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「リリス?いや、違う!リリン?そうか!そうゆうことだったのか!」

というセリフがありますが、一体どうゆうことですか??(>_<

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A 回答 (2件)

 んー・・・多少の記憶違いはあるかもしれませんが(酔汗)



カヲルを含む全ての使途達は、セントラルドグマに
磔にされている個体を「アダム」だと誤認していたようです。

直に対面して初めてそれが「アダムでは無くリリスである」事を
知ったが故の驚愕と、人類(リリスの子孫であるリリン)の策略に
気付き納得した事を表わした台詞なのではと・・・(´_`;b

以下↓↓に詳しい類推があります・・・

参考URL:http://homepage3.nifty.com/mana/adam.htm
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こんばんは



アダムではなくリリスだったということです
リリンは人間の事を言ってます

セントラルドグマにはアダムという第一の使徒がいるはずでしたが人間(リリン)が幽閉していたのは第二使徒のリリスだったと
カヲルはアダムの分身と言われ
レイはリリスとユイの体の関連があると言われてます

因みにこれもあくまでひとつの解釈で正解はそれぞれのファンの心にあると思いますよ
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Qエヴァの25話以降・・・

アニメの24話でカヲルを倒した後25話からいきなり話かわるじゃないですか。
そのあとの話も全然理解できないんです・・・
わかる方要約していただけるとうれしいです。
しかも26話の最後にシンジの心の呪縛(?)を打ち破って・・・っでなぜ周りの人々におめでとうと言われているのが意味がわかりません。
結局人類補完計画ってなんだったんでしょうか・・?

Aベストアンサー

はじめまして。
皆さんとまったく違うところ、似てるところもあるかと思いますが、少し書かせていただきます。

TV版の弐拾五・弐拾六話は、シンジの内面のみしか描かれていないので、映画版の25・26話も見ないとまるでわからなかったです。
映画版では、TV版の弐拾五・弐拾六話であったことが弐拾四話までと同じスタイル(視点?)で描かれています。シンジの欠けた心というのがかなり重要な役割がありますので、イメージの羅列なども多用されていますが、これはそれまでにも何度かありましたよね(五歳くらいのシンジと十四歳のシンジが対話していたりとか)。
この映画版で、シンジは『他人も自分もなくなればいい』と願います。それが具現化して(?)ヒトは溶け合って融合してひとつになってしまいます。欠けた心(他人を理解できないことの不安?)を他人と融合することで補い合った完全な個体にする、これが、ゼーレの望んでいた『人類補完計画』です(たぶん)。(TV版ではその辺りがまるで触れられていないのでわからないと思います。)
すべてが一つになった世界でシンジは考えます。(この時の内面を主に描いているのがTV版だと思います。)『他人』がいなければ、『自分』を傷つける人はいなくなります。でも『他人』がないのならば、対比する『自分』もある必要はなくなります。『自分』を失ったシンジは、不安になります。それは、シンジが傷つけられることを恐れているのと同時に『認めてもらいたい』とも願っているからです。そして、認めてもらうには『自分』も『他人』も必要です。
『自分の思うシンジ』と『他人の思うシンジ』は必ず同じではありません。人は他人を理解できないのですからズレは生まれます。しかし、ズレがあっても『シンジ』が存在するためには、両方必要なのです。『他人』がいるから『自分』もいるのですから。
それと、イメージすることで、気持ちひとつで『幸せになるチャンスはどこにでもある』ことにも気づきます。
そこで、シンジは再び『他人も自分もいる世界』を望みます。たとえ傷つくことがあっても、不安なことがあっても、会いたいと(認めてもらいたいと)思ったのは本当だから。
そして自分を認めてくれる(「おめでとう」といってくれる)人々を思い浮かべます。
こんな感じではないかとボクは考えます。

自慢げにつらつらと書いていますが、もちろんこれはボクの独りよがりな考えです。
この作品、監督の考えてることが正解とかいった統一の答えはないと思います。ですから、ぜひご自身の答えを見つけれくださいね。

はじめまして。
皆さんとまったく違うところ、似てるところもあるかと思いますが、少し書かせていただきます。

TV版の弐拾五・弐拾六話は、シンジの内面のみしか描かれていないので、映画版の25・26話も見ないとまるでわからなかったです。
映画版では、TV版の弐拾五・弐拾六話であったことが弐拾四話までと同じスタイル(視点?)で描かれています。シンジの欠けた心というのがかなり重要な役割がありますので、イメージの羅列なども多用されていますが、これはそれまでにも何度かありましたよね(...続きを読む


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