dポイントプレゼントキャンペーン実施中!

人は何故悩むのでしょうか?

A 回答 (55件中1~10件)

別の切り口からです。



命そのものの「意思」と「自我」との対立と矛盾から、悩み、苦しみ、
は生まれます。その矛盾の大きさが、悩みの大きさになります。

それは、「命そのものの意思」と「自我の意思」の違いを正すために、
自我意識に、圧迫を加える事です。それが、不安感?罪悪感?など、
色々のかたちで、顕れます。これは、命そのものの意思が、自我を「救
おう」とするためかと思います。

一無位の真人、と云っても、仏性、と云っても、神、仏と言っても。皆
同じ事を、指しています。ただ、受け取る方で、自分の体験に合った、
言い方を、好んで使うという、表現方法の違い、と言えるかも知れません。
    • good
    • 0

自分の中に新しい自分を発見したのに,現実の自分はまだまだそこに到達してないから悩むのではないでしょうか?



他の方も仰ってますが,理想と現実のギャップではないかと?

行動してそれを目指し自分の物にしていかない限り悩みはいつまでも悩みのままなのではないでしょうか?

とか,ポピュラーな意見を言ってみたりする…w
    • good
    • 0
この回答へのお礼

大変お礼が遅れて申し訳ありません。

>理想と現実のギャップではないかと?

その通りだと思います。

哲学カテですから少し角度を変えてみますと、人間の心そのものが不可思議であるとも言えるかも知れません、人間は理想に持っていこうと心の中で計らって生きています、そしてニッチもサッチもいかなくなり3万数千の人が日本では自ら命をたってます、ですから理想に持っていく必要はないのかもしれません。心の不可思議性(自分の心で有りながら心はコントロール出来ない)を自覚したなら・・・。。

御回答有り難うございました。

お礼日時:2008/06/01 12:23

ただの私的意見なのですが・・・


人は「何かの為」に生きているからではないでしょうか。
その行動が良くも悪くも「何かの為」です。
悪い方の極論を挙げますと「何の為に生きているかわからない。自殺しよう。」と考えた人も「楽の為」にその行為を選ぶのではないでしょうか。
そして、人は自分の選ぶ行為が必ずしも正しいとはわかりません。
そこに迷いが生じ、悩むのではないかと考えます。

例が悪くて申し訳ございません。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

お礼が大変遅れて申し訳ありません。

>人は「何かの為」に生きているからではないでしょうか。

中々鋭いご意見ですね、禅の先生で鈴木大拙先生が無為という言葉を使ってますが、人間とは幸福に成りたいと計らって行為をしますが、計らって行為をしたからと言って必ずしも心が満たされるとは限らないですものね。

貴重なご意見ありがございました。

お礼日時:2008/06/01 00:04

たとえば、仏教に「無明」という言葉があります。



すべてを見渡すことができないから、どうするのがいいのかもわからずに人は悩むのだと思います。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

なるほど、ごもっともだと思います。

御回答有り難うございました。

お礼日時:2008/05/10 14:08

複数の選択肢を想起することができるから。

さらにそれぞれの選択肢を一つ一つ吟味して、自分にとって最も有益なものを探し出すことが、それほど容易なことではないから。
だと思います。
みなさんの意見いろいろ読むことができて楽しいですね。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

なるほど選択肢そうかも知れないですね。

ri-zyuが自問自答するなら人は悩むように出来ていると・・・

悩むと言うのは人間の業かも知れないですね、個人的の業も悩みやすい人そうでない人・・・

>みなさんの意見いろいろ読むことができて楽しいですね。

それは嬉しいです。1年位開いときます・・・(笑い)ジョークです。

貴重なご意見有り難うございました。

お礼日時:2008/05/10 14:37

それは、悩ませる者が自分の中にいるからです。

人間には心が二つ有ります。それが、そもそも二元論の始まりです。

子供の頃は、悩みは有りません。宗教で使い古された言葉です。思春期頃から、本格的に悩みが始ります。「アダムとイブが、智慧のリンゴを食べたからです。それは、反省をして、物事を二つに見るようになることから、起こされます。分別できるようになった事です。

その事の意味は、大人の脳に近くなった、言い方を替えれば「脳の機能の分化が完成に近くなった」と言う事を意味します。

そして、悩みの多い人と、少ない人がいます。その違いを説明します。そのために、悩みの無い状態を言ってみます。それは「涅槃」と言われる、心の状態です。それは、禅問答の中に在ります。

禅問答が解けたかどうか?という時に「生死の問題は解決したかどうか?」という、聞き方になります。禅問答には、現実に役に立つのか
という批判も有りますが、これは、分別脳が命掛けでないと解けません。普段私たちが使っている脳では、解く事が出来ません。

是は、脳の機能からいうと、全く説明が出来るのです。分別する事が
有限に関しているからです。自我が扱うのは「有限」に属する問題に関
してのみ、となっているからです。

それに対して、分別出来ない事を「永遠」又は「無限」と言います。これは、分別出来ない事を、専門にしている脳があります。それは人間の「無意識の中に在る意識です」それは、人間の働きそのものとも言えます。

人間の最大の悩みは、自分が死ぬ事を「意識」することです。その時に悩みは大きくなります。それは、限りある命の「自我」がもう一つの意識である、「仏性」の考えを無視する事によります。命というものは永遠であって、肉体の死は、本当の死ではない、と言う事を教えてもらう言をを、拒んでいる事によります。

自我の意識ともう一つの意識との対立、矛盾を自我が苦しみ、悩みとして、受け取っています。そして、その二つの意識が、出会うことで、その矛盾、対立が解消します。

心の対立、矛盾が、悩みです。二つの意識同士の出会いが「見性」するという事です。その事で、矛盾が解消されます。その矛盾のない心が「涅槃」と言われているものです。対立のない、静かな心です。その事を、2,500年もの間、お釈迦様は伝えようとしています。

今の仏の弟子達は、中々教えてくれない気がします。そして悩みとは、分別専門の脳が、分別出来ない問題を抱えてしまう事とも言えます。

悩みが少ない人は、問題をどちらの脳でこなすのかをうまく、振り分ける事が、出来る人と言えます。「精神疾患」は問題を解決出来ない方の脳で、問題解決を図っていることです。その場合自我が、出来ない、「ギブアップ」です、と言えば本当は直ぐに問題が解決します。その我が死んだ時の事を、「大死一番」と云って「悟りが開ける」瞬間なのです。
    • good
    • 0

頭が良いから悩むと思います。

    • good
    • 0
この回答へのお礼

なるほど、動物は悩みませんものね、赤子もですが。

御回答有り難うございました。

お礼日時:2008/05/08 21:11

孤独だからではないでしょうか?


自分の意見に自信が無い原因の一つには、多くに賛同してもらえるかどうかが不安なことが挙げられると思います。
自分だけで決めなければならないことほど悩む気がします。
他人の意見など関係ないと言っている、ゴーイングマイウェイな人に限って、一人で悩んでるケースが多い気がします。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

孤独なるほどそうかも知れないですね


有り難うございました。

お礼日時:2008/05/08 17:38

nochitaseです。


・・・・悩みとは?・・・・
色々よませていただきました。
私は未熟なのかもしれませんが(未熟です)、考える「位置」があるように感じました。自分の意見に自信があるわけではないのですが、
でも○○教とかに置き換えないで「人は何故悩むか?」を全てとりはらって、意見を受け入れては?と思いました
・・・・またまたトンチンカンな回答してしまったかも・・・アハッ
失礼しました
    • good
    • 0
この回答へのお礼

哲学カテゴリーですから、ご了承頂けたら有り難いですね。

だけども少しは気をつけたいと思います。

>・・・・またまたトンチンカンな回答してしまったかも・・・アハッ
失礼しました

なにをおしゃいますやら。

貴重なお諭し有り難うございました。

お礼日時:2008/05/08 01:39

「常に自分を守り導いてくれる存在がいることに気がついていない」



または

「自分が運が良いのだ、すべて最善最良の事象が目前に現れているのだ。悪く見えることは、そこから学べと自分に教えているのだ」

と信じられないから。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

何となく判りますね   もう少し判りやすく言って頂ければ有り難かったですが、

有り難うございます。

お礼日時:2008/05/07 16:36
1  2  3  4  5  6 次の回答→

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!

関連するカテゴリからQ&Aを探す