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人が読みにくい名前を、なぜ子供につけるの?

「歩望(あゆむ)」「大翔(ひろと)」「英雄(ひいろ)」「真実(まこと)」「天使(みかえる)」「愛声(あのん)」「楓(はいじ)」「結愛(ゆあ)」「芽生(めい)」「海(まりん)」・・・

最近は、こういう感じの名前が多いですね。
私の知り合いの女性の子も、習字の時間はさぞかし苦労するだろうな、というほど字画が多くて難解な名前を子供に与えています。

なぜ、こういう名前を子供につけるのだと思いますか?
親の思いがこもっているのは分かりますが、それでもすぐに読めないような名前をつけるのはどうなのでしょうか?

A 回答 (24件中1~10件)

 今の時代は、むしろ読みにくい名前のほうがよいと思います。


 私自身の名前も、読み間違えられやすく、中学の卒業式で卒業証書授与の時も、担任の先生に読み間違えられたくらいです。(特に先生に抗議はしませんでしたが)
 そのため、最初は嫌でしたが、最近になって、読み間違えられやすい名前のほうが、何かと好都合と思うようになりました。
 たとえば、電話がかかってきたときなど、仮に、私の名前を「○○」と読むとします。しかし「XXさんですか」などと読み間違えられると「あ、これはセールスか何かの、勧誘電話だな」と、判断して「そんな人はいません」と、電話を切ることができるためです。
 私は、必要な書類などに名前を書き込む時などは、必ず振り仮名をつけるようにしています。
 家電量販店で大型の買い物をした時など、配達の際確認の電話を入れる場合がありますが、その場合も「これは○○と読むのです、間違ってXXと読まれる方が多いですが、もしそのような読み方をされた時は、セールスの電話と思って、切らせていただきます」と、必ず断るようにしています。
 「名前には、必ず振り仮名をつける」という習慣をつければそれでよいことです。なぜそんな簡単なことができないのでしょうか。
 振り仮名さえつければ、読みにくい名前のほうがよいのです。
 名前は、暗証番号やパスワードと同じようなもので、他人が安易に読めないほうが、セキュリティ面でも安心です。親戚、友人、知人、職場の同僚や上司、子供なら学校の先生と、必要な方々だけに、正しい読み方を教えておけば、それでよいと思います。
 私は先日、女性芸能人の芸名についての質問を立ち上げたことがあります。芸名というのは、多くの方々に知っていただくための名前のはずですが、それでも最近は、何と読むのか首をひねるような芸名がかなり多いです。
 またいつものことで申し訳ありませんが、参考URLは、私がなんとかの一つ覚えのように引き合いに出しているアイドルユニットですが、ご丁寧にメンバーリストにローマ字表記がありますが、正直、ローマ字がなければ読めないような名前が、多いと思いました。
 

参考URL:http://www.akb48.co.jp/members/
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この回答へのお礼

なるほど、そういう識別のサインとして使うんですね!
確かに、回答者様を知らない人は、名前を言ってもらうだけで自ずから分かりますね。
それとAKB48ですか!
URLで気付きましたが、チームAとかKがあったんですね。
単にアキバのAKBと思っていましたが、チームの振り分けの違いは何なのでしょうね?

回答を頂き、ありがとうございました。

お礼日時:2010/10/20 19:26

二度目です^^;すみません



他の回答者さんのをみて
私の質問(アンケートですか)の受け取り方が浅かった
(読みにくい、にしか焦点を当てていなかった)
気がしました。

DQN知らなかったです。
調べました^^;
http://ja.wikipedia.org/wiki/DQN
改名後、親殺しって記事はちょっと衝撃です。
本当なんでしょうかね・・・。

確かに、質問者様の例にも良く見ると、
天使(みかえる)とかの事ですね。

当て字もDQNの要素としてあげられていましたが
大翔(ひろと)
大・・・大きい、多い、広い
翔ける・・空を飛ぶ
って意味も合っていれば私個人的にはいいと思います。
ひろと、って名前としてはおかしいとおもわないし。
あと読みの一部だけしか読まないとかも
私個人的にはいいんじゃないかと思います。
大輝も(だいき・たいき・ひろき)
この辺は増えてきて一般化してきているし。
と、思って一回目は書き込みましたが・・・、

でも・・・たしかに・・・。

どう見てもそう読まないとか
極端にいえば林檎(あっぷる)って世界の人がいるんですね?
天使つまり、みかえるって意味つながりだとしても
人として人生を生きるのに天使かー・・・って不思議に思いますね。
子供のきれいな髪にパーマかけたり染めたりする親の心境が
わからないのとおんなじ心境になりました。

由来についても
ゲーム、アニメはもちろんですけど
たまひよみたいな雑誌だけで決めてしまう親にはなりたくないと思いました。
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この回答へのお礼

再び、ありがとうございます。

多分、漢字をフィーリングで当てているような気がしますね。
そのフィーリング度合いが思い入れとかにつながってきますが、それがどの程度許容されるかだと思います。
先ほどの方も、学校では絶対に教えない読み方を名前につける不自然さを言っている一方で、万人が読めないといけないの?と疑問を呈している意見もあります。
一生ついて回る名前ですから、個人的にはもっと練られた名前の方がいいのにな、と思うわけですが、それは付けた本人と付けられた子供にしか分からない世界で、その中で満足していればいいのかも知れませんね。
ありがとうございました。

お礼日時:2010/10/21 19:10

あ~、所謂「DQNネーム」というやつですね。


最近は肯定派が「キラキラネーム」と呼ばせようと必死のようですね。

DQNネームに関しては、このサイトがそこそこ有名です。
    ↓ ↓ ↓
http://dqname.jp/


自分の子供の名前ではないので、どんな名前を付けようがお好きにどうぞ!

…といいたいところですが、
はたして子供にとっては幸せなのかなぁ?と首をかしげたくなるような
可笑しな名前も多々あるわけで。

例えば

爆走蛇亜(ばくそうじゃあ) とか
幻の銀侍(まぼろしのぎんじ) とか
ラッキー星(ラッキースター) とか
振門体(ふるもんてぃ) とか
亜菜瑠(あなる) とか
アロハ勇人(あろはゆうと) とか
心太 (しんた) とか ← ところてん…
星(あっぷる) とか
美空(びゅあっぷる) とか… ← 流石にご改名されたようです

まぁ、これらは極端な例であり、真偽の程はわかりませんが、
自分がこんな名前でなくて本当によかったなぁ、とつくづく思うわけです。

彼らなりに愛情を込めて名付けたのかもしれませんが、
その込め方のベクトルが違うんでしょうね。
若い頃に狭い世界(学校・地元など)で幅を利かせて息巻いていたDQN達が、
社会に出てみて己の小ささや無能を思い知らされてしまったとき、
自分はもうだめだが、せめて子供には! と、
せめて子供には誇れる何かをっ~~~!!! と。
で、普通は子供に十分な教育を施したり、将来のために財産を蓄えてあげておいたり、
個性を伸ばそうと習い事をさせてあげたり、いろいろしてあげるわけです。
そんな中、個性を与えようと思った人間の中に勘違いする人が出てきてしまう。
普通、個性なんてものは子供の成長の過程で徐々に育っていくものであり、
どんなに型にはめたって自然に滲み出るものなのに、
とりあえず手っ取り早く個性を持たせるために、
「他人とは違った名前を付ける」という安直な行動に走ってしまう。

とまぁ、こんな感じなのではないのかなぁ?と、
DQN大嫌い人間が偏見に満ち満ちた回答してみました。
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この回答へのお礼

ああ、なるほど、DQNネームですね!
URLを拝見するに、驚きの名前ばかりです。
親は子供に対して自分にないものを期待することもありますが、その先走った感じが出てしまっているような気がしますね。
名前が読めないことで、(子供よりも)名づけた親の評価が先行してしまいそうです。

回答を頂き、ありがとうございました。

お礼日時:2010/10/21 19:03

子の名前は名付け親の程度を表します。

子供が困る、あるいは恥ずかしい名前は避けたほうがいいでしょうね。
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この回答へのお礼

“名は体を表す”と言いますが、親の体も表すことにありますね。
ただ、皆さんの回答を見るといろんな事情がみえてきますから、一概に程度が低いとも限らないかもですね。

回答を頂き、ありがとうございました。

お礼日時:2010/10/21 18:57

個性を出したいんじゃないですかね。

後、親戚がうるさく言う事もなくなったのも原因かと。昔は、村の偉い人につけてもらい、もうちょっと最近だとおじいちゃんがつけたりなど社会的にだいぶ経験を積んだ(徳のある)人がつけてたと思いますが、今は親がつけることがほとんどなんじゃないですかね。

そうすれば、他回答者様が仰っている通り思いっきり親ばかの部分むきだしになって、個性豊かな名前になっちゃうんじゃないですかね。
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この回答へのお礼

>昔は、村の偉い人につけてもらい・・・
私の知り合いに、姓名判断の人に任せた人もいますが、そうなると親の思い入れよりも、占い優先でこれはこれでちょっとかわいそうな気がします。
最近は名前も個性なのでしょうかね。名前で個性を主張する時代なのかも知れませんね。

回答を頂き、ありがとうございました。

お礼日時:2010/10/21 14:05

小学校の学級名簿の半分以上の名前が読み方が分からない。


ってよく聞きますよね。
99%は「親がバカ」これしかないでしょう。

学歴が低くて、サッカーの応援とかでバカみたいに騒いで、子供の髪の毛を染めたり、上下そろいのジャージーで「しまむら」にいってヒョウ柄の布団カバーを買う奴。。。。みたいな。
もちろん偏見ですよ。
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この回答へのお礼

ああ、何となくおっしゃている親のイメージがわきます。
>親がバカ
親バカと親がバカは紙一重ですね!

回答を頂き、ありがとございました。

お礼日時:2010/10/21 13:59

御質問者様は


親の思いがこもっているのは わかる、が
社会生活を営むなかで、おそらく学校や病院などでおそらく最初はきちんと呼ばれないであろう
不便な思いを子どもがするかもしれない名前を
そこまでしてつける意義はなんなのか? という問いですよね。

ですので、他人が余計なこと言わなくていい、というのはちょっと的外れかと思います。
私見では
1)ありふれた名前でなく、名前について他人からいろいろ聞かれるだろうことが
  逆にその名前の価値を考える機会になるだろう、という積極的な思い
2)なんとなく カッコいい!みたいな アタマがお花畑な親
3)不便だろうが、関係ねえ、自分が考えた思い入れのある名前なんだ!
  周りのことなんて考えて名前つけねーよ。
4)自分がいいと思ってつけたので、周りが読めなくてどうこうは 考えませんでしたあ!

こんなもんじゃないでしょうかね。
ちょっと書き方に私の差別感が入ってますが。。。
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この回答へのお礼

1~4全部あり得そうな気がしますね。
多分親としては、期待と満足が入り混じっているのでしょうね。
>なんとなく カッコいい!
このあたりが何となく真髄かも知れません。

回答を頂き、ありがとうございました。

お礼日時:2010/10/21 08:56

No.3さんと考えは近いかも?です。



私の勝手な解釈ですが
時代の移り変わりというだけのことの様な気がします。
昔の人はカタカナでヨシとかハナとかいましたし。

悪魔ちゃんみたいのは例外として、
当て字も詩的というか文学的って印象の名前もありますし
一概に悪いことではないと思います。
なんて読むの?って聞かれても失礼じゃないし、
それも相手を知るための会話の一部です。
当て字は名前に限らず、昔の人が作りだした言葉にだってありますよね。
アルファベットと違い、
文字ひとつでいろいろな読み、意味、印象をもつ漢字というものを
せっかく使えるのですから、大いに楽しむぐらい使っていいと、私は思います。

私は20代後半で読みはありふれた名前なのですが
漢字は、おそらく私一人しかいないんじゃないかっていう書き方です。
読みは親が決め、漢字は画数(運勢の様な)がわかる親戚のおじいさんに頼んだそうです。
画数で考えたため、完全に当て字の文字があります。
なんでそういう風につけたのか知ると、ありがたいと思うようになりました。
他の回答者さんにもありましたが、
その親御さんがどういう思いでつけたのかということが重要であって
他の人が、読める、書きやすいっていうことは気にすることではないと私は思います。
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この回答へのお礼

>他の人が、読める、書きやすいっていうことは気にすることではない
そうなんですね!
でも感覚として、万人に読める名前が当然、という先入観というか固定観念みたいなものがあるので、違和感を覚える結果になってしまうのかも知れませんね。
変わった名前は、相手からすぐに覚えてもらえるのでいいこともありますし、子供が大人になった時に、自分の名前の由来を知って誇らしく感じれば、それでいいのかも知れません。

回答を頂き、ありがとうございました。

お礼日時:2010/10/21 08:49

真っ先に思い浮かぶのは、他人とは違う個性的な名前を付けたいって事でしょうか・・・


でも、私から言わせて貰えば、「天使(みかえる)」「愛声(あのん)」の様に
直ぐ読めない名前の方がまだマシです。読めなかったら、何て読むのかを聞かれますしね
むしろ、その中では「楓(はいじ)」が一番可哀想に思います
10人居たら10人が「かえで」と読むでしょうし、その度に(はいじ)と訂正する訳ですので

その様に思うのは、私自身もその様な名前な訳です
私の名前は、個人情報になりますので、全ては出せませんが「明○」と書きますが
これで「あき○」ではなく「とし○」と読みます
これは当て字でもなんでもなく、人名辞典では「明」は「とし」と読めるとされており
名前にのみ許される読み方です

ですが、初めての方は絶対に「あき○」と呼びます
ですので進級の際や、病院に行った時など、毎々毎回訂正していますし
仕舞いには、会社の上司にまで10年間、「あき○」と思われていました
(入社試験の際に、私の履歴書は読んでいる筈なのに・・・(==;)
ですから、なまじ読めない字より、あっさり別の読み名で読めてしまう名前の方が問題だと思いますね

ただ、不便な面ばかりで無く、良い点もありまして
自宅に掛かってくる勧誘の電話の場合、「あき○さんは御在宅でしょうか?」と聞かれますので
「あき○なんて人は、ウチには居ませんが?」と、切り替えします
別に嘘を付いている訳ではありませんし、人の名前をロクに調べもしない所なんて信用に値しません

そう言った意味では、読めない名前ってのもアリかもしれませんね
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この回答へのお礼

先ほどの方も言っていましたが、不要な電話などを撃退するのに使えそうですね。
名前は、究極的には付けられた本人が読めて理解していればいいわけですが、それと同じく周りも読めていればいいのですが、必ずしもそうなっていないですね。
おっしゃるように、それがいい面で作用することもありますね。

回答を頂き、ありがとうございました。

お礼日時:2010/10/21 08:43

親のエゴだと思います


名前を人と違う読み方にすることによっての
優越感じゃないでしょうかね
茶髪夫婦を想像してしまうのですけど笑
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この回答へのお礼

個性という話が出ていますが、“人と違うんだ”という意思表示の表れでしょうかね。
>茶髪夫婦を想像
そういう傾向がありますかね!
漢字を感覚的に理解する層という感じがします。

回答を頂き、ありがとうございました。

お礼日時:2010/10/20 23:34

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