
唐突に申しますが、
私の勤務先から特定の業界へ独占的に出荷し始めました製品(測定器)が御座います。
其の機器には時計が搭載されておりまして、取り外して測定を行ないますが、
PCとの間でデータの遣り取りをさせる際にも、
外部電源への依存が必要になります。
でもUSBケーブルで繋ぎますので、
IPアドレスの自動的な割り当てを致せませんから、
「独自の管理ツール」のインストールに頼らざるを得ません。
そして、データファイルの備考欄へはキーボードからの入力が可能になっておりまして、空欄の儘でも自由な文言が入った状態でも、
文字化けを致さない限りでの印刷が可能になっています。
従いまして、其の特殊性の影響が及びまして、
奇妙なエラー(給電不足・データ破損・時刻狂い・認証異常等)が頻発していますので、
下記の通りの現象にも立ち会いました。
何故の事に起因しているのか分かりませんが、
奇しくも上記のデータファイルの備考欄への入力の内容の確定の為に、
改行させた後に、其のセルの中の値を削除しますと、
印刷の際に奇妙な文字化けの状態が盛り込まれます。
確かに其の現象自体は当該管理ツールの側でのBugに過ぎませんので、
開発部へ調査を依頼していますが、此の現象の存在が指摘された際に、
下記の通りの「不毛な」疑問が脳裡に浮かび上がって参りました。
つまり、削除によって存在が抹消されますと、
存在の有無の比較が可能になりますので、其の場合には、
「相対無」が認識されたのでは有るまいか、と私は勝手に想像しました。
但し、其の際に次の疑問もが伴ないましたので、率直に伺います。
『削除の後には「相対無」の状態が外部から分かりますが、
そもそも最初には、削除の対象もが上記のセルへ入力していませんので、
入力前の「空」欄の”NULL”が、PCによって「絶対無」だ、と認識されていた故に、
削除後の「相対無」との峻別が可能になっていたのでしょうか?』
業務上での話題になる可能性さえもが御座いませんので、
あくまでも個人的な疑問に過ぎませんが、是を切っ掛けにしまして、
東洋哲学への理解を更に深めたいものですから、
要素還元論的な相対無をも含めた回線を頂けますでしょうか?
因みに下記の質問にも関係が御座います。
http://questionbox.jp.msn.com/qa6613680.html
No.3ベストアンサー
- 回答日時:
○物事を考える上で大切な法則は「因果の理法」ですね。
因果は誰もくらませないのが宇宙の法則ですからね。装置の場合、人間が創造主の立場になりますね。こういうものを作りたいと想像した段階から具現化する段階、材料を集め作り出す段階を通して一つの物が出来上がるわけです。
出来上がった物に何かを書き入れるということもあるわけですが、原因と結果の連鎖の一こまに含まれるわけですね。
さて、あなたが装置の創造主だとして、どの時点で「絶対無」を当てはまるでしょうか。想像の前、設計の前、製造の前、製造後の何かを書き入れる前、・・・・
製造後のメモリー(描くキャンパスと考える)の状態を「NULL」として、一番最初の「無」としますか。でも装置にスイッチを入れた瞬間のメモリの状態は不定ですから、数学上のゼロにはなっていませんよね。リセット機能が働いて初めて数学上のゼロ、「無」状態と強制的にするのでしょ。
このように順序だってメモリの状態を考えて行くと、「絶対無」とはメモリが無い時点のことでしかないようになりますね。メモリが取り付けられ装置が動作した瞬間からメモリーは(描くキャンパス)として存在し、働き続けますので絶対無は存在しないといえますね。全て相対無の状態でしかありえませんね。
原因結果の時系列で表すとよく判ると思いますよ。
メモリー無し、メモリー有り、装置ON、メモリー状態:不定→リセット→無→書き込み〔有り〕→リセット→無・・・・・・・
つまり、白いキャンパスに書き込んだり消したしているだけでしょ。キャンパスが存在主体と考えれば、キャンパスの上で遊んでいるだけですから全て遊び、つまり、相対的というように言えるということなのです。これが仏教的あるいは東洋的な考え方の一つだと思いますね。
PCなどでは一般的に「初期状態」に戻すといいますね。消すとはいいませんね。「初期状態」は「絶対無」とは違うことは明らかですよね。「初期状態」に戻らなければ「バグ」ですよね。
初期状態が「NULL]という表現は可能ですね。ここで「NULL」は不定でもゼロの羅列でも1の羅列でも定義次第で何でもいいんですね。
というように初期状態は言葉の定義で決められるのですね。でも因果律はくらませないでしょ。
この回答への補足
有り難う御座います。
此の欄へ入力させて頂くべき表現が纏まりませんでしたので、
入力を遅延させてしまいまして、申し訳が御座いませんでした。
そこで追加の確認をさせて下さい。
『工場出荷時設定のフォーマット自体が
「メタレベルの相対無の階層」を拵えている』
という考え方が、此処では適切なのでしょうか?
御忙しい中への御邪魔を繰り返しまして畏れ入りますが、
もし支障が御座いませんでしたら、返事を賜りたいものですから、
何卒宜しく御願い申し上げます。
因みに直接的な関係は御座いませんが、
同じ製品が下記の問題をも起こしております。
http://okwave.jp/qa/q6630848.html
御無沙汰を致しておりまして、誠に申し訳が御座いませんでした。
漸く次の哲学的な質問を思い付きましたので、
教授を賜りたいものですから、もし可能なら、
御覧になって頂けますでしょうか?
http://okwave.jp/qa/q6655610.html
No.2
- 回答日時:
東洋哲学への理解を更に深めたい、、と云う言葉に惹かれましたので、PCには不案内ですが、書いてみます。
貴方の感じているものは、相対と絶対の違いかと思います。或は有限と永遠の認識と云う事かと思いますので、この線に沿って書いてみます。
人間の意識がPCに当たると思います、意識は言葉で考える癖が付いているからです。言葉は、人間の意識を分別の作用によって行っているシステムです。つまり割切れる事のみを言葉にしています。割切れない事や矛盾している事を言葉に置き換える事が出来ないからです。
割切れない問題を『意識』に割り振った場合『答えは出ません』それはPCに割り振ったとしても同じ事になると感じます。
この事が昔から、人類を深い心の闇の中に佇ませています。或は深い疑問の虜にしています。或は深刻な悩みとなっています。
この悩みは脳の機能によっています。この悩みが生じる様を聖書では『失楽園』と表現しています。『知恵のりんごを食べたために、天国から追放された』と言う訳ですが、この意味は『脳の機能の分化が完成した』と云う意味です。
その証拠が『天国に一番近い存在は幼子』としている事で分かります。何故なら幼子は『脳が未発達の為に心は一つしかないからです。』
思春期頃脳は、ほぼ完成に近ずきます。脳の機能分化がほぼ完成すると云う意味です。二つになった心は『争い始める』と云う意味ですが、心に矛盾を感じて、お互いに言い争うと云う意味です。
心を病む事や、悩みが始まったり、精神病になる確率がピークを迎えると云うほどの意味です。その事を『天国から追放されて、(地獄の中に落ちる)』と云う風に警告をしていると感じます。
人間の頭の中には『脳梁を切断した場合』左右の脳には二つの違う人格が存在しています。ノーベル賞を貰ったスペリー博士の研究成果です。
自我意識は左脳の意識です。言葉を持った脳です、専門の機能はPCと同じで、割切れる事を専門とする機能です。割切れる事を有限と定義しています。従って人間の有限性を認識している機能から出来ています。永遠と云う概念は理解する事は、その機能から言うならば『不可能』と云う事になります。
この事が、人間に深刻な悩みをもたらせてきました。人間の中に沢山の個性が存在します。有限の命では、気持ちが治まらない人たちの事です。有限の壁を乗り越えて『永遠の命が欲しい』と望む人の事です。
ですが永遠の命は手に出来ません、もだえ苦しむ事になります。不安や恐怖に押し潰されそうになります。不安になり易い人の多くが『宗教家になっています』その代表がお釈迦と、キリストです。
不安や恐怖を乗り越える方法を見つけた事を意味します。言い方を替えるなら有限の壁を乗り越える方法を見つけたことを意味します。その方法を書いてみます。
人間には二つの意識があります。自我意識は左脳に存在する意識です。ですが人間にはもう一つ意識が在ります。その意識は『無意識の意識』として働いています。我を忘れた時に働いている者です、或は、心を使わない時に身体と心を使っている者です。
右脳の意識という事になりますが、もう少し詳しく説明すると、お腹に命が芽生えた時から働いています。細胞分裂の仕方を知っている者です。蜘蛛が蜘蛛としての生活を学ばなくとも出来ている事に通じています。
人間としての尊厳を持ち合わせている者です。人間として感情や、身体や、生命活動を維持させている者です。生まれた訳ではない事から『滅する事が無い者です』既に永遠から出来ているために、永遠という事を熟知している者です。
東洋の知恵に『無為自然』と云う言葉がありますが、自我意識では無いものの世界を説いています。自我意識が働かないにも拘らず、物事が成り立つ世界です。我を忘れた時に働いている者に任せる世界です。
『道に至る』と云う言葉がありますが、この意味は『自分自身を知る』と云う意味です。『悟りを開く』も同じです。
自分を知ると云う意味をもう少し詳しく書いて見ます。疑問を抱くと云う場合、他人や環境が『私に』その疑問を抱かせている訳ではありません。『自分が自分に疑問を抱かせています』
不安があると云う場合、環境や相手が自分を不安にしていると感じますが、本当は『自分が自分を不安にしています』自分と同じ事を必ずしも、他の人は不安としては感じていない事実があります。
不安を感じている自分が、『不安を感じさせていた自分』を知ると云う意味です。自分の心は二つの要素から成り立っていた事が分かる事が『悟りです』
意識の根底で絶えず二つの意識は交流しています。ですが自我意識は気が付きません。ですが二つの意識は存在しています。肯定する心と否定する心は絶えず争っています。是が強く出た場合に『強迫観念』と言います。
この回答への補足
脳梁を切断した際の二重人格の話は複数のページに登場している様ですが、同じ方からの御意見なのでしょうか?
そもそも此のページの質問では、『「相対無」・「絶対無」』とNULLとの対比を御願いしていますので、
残念乍ら、大きな勘違いに留まっています。
折角の貴重な御縁なのですから、本文の趣旨を読破なさった回答を下さいませ。宜しく御願い申し上げます。
同じIDで複数のユーザーが同じサイトへ同時にLogInしている場合には、其の分身術をRDMSのトランザクション処理の為に、どのような判断がサーバによって為されているのでしょうか?
No.1
- 回答日時:
記録の削除、とは完全な無へ戻す作業ではなく、
まず、不可視の状態にし、その上で無制限の上書きを認める属性を賦課する
という行為と定義しなおせば、理解は容易なのかと思います。
消したつもりでも、逆に"不可視かつ上書きを認める属性"さえ取り払ってしまえば
データの復元自体は可能であるわけです。同時に、この状態で上書きされてしまえば、
もはや元のデータはもどらなくなってしまう。これが記録のシステムです。
そしてこれを(認識論的な)還元によって、電気的記録に限らないと
解釈するのならばなるほど納得できる部分もあります。
確かに多くの場合において、記録の削除とはそういった
新しい情報への上書きを認める姿勢(もちろん否定も含め)に他ならないのです。
すなわち、主張の上書きを無制限に受け入れる姿勢とは、
他者の認識の上では何の意味も成さ無いものと同じであると。
あるいは、他者の目に映る姿が非論理的な奇形であるのならば
その論理には修復すべき虫が潜んでいるわけですね。
ぬるぽ。
この回答への補足
有り難う御座います。
因みに「エネルギー保存の法則」の通りに、
別の属性に変わる状態こそが、『「絶対無」と違う「相対無」』なのではないでしょうか?
つまり、「絶対無」には、「エネルギーと物質との間での変換」さえもが許容されていませんよね。
当サイトのトランザクション処理の更新が行なわれる前の段階には、
サーバは投稿の有無を知らない訳ですので、
『其の段階では、「絶対無」が認識されている』
と言えませんでしょうか?
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