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人は何故悩むのでしょうか?

A 回答 (55件中51~55件)

直接の回答ではありませんが、デカルトの


「我思う故に我あり」
が一つの指針になるかと思います。

「我」という存在の外側(比較対象)が無くても、恐らく人は悩むことが出来ます。
それが人としてのアイデンティティーなのでしょう。
もし悩むことが出来ないのであればそれは人としての価値が低くなることでしょう。
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この回答へのお礼

なるほど

「我思う故に我あり」アイデンティティー有名な言葉ですね

「我思う」前に「我が」有るかもしれません・・・

有り難うございました。

お礼日時:2008/04/27 09:22

「悩み」の極限といわれるものが


いわゆる「自殺」

 逆に言えば、「自殺」の理由そのものが
「悩み」の本質を表象していると思います。

 経済苦・病苦が その理由として多く、
この場合は「自己の生命そのものに関わる事項だから」
→生命そのものが脅かされているのだから、生命の
一部のパーツ「脳」が負的ベクトルで過剰に反応する
のは当然ですよね。

 あと
 失恋苦・学業苦・仕事苦
この場合は「個人的評価を伴う事項だから」
→(生命ほどではないとしても)自尊心そのものが
脅かされているのだから、自尊心の一部のパーツ「脳」
が負的ベクトルで過剰に反応するのは当然ですよね。

この「過剰さ」の反応の度合いは、
個々人の生まれつきの気質によって異なるので
特に神経質な人ほど過剰に反応するでしょう。

 従って、この世の中は鈍感な人ほど生きやすいとも
言えると思います。
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この回答へのお礼

人は悩むように出来ている  個人差により悩みの多さ、深さが違うと言うことでしょうか。  ごもってもですね。


有り難うございました。

お礼日時:2008/04/27 09:14

それは人が成長するための必須条件だからです。

苦悩を超えなければ、真の喜びが解らないからなのです。
この世、つまり三次元に生まれ出てきたということは、いろんな価値意識を持った人たちと、同じ時間を共有する唯一の場所だったからなのです。
だから人は悩むのです。
同じ四次元、あるいは五次元にずーっといたならば、悩むことはありません。類は類でそれは価値意識が一緒だったからなのです。
多次元から来た異なった意識レベルの人たちと、一同に会する場所として、あるいは学びの場所として、この三次元が生成されたことを忘れてはいけません。
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この回答へのお礼

むつかしいですね

有り難うございました。

お礼日時:2008/04/27 09:09

「社会的で在ること」と「個人的で在ること」の間に矛盾があるからだと思います。

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この回答へのお礼

なるほど

有り難うございました。

お礼日時:2008/04/27 09:03

一言で言うなら



 「欲が深いから」

         です

そこに至るまでの過程はすっ飛ばしますよ
論文一つ書けちゃいますからね
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この回答へのお礼

ごもっとも

有り難うございました。

お礼日時:2008/04/27 09:02
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