【お題】王手、そして

サウンド・オブ・ミュージック の感動のシーン 勇気ある行動の気持ちが知りたい

映画サウンド・オブ・ミュージック、
最近話題に上ることもありませんが、不朽の名作だと思うので、ストーリーの細かいところを覚えている方がいらっしゃることを祈ります。

子供の頃は純粋に音楽とラブストーリーに魅せられたのですが、歴史を学んだ大人になってから見直すと、一つ強烈に胸打たれたシーンがあります。

終盤にトラップ大佐が墓地で、追手であるヒトラーユーゲントの、娘の恋人から、逃げるでもなく怒りをぶつけるでもなく戦うでもなく、説得しながらひるまずに大股で近寄るシーンです。
映画の本線に関係ないのでカットしても良さそうですが、監督はどうしても入れたかったのだろうな、と思いました。

「君のような若い者たちは見せかけにだまされているだけなのだ。目を覚ませ。そして一緒に行こう」

みたいなセリフです。自分に銃を向けている「娘の恋人」(父親から見たら敵!?)に、一緒に来いとまで言えるのは深イイと思いました。銃を持っている方が圧倒的に強いのだから、あんなに大股で近寄れるのは何でしょうね。

(1)相手を良い男の子だと信じている(ある意味なめている)のでしょうか、

(2)怖くてたまらないけど虚勢(はったり)をはっているのか、

(3)撃たれたら撃たれたでしょうがないという勇気の持ち主(相手を信じるというよりも、人はそう簡単には人を傷つけないという平和主義を信じている)なのか、

(4)家族が逃げるまでの時間かせぎに必死だったのか・・・。

(5)その他か。

お返事に番号書いた上でご感想をお願いします。

A 回答 (2件)

映画の解釈は人それぞれであるべきですが、私は(5)、「人として大事なものを見極め、それに向かって行く勇気を持つことがこの映画のテーマだから」です。



まず、あのシーンには伏線があります。「I am 16 going on 17」の歌です。私は映画を初めて観た時、まだ小学生で「おねえさん、おにいさんの恋がステキ」なんて思ったものですが、息子が彼の年齢になった今、ようやくハッとしました。あれって、むちゃくちゃ背伸びしている歌だったんですね。ちなみに曲を作った人は当時、オジサンでした。

で、そういう純真で頑張っている若者が戦争に翻弄されていくという、史実に基づいた物語なのですね。しかし、その本筋にあるのは、冒頭でマリアがそうしたように、そして最後には大佐がそうするように、自分が人として正しいと思ったことのためには大きな勇気をもって突き進もう、という変革精神を謳っているのが『サウンド・オブ・ミュージック』なわけですよね。ちなみに映画公開は1965年、公民権運動の時代です。

あのガチガチの保守だった大佐が最後に青年と向き合う時、結婚した時にも増して人間味が前面に出たのだと、子供ながらに感じたのを覚えています。それに反比例するようにして、青年はガチガチの保守になっていきます。

「相手を良い男の子だと信じている」というのとは、ちょっと違うと思いますが、大佐は“大人”として当然のように、若い青年を導きたかったのだと思います。そして娘をしあわせにしてやりたかったのだと思います。そして“男”として堂々と彼と対面したのだと思います。ついでに言うと、あそこで一応、青年に救いの余地を与えておかないと、前半でハンサムな良い奴だっただけに、お芝居として観客に申し訳が立たないでしょう。

この回答への補足

残念! 10ヶ月弱受付してみましたが、注目度は低いみたいなので締め切らせていただきます。
お二方とも貴重なご意見ありがとうございました。

補足日時:2011/04/03 08:48
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この回答へのお礼

あぁ、深い…。とても深い。

ご回答を読んでいてじんと涙すら湧き上がってきました。


私には全く欠けていた見方でした。
おっしゃる通り、映画の見方は人それぞれです。むしろ、世代によって受け取り方は人それぞれで、10代の感想と60代の感想は異なってしかるべきでしょう。製作者のメッセージを一つに限定するのは無粋かも知れません、良心的な製作者はむしろ

「後は観客がそれぞれにいろんなことを感じてくれれば良い」

と思っているかも知れません。
この質問に関しても「正解」は決めないようにしておきます。
でも、こうして、他の方の見方を聞くのはとてもためになりますね。
このシーンはこういう意味があるんだよ、と聞いてからまた見直すと、
映画の楽しみが増えます。

あ、この映画ごらんになったことない方は、この質問見ずに(先入観持たずに)先に映画を鑑賞してくださいね。


そうか…。軍服に身を包んでいても、大人に「なりかけ」の世代だから、大佐との対峙の場面でも、「背伸び」という背景を考えると見方が変わってきます。
映画はミュージカル先行だから、多少大げさな場面もあるかも知れません、現実にはそんな対応はしないだろう、というような演出もあるかも知れません、特に、墓場のシーンは「見せ場」の一つだから「作られた台詞」もあるでしょう。でも私はサウンド・オブ・ミュージックが大好きだから、映画を冷めて見るような、うがった見方はやめときます。
大佐は、相手が未来に無限の可能性を秘めている、導いてあげるべき10代であることを見越した上で、ある意味

「彼への愛情も示した」

ということですね。この時の大佐は、全ての人を救えるくらいの、愛にあふれていたのでしょう。
それが、
「大佐が最後に青年と向き合う時、結婚した時にも増して人間味が前面に出たのだ」
というご意見の、私なりの解釈です。
大佐がガチガチの軍人のままなら、有無を言わさず武力で対抗していた、と私は想像しています。

なるほど、青年はガチガチの保守になっていく、という二人の対比、「対比」という見方も勉強になりました。
マリアだけでなく、変わっていくトラップ大佐こそこの物語の主人公、と改めて認識します。

大佐は“男”として堂々と彼と対面した、そうか、私の心の奥底で感じていたかっこよさはそれですね、言葉になって出てきませんでした。


一応、選択肢を再掲させていただきます。

(1)相手を良い男の子だと信じている(ある意味なめている)

(2)怖くてたまらないけど虚勢(はったり)をはっている

(3)撃たれたら撃たれたでしょうがないという勇気の持ち主(相手を信じるというよりも、人はそう簡単には人を傷つけないという平和主義を信じている)だから

(4)家族が逃げるまでの時間かせぎに必死だった


(6)リーズルを好きならば自分の一家に危害を与えないであろう

(7)トラップ大佐は軍の大佐という経験に裏打ちされた、たかが一兵卒に引き金を引かせない絶大な自信があった((2)とは違います)

(8)むしろ堂々と大股で近付く方が相手も銃を撃つ本気にはならない、もしくは若者が銃を撃ったことがないから最初の一発を撃つまでには相当の覚悟がいる、という大佐の綿密な計算があった

(9)最初に見つけられた相手が知っている相手だったので、「ラッキーだ」と思い、言いくるめるのに必死だった

(10)人として大事なものを見極め、それに向かって行く勇気を持つことがこの映画のテーマだから
  & 大佐は“大人”として当然のように、若い青年を導きたかった、そして娘をしあわせにしてやりたかった、そして“男”として堂々と彼と対面した (勝手にまとめてすみません)

(5)その他。

他の回答者様も(1)~(10)でお願いします。


ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2010/06/13 08:19

私もこれは名作だと思います。


未だにたまにDVDを出しては見ています。

たしかにあそこの解釈はむずかしいものがありますね。

選ぶとしたら(5)のその他でしょうか。

私にはあの青年はあまり覚悟というものはなく、ただ時代の流れでそうすべきなんだ!と
軽い洗脳状態にあり、しかしリーズルを好きならば自分の一家に危害を与えないであろう。
そしてあわよくば洗脳状態をとけるかもしれない(「君のような若い者たちは見せかけにだまされているだけなのだ。目を覚ませ。そして一緒に行こう」からも、大佐は見抜いていたんではないかなと)
という一種の願いを持ちつつ勇気を出して歩み寄ったのではないかと思えます。

見る限り、途中までは一緒にとはなくとも逃がしてやろうかという迷いが見えるんですが、
>>「君のような若い者たちは見せかけにだまされているだけなのだ。目を覚ませ。そして一緒に行こう」
この言葉により、男としてのプライドで笛をふいてしまったように見えました。

う~ん若いwww
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この回答へのお礼

早速のご回答ありがとうございます!

やはり大佐にとっては、相手が
追手だろうと
ナチスだろうと
銃を突きつける危険そのものだろうと
娘にこっそり寄ってくる虫だろうと(確か一度もあいさつをしていない)

大事な大事な、娘の愛した相手だから、
信じる価値にかけた、
という見方が適切かも知れませんね。

それだけ、大佐のリーズルに対する信頼感・愛情も深い、という証明であるかも知れません。
「将来娘の夫になるかも知れない相手(「一緒に来い」とはある意味交際を認めているのでしょう)」
のことは、大佐は「敵」だとは思わなかった、ってことですか。

私の挙げた(1)とも近い感じがしますが、

(6)リーズルを好きならば自分の一家に危害を与えないであろう

という冷静な観察力もさすが「大佐」ならではで、
いただいた考察は私の予想を超えているので、たいへんありがたいです。


そうですね、あの男の子・男という微妙な年頃で、
リーズルの夫になるためにはある意味「親父越え」をして大佐に勝たなきゃいけないし、
笛を吹かせたのは「男としてのプライド」だ、というご意見も目からウロコでした。
(私は、「仲間が近付いてきたので、自分が通報しなければ、自分自身の立場がなくなる」という焦りもあった、と見ています。仲間が来なければ、プライドだけで笛を吹いたか、想像が膨らみますね。)


青年が、
洗脳や、信条や、
リーズルに対する愛や、
大佐の堂々とした態度から溢れる威圧感や
(恐らく)初めて人に銃口を向けたことに対する戸惑い、
いろんなことの間で気持ちが揺れる様子が見て取れて、
トラップ一家に比べて完全な脇役ですが
名演技ですし、
とても好きなシーンです。
このシーンがあるとないとで(ストーリーの中で「教会・隠れてた墓地から逃げました、追手に見つかりました」と表現するだけならもっと短く編集できるはずです)
映画の深みがぐっと変わります。

監督や脚本家が「(ナチスについては語りつくされているけど、それでも)政治的なメッセージを伝えたかった」という意図も隠れているのでしょうか!?
それとも「あの頃のナチスは、オーストリア内のナチスに限らず、必ずしもナチスに心から染まっていた人間ばかりではない。一人一人のユーゲントは、彼らなりの苦悩があったのだ」という事実を演出したかったとか!?
また別の質問を立てることになるかも知れませんね(笑)


さて本線ですが、お礼の中で他の回答者向けのメッセージで恐縮ですが、選択肢を少し増やしておきます。

(7)トラップ大佐は軍の大佐という経験に裏打ちされた、たかが一兵卒に引き金を引かせない絶大な自信があった((2)とは違います)

(8)むしろ堂々と大股で近付く方が相手も銃を撃つ本気にはならない、もしくは若者が銃を撃ったことがないから最初の一発を撃つまでには相当の覚悟がいる、という大佐の綿密な計算があった

(9)最初に見つけられた相手が知っている相手だったので、「ラッキーだ」と思い、言いくるめるのに必死だった(まぁ私は大佐が、相手を言いくるめようとする性格ではないと思いますが)

です。他の回答者様も(1)~(9)(その他は(5))でお願いします。

追手を「敵」だと思わない、大佐の懐の深さに感服です。
私なら「戦うべき相手」と思ってしまいます。
改めてありがとうございました。

お礼日時:2010/06/12 19:13

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