
No.5ベストアンサー
- 回答日時:
焼夷弾(焼夷爆弾)が世界で初めて使用されたのは第一次大戦中で、1914年10月、ドイツ軍が連合軍の基地へ投下した黄燐爆弾だと言われています。
この後焼夷弾は第一次大戦参戦国の標準兵器となりましたが、日本が焼夷弾に興味を示したのは大戦後であったようです。当初は対艦船用として研究されたようですが、昭和10年以降は陸上攻撃用として研究されています。もっとも上海事変から支那事変に移る過程において、日本は英国製の焼夷弾を使用していますがこれは昭和7年の記録がもっとも時期的に早いようです。
しかしこれは当時の列強の租借地であった上海が日本と違ってコンクリート製ビルディングが多く、威力不足ということが分かり日本独自の開発が開始され、これを「6号爆弾」という非匿名で開発しています。結局この研究開発で完成したのが「98式7番6号爆弾」で、これは陸上攻撃用爆弾の流用で、この爆弾には4個の焼夷子弾が収められていて、現在その使用を世界的に禁止しはじめているクラスター弾といってもよい構造をしていました。
ということでこの後いくつかの海軍陸軍用タイプが研究開発されますが、日本(海軍航空隊)における焼夷爆弾の初めての使用は第一次上海事変で場所は上海、その焼夷爆弾は英国製ということになります。
蛇足ですが、この焼夷弾はなかなか開発に苦労したようで、太平洋戦争開戦前後に懸命な研究開発が行われましたが、結局所定の威力を発揮できるものは完成することはなく、それほど目立った戦闘記録はありません。
焼夷弾は当時でいえば最先端の技術を要する化学兵器でしたので、当時の日本では爆弾に使用する化学剤の能力向上、管理、保管、更には大量生産の問題解決が手に余ったのかもしれません。
詳しく教えて下さってありがとうございます。
よく解りました。
国産品の開発にてこずったとは意外でした。
「当時でいえば最先端の技術を要する化学兵器でした」ということですね。
余談ですが、私は地方都市(軍都)の飛行機工場のすぐ側に住んでいましたので、焼夷弾の
雨が降り注ぐのを見ています。(と言えばウソになります)
夜空が数秒間、真昼のように明るくなった後(照明弾を先に落としたらしい)、光の尾を長く曳く弾(曳光弾?)が数個落ちたのは覚えていますが、その後どうなったかは知りません。
物凄い量の爆弾や焼夷弾が落ちたと後で聞きました。
「初めての使用は第一次上海事変で場所は上海、その焼夷爆弾は英国製ということになります。」
具体的に教えていただくとイメージが湧きますね。
本当にありがとうございました。
No.4
- 回答日時:
>なにしろ「玉砕」「転進」というような「新語」を作り出す能力を軍部はもっていましたから。
「新語」とは「新しく作られた言葉」です。
玉砕や転進は以前から存在する以上、昭和期の軍部が作り出した新語というわけではありません。
たとえば、明治時代に転進という言葉を軍が使用した記録がありますし、転進という言葉の歴史は恐らくもっと遡ることができるでしょう。
転進とはつまり部隊移動ですが、意味を広く取れば撤退行動も部隊移動です。
意味の拡大解釈と言えばそれまでですが、それは「新語」とは表現しがたいものでしょう。
No.3
- 回答日時:
#1さんのおっしゃる通りです。
「夷」に、皆殺しにする、殺す、という意味があることは、下記でも分かります。http://www.chineseetymology.org/CharacterASP/Cha …
「焼夷弾」は、下記の通り incendiary bomb の邦訳です。
http://eow.alc.co.jp/incendiary/UTF-8/
昭和14年(1939)に、初期の焼夷弾に使われた黄燐の取り扱いの規定が下記にでていますから、日本軍は、この物質を扱っていたと見られます。南京大空襲などでは使っていたのではないでしょうか。
http://d.hatena.ne.jp/higeta/20090125/p1
ご回答ありがとうございます。
中国語・英語のサイトは見たことがありますので、調べてみますと、
以前の質問でSPS700様から教えていただいたサイトでした。
「日本近現代史と戦争を研究する」サイトは、じっくりと読みました。
この中に
「毒性に関して、弾の作り手向けと、それを使われる側の国民向けでは対照的な説明となっている。」
という記述がありますが、いつの時代も国民は騙される立場なのかと…。
南京大空襲ではもちろん使用したでしょうね。
No.2
- 回答日時:
どの戦争で使用し始めたかはわかりませんが、大正時代には焼夷弾を日本は装備しているといえるでしょう。
焼夷弾といっても航空用爆弾だけでなく大砲用の焼夷弾も存在しまし、日本軍はどちらも装備しています。
>自国に落とされる「焼夷弾」を、「焼夷弾」と呼んだ歌を軍部が承認したとは、皮肉です。
その弾種をそう呼んでいるのですから、そう呼ぶしかないでしょう。
太平洋戦争前に日本は国民向けに防空対策本を作成しましたが、その本に「焼夷弾」という単語がかかれています。
軍・政府主導で作成された本ですら焼夷弾と書かれているのですから、軍部が焼夷弾という言葉を承認したことは皮肉でも何でもないでしょう。
私は「夷」を中華思想から「野蛮人」の意味だと思っていましたので、「夷」を焼き尽くす爆弾という考えで「焼夷弾」と名付けたのだろうと想像していました。
ところがなんと、その十数年後、わが身に降りかかってきたわけで、「夷」とは自分たちのことになるのではないかと思いました。
「焼夷弾」のことを当時の国民は知らないわけですから、自国に投下されるのは「火災弾」と
呼ぶという考えが浮かばなかったのかと、なにしろ「玉砕」「転進」というような「新語」を作り出す能力を軍部はもっていましたから。
こんな理由で「皮肉」と表現しました。
「大正時代には焼夷弾を日本は装備しているといえるでしょう。」とのこと、
ご回答ありがとうございました。
No.1
- 回答日時:
「夷」という字には、
1.(とくに東方の)異民族という意味と
2.(たくさんの人を一度に)殺す、あるいは(王朝・民族・文明などを)滅亡させるという意味
の2つがあります。攘夷の「夷」は1の意味、焼夷弾の「夷」は2の意味でしょう。
「夷」を2の意味で使っている熟語としては、「夷滅する」なんて言葉もあります。
http://www.excite.co.jp/dictionary/japanese/?sea …
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