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貧乏ゆすりを不快に思うことについて


私の弟は、貧乏ゆすりをよくします。

私はそれをされると不快な気持ちになるので、「やめなさい」と注意すると、「うぜぇ」と言われますが、なんとかやめてくれるので、私の注意の意味はわかってくれているのだとわかりました。

しかし今日、弟がテレビの下にあるDVDなどを収納する台のガラス戸を、寝転がりながら足で開けたり閉めたりを繰り返してました。
マグネット式なので、開閉されるたびにカチャカチャ音がたつので、視聴の邪魔だと注意すると、また「うぜぇ」となりました。
「そんなん気にすんなよ」と言われたので、「貧乏ゆすりと同じで、周りにいる人を不快にさせるからやめなさい」というと、弟は「つーか、貧乏ゆすりを不快に思うやつの方が不快。頭おかしいんじゃねぇ?」といってきたのです。

もう私は何も言いませんでした。
自分の弟とはいえ、なんて下品なんだろう、横暴なんだろう、と思いました。

しかし、しばらくたつと、怒りや不快感も薄れ、もしかしたら弟の言う通りなのかなとも思いました。

貧乏ゆすりを不快に思うこと事態が、その人の癖を自分の勝手によって否定することこそが下品なのか、と。

カチャカチャ足でガラス戸を開け閉めするのだって同様で、私の心が狭い、もしくはヒステリックな神経の持ち主なのかもしれない、と。

貧乏ゆすりを悪と断定するのは間違いなのか。

不快だと思うことこそがおかしいのか、なんだか怒りともつかない不安になって質問させていただきました。

申し訳ありませんが、お答えいただきたくおもいます。

A 回答 (5件)

貧乏揺すりは品がないという概念が昔の日本にはあると思います。

今は?というと、わかりません。でも私も不快に感じる1人です。
ただ、貧乏揺すりはそれでよい効果もあるそうです。
緊張を緩和したり、力まなかったり。
そう言うことを考えれば否定することもおかしいのかなぁとは思います。
でも貧乏揺すりが下品に見えるって言うのは日本人の感性の一つだと思いますよ。
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英語ではRESTLESS LEG SYNDROMEとして 神経性疾患とされています。


ロシアでは、マナーが悪いとされています。
韓国では、落ち着きのなさから幸せが逃げるとされているそうです。

不快と感じる方が普通ですよ。

うちの旦那がそうです。
そうそう治らないですよ。

一時効果的だったのは、「わああ!!!!地震!!揺れてる!!」って大袈裟にするんです。
それが貧乏揺すりと分かった時の、冷やかな周囲の視線を感じてもらうんです。
周囲に人がいようが、部屋で人がいなかろうが、大袈裟にするんです。

何言われようと、「あ~怖かった、揺れてるから地震と思った」で通せばいいんです。
ちなみに、最初の2回は演技ではなく、本当の地震だと思いました。

悪?ではないと思います。極めて不快だと思います。
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「その下品な癖、女にもてないよ」


「女性が最も嫌う仕草だわ」
「それが原因で振られた男を知っているよ」

まあ、こんな言い方で注意すれば、
男としては気をつけるようになります。
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「不快」なのはもちろん、「マナー」として如何なものでしょう?


弟さんがお幾つか解りませんが、社会人となり例えば接客の仕事に就いた場合・・・。
恥ずかしい思いをするのではないでしょうか?
少しでも早い内にその癖は直して貰うべきかと思います。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
私も同感です。
下品だし、みっともないし、マナーとしていかがなものかと思って、貧乏ゆすりされる度にそのように注意するのですが、それがよくわからないようなんです。
挨拶、敬語などの礼儀は礼儀として受け止めるのですが、貧乏ゆすりをしない、というのは礼儀として認識してくれないようなんです。

何回も説明するのですが、「別に不快に思わないから」と、切り返されてしまいます。
たぶん、弟は私を特別に神経質だと思っているのだと…。

弟が周りに悪く思われたり、それによって悲しい気持ちになって欲しくないのですが…。

やっぱり貧乏ゆすりはマナー違反ですよね。
注意しすぎて、これが本当に正しいのかよくわからなくなってしまっていました。

回答ありがとうございました。

お礼日時:2010/06/07 02:01

>貧乏ゆすりを不快に思うこと事態が、その人の癖を自分の勝手によって


>否定することこそが下品なのか、と。

自分の好み、理想はありますよね。
TVを見てるのだから聞こえなくなるような雑音をそばで出してほしくない。
当然の欲求だと思います。

他方、弟氏が貧乏ゆすり、扉をガチャガチャしたいというのも
「自分がそうしたい」という欲求を満たす行為です。

>「そんなん気にすんなよ」と言われたので、

というのも、弟氏から見れば「そっちだってTVで音立ててるじゃん。こっちも音を立てたいように立ててる。
同じようなことしてるんだし、気にしなけりゃいいだけじゃん」という事でしょうね。
まぁ、TVの音が聞こえない、とう想像力を欠いた言い分でもありますが。

1つの場に複数の人間がいて、それぞれの欲求があって、両立できず衝突する場合というのは多々あります。
満員電車での押し合い、道を歩いていても、バーゲンで取り合いになってもそうです。
そのような場合、大抵は一方或いは両方が少しガマンして譲歩する事で、衝突回避し、問題にならずに済みます。
両方が譲れ(ら)ず、相譲れない要求を通すべく、腕力、武器を使うとケンカや暴力事件に発展することもあります。

>貧乏ゆすりを悪と断定するのは間違いなのか。

悪、まで言ってしまうと横暴だと思いますが、
自分の欲求に合ってないし、そんなに必要とも思えないからやめてほしい。
という欲求で、それを伝えたのに「貧乏ゆすりを強行する」のは反感もちますよね。

>不快だと思うことこそがおかしいのか、

おかしくはないと思います。不快なものは不快。
ただ、もしも質問者さんに、少々の不快はガマンできるという心の余裕があると、気にならなかったりもします。

先にも触れた「複数人が1つの場所にいて、お互い衝突する要求がある場合、一方(または両方)が譲れば解決する、
という方法について、
「そう。多少は譲る方がいい。そうすれば問題起こらない」→
「そうするべきだ。難しくないでしょ?みんな、そうしてよ」→
「そういう、少しの譲歩もせず、気配りもせず自分の欲求どおりしてる奴って、自分勝手だな」→
「こういうようにしなさいよ。バカ」
という、理想→新たな欲求→不快の原因人物の評価、→要求・押し付け に変化しているのだと思います。

「人の迷惑を考えれば当然でしょ」と思っても、それを押し付けられたり命令されたら、
よほど素直な人でもない限り反感を持つでしょうね。
それは、弟氏から言われた「気にしなけりゃいいじゃん」も同様。

そのような時、正答はないとは思いますが、
「不快な原因」をやめさせる(やめてもらう)方法の1つに、
「迷惑だからやめてよ」でなく「それ気になってしょうがないので、できれば控えて」のように
「オブラートで包む言い方」があります。
要求でなくお願い、という形にするわけですね。

あまりに追い詰められると、「オブラートに包む」余裕すらないかもしれません。
あまり貯めないうちに、心の余裕があるうちにうまく(問題起こらないような言い方で)伝えるのが
よろしいかと思います。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
とても理路整然としていて、私なんかにこんな丁寧な回答を貰えると思っていなかったので、すごく嬉しかったです。

身内にたいして私は口調がキツくなってしまいがちなので、そこも弟の気持ちを逆撫でしてしまう原因になってしまうのはわかってはいたのですが……

溜め込まない、というのは本当におっしゃる通りですね。

家事をやっていると、弟の粗暴な物の扱いやだらしなさが余計に目について、そういうのが口調や態度にあらわれていたのですね、きっと。

でも、ガラス戸のカチャカチャはともかく、なぜ貧乏ゆすりに不快感を抱いてしまうのでしょう?

これは弟に対してだけでなく、他の方にも言えることなのですが、なぜか嫌なプレッシャーを感じてしまうんですよね。
インターネットで貧乏ゆすりを検索しても、不快に思う方はいっぱいいらっしゃるのに、その理由が曖昧、もしくは私にしっくりくるものがなかったりで…。

とりあえず、家族にたいしても、コミュニケーションの基本である思いやりをもっと心がけようということを改めて感じました。

回答ありがとうございました。

お礼日時:2010/06/07 01:47

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