【復活求む!】惜しくも解散してしまったバンド|J-ROCK編 >>

89年に綾瀬で起きた女子高生コンクリート詰め殺人事件と共産党の関係について

この事件と共産党が関係してると聞きましたが,どのようなことなのでしょうか?

このQ&Aに関連する最新のQ&A

A 回答 (2件)

女子高生コンクリート詰め殺人事件(じょしこうせいコンクリートづめさつじんじけん)は、1988年11月 - 1989年1月、東京都足立区綾瀬で起きた猥褻誘拐・略取、監禁、強姦、暴行、殺人、死体遺棄事件の通称である。



この事件は、加害者が全て少年(未成年)であったこと、犯罪内容が重大・悪質であったこと、犯行期間も長期におよび、少女が監禁されていることに気づいていた周囲の人間も被害者を救わなかったことなどの点で社会に大きな衝撃を与えた。

監禁場所を提供した少年の両親について「日本共産党員だという話もある」と週刊新潮が報道すると、日本共産党は機関紙『赤旗』で同両親が共産党員であったことを認めたうえで「同事件は暴力団との関係も指摘されている、許すことのできない残虐な事件であり、もちろん日本共産党とは、いっさい関係ありません」との記事を掲載した。その一ヵ月半後には同両親の対応を検証した特集記事が『赤旗』に連載された.
    • good
    • 0
この回答へのお礼

ありがとうございます。

しかし、共産党はロクでもない政党ですね。

お礼日時:2011/01/24 22:21

元も子もない言い方をしますが、ここで質問するより


「女子高生コンクリート詰め殺人事件 共産党」で検索した方が良いですよ。

簡潔に言いますと、
・主犯格の少年の両親は共に共産党員。
・この両親は、女子高生が何日も滞在していた事を知っていた。
・警察が監禁の噂を聞きつけて何度か来たが、共産党の弁護士を立てて徹底抗戦、追い返した。
 この時点ではまだ女子高生は存命していた。
・事件発覚後も操作妨害と取られても仕方が無い行動を繰り返した。
・被害者の両親からは、この共産党員の両親も共犯だと非難される。
・事件後、共産党の機関紙「赤旗」に共産党員である母親の手記を載せる。
 ただ、その内容は被害者側にも原因が有るという内容で、犯人擁護と批判される。

この両親が普通の親、共産党員でなかったらこの事件は未然で防げたはず、という声が多く上がった。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

ありがとうございます。

お礼日時:2011/01/24 22:22

このQ&Aに関連する人気のQ&A

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!

このQ&Aを見た人が検索しているワード

このQ&Aと関連する良く見られている質問

Qどうして共産党と部落解放同盟は仲が悪いのですか?

タイトルの通りです。
仲が悪いのはわかったのですが、どうしてでしょう??

Aベストアンサー

 もともと、共産党と解放同盟の関係は1950年代までは比較的良好でしたが、
1965年に政府の同和対策審議会が出した答申(通称「同対審答申」 URL参照)の内容をめぐって、積極的に評価する解放同盟と、否定的な共産党との間で対立が表面化し、さらに矢田事件(1969)などでの糾弾行為を批判した
共産党系の人々が1970年に部落解放同盟正常化全国連絡会議(正常化連)を結成し、分裂が決定的になります。これが、No.1の方が言及されている全国部落解放運動連合会(全解連)に改組されるのは1975年のことです。
 以来、「国民融合論」(部落差別は封建制度の残りかすであり、消滅過程にあるとして部落解放運動の恒常化を否定する)を掲げる全解連が、政府と解放同盟の双方を批判する構図になっています。
 ただし、全解連は昨年4月に歴史的役割を終えたとして解散、全国地域人権運動総連合(地域人権連)が運動を引き継いでいます。また、解放同盟も部落問題だけを扱っているわけではなくなっており(少数民族、ハンセン病患者、イラク反戦など)、対立の軸が見えにくくなっているという印象も受けます。
 なお、こうした事情について当事者間で言い分の違いがあるのは事実ですが、大衆組織と共産党の分裂・対立の歴史は部落解放運動に限りません(原水禁と原水協、日教組と全教、婦人民主クラブと新日本婦人の会、連合と全労連など)し、上に書いた程度のことも、少し文献に当たれば普通に書かれていることですから、ことさらタブー視なさる必要はないと思います。

参考URL:http://www3.kyoto-su.ac.jp/hr/siryo/douwa_taisaku.html

 もともと、共産党と解放同盟の関係は1950年代までは比較的良好でしたが、
1965年に政府の同和対策審議会が出した答申(通称「同対審答申」 URL参照)の内容をめぐって、積極的に評価する解放同盟と、否定的な共産党との間で対立が表面化し、さらに矢田事件(1969)などでの糾弾行為を批判した
共産党系の人々が1970年に部落解放同盟正常化全国連絡会議(正常化連)を結成し、分裂が決定的になります。これが、No.1の方が言及されている全国部落解放運動連合会(全解連)に改組されるのは1975年のことです。
 ...続きを読む


人気Q&Aランキング