。「作文する」とはいいますが「作文を書く」というのは重複表現です。もっとも、そういう言い方が今市民権を得ているらしいことは知っています。
漫画を題材にして作文する場合のことを言っておられるのでしょうか。少なくとも作文という行為そのものは読書とは言いません。
もちろん、私は漫画を味わう作業を貶めている積りは毛頭ありません。漫画にも何度も味わうに値する素晴らしい作品が多数あることは承知しています。
ご参考まで。
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常識では,マンガを読むのは読書とはいいません。



でも,推薦入試の面接試験で,

 受験生「歴史の読書を通じて貴学部に興味を覚えました。」
 面接試験者「もしよければ書名をあげてください。」
 受験生「はい! 『マンガで読む日本史』です。」
 面接試験者(内心で)「ぷっ! こりゃだめだ。」

という場面が実在するのも事実です。
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読書だと思います。



ただ、感想文などでの題材に出来ませんが、完全に間違いなく漫画は本です。

他に言い方があるのなら知りたいですが・・・。

因みに、
学業等での感想文や作文などで、時事漫画や風刺漫画などを主題とすると、
何故か再提出には成りません。
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読書の言葉は漫画が出来る前の言葉で、本を読む事を目的とした言葉ですから、漫画は見ると言う言葉のほうが当たっています。


が、適当な言葉がないので、どちらにも使用します。
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