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当時 頭痛持ちだった母は私を妊娠中も 医者から止められているのに
キツい頭痛薬を 出産間近まで服用してたらしいです

それと関係があるのかは わかりませんが
おかげで生まれてきた私は未熟児で 全身が赤黒く 産声も上げないので
逆さに吊られて オシリをバシバシ叩かれて ようやく声を上げてからは
保育器に入れられました 

私を取り上げてくれた先生は
「赤ちゃんの命ですが もって半年ぐらいでしょう」
と母に告げたようです

父親は母の妊娠が発覚してすぐに「一也」(カズヤ)と
生まれてくる子の性別もわからない時から 名前を考えてたらしいです

がしかし 父親の母が 私の現状(半年の命)を聞き
「知り合いにエラいお坊さんがいるから そのお坊さんに
丈夫で長生きする名前を考えてもらう」と言い出し

父親がこだわって考えた「一也」は敢え無く却下となりました

私は お坊さんにもらった名前を付けて今年で30を過ぎました 
半年の命じゃありませんでした


さてここからが質問です

そんなもん実際2つの人生送ってみないと 答え出るかい!
と言われるでしょうが。。。

名前と その人、個人 何の科学的関係も無いという考え方もあれば

例えば 「名は体を現す」 というようないわゆる非科学的な言葉もあります

今日まで生きて来れたのは エラいお坊さんに名前をもらったからでしょうか
また「一也」だった場合 今はもうこの世にいなかったのでしょうか

科学的 医学的には「エラいお坊さんにもらった名前」なんて関係なく
誤診か 特別な何らかの理由で生きているってことでしょう

でもそう考えて切ってしまうのもなんか寂しい気がしますw

みなさんどんな意見でも結構です 何か助言下さい

A 回答 (4件)

質問拝見しました。



私は貴方が持って生まれた生命力だと思います。

もちろんそれにプラスして名前の効果もあったかも知れません。

テレビや知人の話でも、よく余命数カ月、何年、と言われた人が何年も生き延びているという話
貴方も聞かれた事がありますよね。
あれはその人の生命力だと思うのです。

生まれてくるはずだった赤ちゃんが突然お腹の中で亡くなってしまったとか、流産したり、生まれてすぐになくなってしまったとかも、私はその子が持って生まれた生命力だと思うのです。

もちろんそれにプラス名前も関係してないとは言いません。
そう思うには理由があります。
私の夫もお寺で名前をつけてもらったようです。

そして1回か2回夫の名前を見てもらったことがあるのです。
夫に内緒で・・・。
印鑑を作る時に自分の名前を見てもらったついでと言う感じです。

その度にいつも同じことを言われます。
ですが、いつもその通りの人生を歩いているように思うのです。
ただの偶然とは思えなくなっています。

私も名前(字画や字の意味)を気にして子供たちの名前をつけたつもりですが、見てもらうと少々思いとは違った
方向性になっていたりすることを聞くことがあります。
それは商売で多少自分にとって利益のあるように説明をしているのかも知れませんが、全く関係なくもないかなぁと思っています。

よく、お店を出す人が商売繁盛するようにと名前をつけてもらったりしますよね。
名前との因果関係が全くなければそのような事をする人は出てこないと思うのですが
何ら全く関係ないと無視することは出来ない理由があるからなのでしょうね。

医学的に説明できないケースって沢山あるみたいです。
例えば癌の宣告を受けた人で入院して手術しないとダメと診断され、再検査したら腫瘍がなかったとか、
末期のがんの人が余命を宣告されたのに治ってしまったとか。

だから貴方の場合も医者の誤診と思わずに、貴方自身が生きようとする生命力と親御さんが健康に育ってくれますようにという願いでつけてくれた名前のおかげと感謝して生きて行けばよいと思いますよ。

私も全く名前「字画と意味」を無視することはできません。
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この回答へのお礼

今更ですが やはり科学で証明できないことって
あるんですよね。。。 だから世の中面白いって事も言えますね

つい先日 有名らしい姓名診断の方に 名前を診てもらったら
かなりいい名前だと言われました この出来事が
質問に繋がったんですけどね^^

ありがとうございました

お礼日時:2011/02/21 14:19

余命○○年と云うが,これは統計上の言葉です。

占い。偉いお坊さん一切関係ありません。人間は産れた時にその人の人生と寿命が決まっているのです。ただ,心臓に異常がある人は,現代では移植して延命します。それだけの事です。
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この回答へのお礼

ありがとうございました^^

お礼日時:2011/02/21 14:15

余命半年で生きている人、余命数年と言われて、その期間まで生きられない人達も沢山います。



その違いはなんでしょう。

特に根拠はありませんが、よく聞く話しなどを考えて参考にしてみました。

やはり両親の子供に対する愛なんでしょう。

神仏に頼ってでも、子供に少しでも長く生きてもらいたいという切実な気持ちが神様に通じたのかもしれませんね。


ただ、一方では人間はいつ死ぬかわかりません。
明日必ず生きているとはっきり断言する事はできないでしょう。

突破的な交通事故や事件に巻き込まれ命を落とす事もあります。

そう考えたら、生きている事は様々な偶然が重なり合わせ、たまたま運良く生きていられるのではないでしょうか?

だから自分は一日一日を大切に精一杯生きています。
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この回答へのお礼

愛の力ってのも科学で証明できませんよね

勉強になりました ありがとうございました

お礼日時:2011/02/21 14:14

余命半年と言われ、生き続ける人なんてたくさんいます。


医者は最短の余命を言うんだと思います。
私の同僚にも余命宣告をされて、5年くらい生きてるおじさんがいます。

貴方が今まで生きてきたのは、医者の誤診でもなく、坊さんのおかげでもなく、貴方が頑張ったからです。
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この回答へのお礼

自分の頑張り。。。 忘れていました ありがとうございます
これも生きてこれた要因のひとつにはなりますね

でも周りに生かされているんだって気持ちも忘れたくないです

ありがとうございました^^

お礼日時:2011/02/21 10:36

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