高校三年生の合唱祭で何を歌いましたか?

 あなたは、友人と冬山登山(本格的な登山)に挑戦したとします。
 しかし、標高6000メートル、体感気温-60℃の中、
友人が足を骨折し、滑り落ちて、絶壁に宙吊りとなり、
あなたは、ザイルで結ばれた友人がクレバスに落ちないよう支えるのが
精一杯という事態になりました。

 このままでは、2人とも命を落としますが、
友人との命綱であるザイルを切れば、あなただけは助かります。
 友人は、自分でザイルを切ることが出来ませんが、ザイルを切るよう、あなたに合図します。

 さて、あなたは、ザイルを切りますか、それとも2人で死を待ちますか。

(これは実話なのですが、一般にはどう考える方が多いのか知りたかったので
アンケートしました)

A 回答 (7件)

サバイバル話大好きです!「127時間」も見に行きます!



この日本語題名「運命を分けたザイル」ってザイルだから、切るか切らないか自由のような気がしますが、手つなぎだったらどうするか、です。片手で崖につかまって、一人を反対の手に。自分の力は尽きて、谷底に落ちるのは時間の問題。自分を捨てて相手を助ける事はあり得ません。下にぶら下がっている友達だけがそれを可能にします。「手を離してくれ、お前は地上に戻れ」

この映画、家族4人で冷房の効いた映画館で見ました。寒かったーです。面白い口論になりました。西洋人は生き残りたがり、日本人は死にたがる傾向がある。

回答。私は「先に行ってろー、お前の分まで行きて行くぞー、後で必ず行くからなー」と生還して、この人生の意味を何年も考えます。帰還兵と似たような道をたどりそう。
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この回答へのお礼

 そうです。「運命を分けたザイル」の話です。

>西洋人は生き残りたがり、日本人は死にたがる傾向がある。
そうかも知れませんね。
 ちなみに、クリスチャンは自殺を禁じられていますが、登山でこのような状況になったときは、
ぶら下がった方がザイルを切るべきというのが一つの考え方としてあるそうです。

>帰還兵と似たような道をたどりそう。
 なるほど、分かり易い例えですね。

お礼日時:2011/02/27 12:31

>うーん、じゃあ、ゆっくり答えますね・・難しい問題だから・・


 まず、何故、挑戦したの?
 普通、零下60度って地球上で有るかな・・?
 6000メートルもそうだし・・
 ザイルを切っても自分は帰り道は無いでしょ?
 二人が協力しないと此処まで来れなかったんだから・・
 でー、一応、頑張れるまで頑張って観る!、神すら来ないな
 と分ったら、二人で死ぬ、それで良いんじゃない?
 神にしか出来ない様な事に挑戦する愚かさを感じますね!
 何でも人間はしても良いとは言えないからですが・・
 まあ、神が助けあげてくれる場合は、人助けの中にしか
 有りませんよ!、キッパリ!、遊んだら駄目な場合も有りますよー!
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この回答へのお礼

 質問文にも書きましたが、これは実話ですよ。ザイルを切って、生還してきたのです。
>遊んだら駄目な場合も有りますよー
そうですね。 でも、ザイルを切らないのは、自殺行為ではないでしょうかね。

お礼日時:2011/02/27 12:09

No.4です。



>こうした事態が起きたのは、「運命」なので
>自分が綱を切り、友人の命を失わせる自発的行動をするより、
>この事態をそのまま受け止め、「天命」に身を任せるのですね。
> でも、無為に2人とも死ぬという選択をしている

 何で、こうなるのでしょうか?(・・)

こうした事態が起きたのを、「運命」とするのは、私は、納得がいきません。
 必ず、色々な原因があるかと思います。
読みが甘かった、とか。計画に無理があった、とか。

 「人事を尽くす」と回答しています!!
 身を任せる、なんて、どこにも書いていませんよ?
決して、絶望なんかしないで、何か方法はないか、考え抜きます。
 無為にならないように、戦い抜きます。

 ザイールを切った瞬間、絶望してしまいますし。(自分に)

http://movie.goo.ne.jp/movies/p8413/
 ↑
 あらすじが、かなり違いますが・・・(汗)
この作品は、最初の導入部分で、「神を信じなさい」と言って回っていた牧師が、最後に「神よ、あなたは試練を与える。こんな試練に、一体、何の意味があるのか!」と、力尽きて火の中へ落ちていきます。

 神ではなく、自分を信じ抜くだけです。(^^)
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この回答へのお礼

 これは失礼。勝手に誤解をしたようですね。

 質問の事例は、助からないことが明らかな場合を前提としているつもりでした。
つまり、友人を救うために人事を尽くしようがなく、
自分の命は友人の命と引き替えにしか助からない、
そうしたことが明らかな場合にどうしますか、という質問です。

 この場合、ザイルを切らないという選択は、(友人の生命はどうしようもない訳ですから)
自分も一緒に死ぬという選択をしていることになるのでは?
という見方もありますよね、という意味で書いたつもりです。

お礼日時:2011/02/27 01:37

ズバリ、


 ザイルを切らずに、天命を待ちます。

まさに「人事を尽くして天命を待つ」とは、こういうことかと。
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この回答へのお礼

 こうした事態が起きたのは、「運命」なので
自分が綱を切り、友人の命を失わせる自発的行動をするより、
この事態をそのまま受け止め、「天命」に身を任せるのですね。
 でも、無為に2人とも死ぬという選択をしている、
つまり自殺をするのと同じことになるのではないかという考え方もありますよね。

お礼日時:2011/02/26 22:49

切ります



が、答えですが暖房の効いた快適な室内でPCで遊んでいて、真にその心境を考えられると言えるほど私は思いあがってもいないので、一応の回答です。
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この回答へのお礼

 究極の選択ですよね。
 現実の場面で、本当にザイルを切り、友人をいわば見殺しにするか、
逆に、友人と共に死ぬという決断ができるかどうかはどうかは、
分からないかもしれませんね。

お礼日時:2011/02/26 22:43

ザイルを切ります。

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この回答へのお礼

 ベンサムの功利主義的考え方に立てば、
1人が死ぬのは仕方ないけれど、
2人死ぬ必要はない、ということになるのでしょう。
 でも、友人のザイルを切ることは、
現実的には、かなりの勇気が必要というか、道徳的に苛まされるでしょう。

お礼日時:2011/02/26 22:39

私ならザイルを切ります。


それが友情の証だと思いますから。
     
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この回答へのお礼

 「友情の証」ですか。
運命を共にする(=共に死ぬ)ことが、
必ずしも友情や人としての心情ではないということですかね。

お礼日時:2011/02/26 22:34

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