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純粋理性批判(Q11)

goo辞書によると、「統覚=知覚表象などの意識内容を自己の意識として総合し統一する作用」となっています。
この統覚に関する中山訳の記述から4点、教えていただきたいことがあります。

1.
「すべての思考に先立って与えられうる像は直観と呼ばれる。だから直観に含まれるすべての多様なものは、この多様なものが発生する主体における<わたしは考える>ということと、必然的に結びついている。しかし、このような像が生まれるのは、人間の自発的な営みによってである。そして[感性は受動的な働きだけをすることを考えると]この像は、感性に属するものと考えることはできない」
そして、この像を統覚と呼ぶ、と続きます。

<質問1>
「すべての多様なもの」とは具体的に何を指しているでしょうか。
カントにおける直観とは感性によって得られるものと理解していますが、たとえば、赤いバラを見たときの「色・形状・匂い」などを指しているのでしょうか。そういったものとは別のものでしょうか。

<質問2>
この解説によると統覚というのは悟性の役割とあまり変わらないような気がするのですが、どのような違いがあるでしょうか。

2.
「すなわち直観において与えられる多様なものを思い浮かべる自己統合の意識はどこでも同一のものとして維持されるが、この自己統合の意識にはさまざまな像の総合が含まれる。こうした総合が意識されることで、初めて自己統合の意識の同一性が可能となるのである」

<質問3>
「どこでも同一のものとして維持される」とはどういう意味でしょうか。

<質問4>
質問1にも関連するのかもしれませんが、総合の対象となる「像」とはなんでしょうか。また、
「こうした総合が意識されることで、初めて自己統合の意識の同一性が可能となるのである」の意味と意図がわかりません。
  

A 回答 (2件)

カントに通じて居られる方々に混ざって口出しするのはいかがと思いつつ、一言。



質問1は、拙いのではないですか。「具体的に何を指しているか」というのは。
具体的には指していないというか、具体的に指したら話が混乱するように思うのですが。読者としては何等かの表象を持たないと理解出来ないというのは、その通りなのですが、ここは比喩的に観るところのように思います。私は昔、電光掲示板みたいなものか、と考えた気がします。古いことで怪しい記憶ですが。いまなら液晶テレビですかね。与えられるのは点の点滅(=多様)に過ぎないのに、そこに具体的な象を見る、なぜか、という話なのではないでしょうか。カントが実際どう考えていたかは別ですけれども。
----そこには問題が在ると思いますが、ゲシュタルト心理学のサワリを高校で聞くわれわれの感覚で見るのではなく、カントの時代は「要素心理学」とも呼べないレベルだったと、割り引いて見る必要があると思います。

で、質問2の方ですが、能動的能力、受動的能力という割り振りでいうなら、悟性の役割と言うべきと私も思います。ただカントは、その役割を論ずる階梯に応じて、各種の名を付けつつ論じて居るらしいので、その命名に従っておかないと読み進めないということではないでしょうか。感性データの第一処理=統覚、と思いましたが、もっとややこしい話らしいです。

3,4は「綜合と統覚」に関してのghostbusterさんのご回答を読まれては如何でしょうか。

---と、最後は他の人に振るというお粗末でした。

この回答への補足

1と2は何となく見えてきたような気がします。
改めてお礼はさせていただきます。
ご助言いただいた
http://oshiete.goo.ne.jp/qa/4358563.html
を読んでいます。

お礼欄で、補足的に質問させていただくかもしれませんので、よろしくお願いいたします。

補足日時:2010/11/11 00:58
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

URL 大変参考になりました。
「純粋(根源的)統覚」の意味するところがなんとなく理解できたように思います。
まだ、曖昧な理解かもしれませんが、これからさらに読み進めていくしかないのでしょうね。

>これまで別々に論じられてきた「感性」と「悟性」でしたが、ここで感性の側に属していた「直観」が、超越論的統覚の条件に従うという。
>ここで言っているのは、統覚の働きは、単に対象の認識をするばかりではなく、そもそもの認識の対象を成立させるものである、と言っているのです。
:という解説もありましたが、このことから見ると、統覚は、本書の根っこ的概念のひとつなのでしょうか。

色々と大変参考になりました。
とりあえず、次へ行ってみます。
  

お礼日時:2010/11/13 16:42

<質問1>


「すべての多様なもの」とは具体的に何を指しているでしょうか。
カントにおける直観とは感性によって得られるものと理解していますが、たとえば、赤いバラを見たときの「色・形状・匂い」などを指しているのでしょうか。そういったものとは別のものでしょうか。

○簡単な説明は以下のようなものでしょうね。
例えば、花びらの一つ一つに意思と個性があるものとして考えてみましょう。
複数の花びらは花びら同士をそれぞれ別の存在と認識するでしょう。中に立派な花びらがいて、悟りという名の直感を持って考えると「もしかして複数の花びらは個性も形も違うが同じ根から出た存在ではないか」と気づいたとしましょう。
これは個別の花びらの悟りですね。
複数の花びらは気づいてはいないが、実は花びらの全てを含む全体を統合する意識がありそれは「花」と呼ばれる意識である。
つまり、個別の花びらは「花」という共通の統合意識化の下で存在している。ということになりますね。
複数の花びらの意識は個別に独立に存在していながら、全てが統合意識の下で花として有機的に存在している。という表現になりますね。
例題は花ですが、手と指の関係、木の葉と枝と幹の関係など例は何でも良いのです。
花びら、木の葉の一枚一枚を個別の人間に置き換えればまた同じ説明ができるのですね。
人間も手と指の関係のように複数で一つの存在を形成していることに気づけば説明は簡単なのですが、そこまで至らないと理解は難しいのですね。
参考に
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

参考にさせていただきます。
  

お礼日時:2010/11/09 21:55

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