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そもそも「自己矛盾」てなに?
(表面的な意味じゃなくて、宇宙と己の関係性において)

A 回答 (4件)

宇宙なんて嫌いだと言いながら、宇宙船のパイロットになってるやつ

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自己矛盾とは、自身の心が二つ在って、その二つのものに違いがると云う意味になります。

それは『現実の目の前の、動かしがたい世界』と『頭の中の作り上げた、自分の世界』が矛盾していると云う意味です。早い話が、自分と現実が食い違っていると云う意味です。

その矛盾が、対立に変わるとき『心を病む』と云う言い方になります。自分の心が二つ在る事を大抵の場合は、知る事が出来ませんが、知る事が在る場合があります。その場合を『見性』と言っています。つまり悟りを開くと云う言い方です。言い方を替えるなら、自分自身を知ると言う事です。

その事を詳しく書くなら、この2,000文字では書ききれませんので、簡単に理屈のみを書いてみます。

人間の脳内には、生まれてから経験によって学んで、言葉に置き換えて、受け取っている自分が存在しています。ですが、脳内にはもう一つの人格が存在しています。この人格を仏教では『仏性』キリスト教では『神』と云う名前で呼んでいます。

この者とは、一人の人間には、必ず一人存在している者です。各種動物や昆虫などが、習わないにも拘らず、全ての事を完璧に出来る事は、脳内に存在するその者の機能によっています。生まれる時から備わった『脳内に刷り込まれた記憶』と云うべきなのかも知れません。

赤ん坊が教えられなくとも、指しゃぶりが出来たり、不安や安心を知っている事もその機能の一つです。その者は生まれた訳ではない事から、滅する事も無い存在です。既に永遠と云う意味を良く了解している者です。

その者を他の言い方をするなら『命を働かせている働き』と云う言い方でも良いと感じます。そうして『自分』と共に何時も一緒に居る者です。

人間の生活は『自分だけで成り立っている』と云う勘違いから、人間苦が始まっています。『一切皆苦』と云う意識地獄が始まると云う意味です。

誰でもが判っている事があります。現実とは、或は真実とは、目の前に展開している世界ですが、その世界を誤まって見る場合があると云う意味です。何処にも不安が無いにも拘らず不安になって全身で不安を感じてしまう場合などです。

恐怖症やパニック障害などです、或は心を病むと云う場合や、自律神経失調症などで苦しく、辛い気持ちで過ごす場合です。この場合には『心の矛盾』の結果で苦しんでいると云う事になります。

人間の意識はそれ自体では余り機能を持っていません、自我意識のみでは眠る事さえ出来ません。『恐怖症やパニック障害など、或は心を病むと云う場合や、自律神経失調症』と云う場合全て、その機能が無い自我意識のみを優先させた生き方が原因です。

その理由を書いて見ます。人間の生活は『自我意識』と『無意識』が交替制を取っています。メンタル面が強いと云う場合は『自我意識が出ないように出来た時』の事を言っています。

逆にメンタル面が弱いと云う場合『自我意識が出たままになって、無意識の自分と切り替わる事が出来なくなった』という言い方が適当です。

意識が出たままになって、心が休まらないのは、無意識の自分と交替ができなくなった事です。この事を『意識地獄』或は『一切皆苦』と言います。

心を病む事になって『心に圧迫を受けるのは』無意識からの交替要請です。人間の自我意識は眠っていると勘違いしています。人間の眠りとは『始めに意識がなくなって、無意識の自分と入れ替わります。そして無意識の自分が身体と心を支配して、深い眠りに入ってゆきます。』

何かがあって『頭が真っ白になる』現象は、自我意識が自我意識の機能で考えている現象です。眠れない事も、吃音も、対人恐怖や全ての恐怖症も、脳の機能の使い方の誤りです。

残りが好くなって来ましたので、結論を書いてみます。矛盾における『宇宙と己の関係性において』とは、自己の中に備わっている、全てを見通している者が見た宇宙は真実の宇宙です。ですが人間の自我意識がその情報を貰ってそのままでは素直に目れない場合も多いと云う事になります。

目の前の世界と、頭の中で作られた世界は二つになっているかも知れないと云う意味です。それは矛盾しない心で無いと捉えきれないかもしれないと云う意味です。

何処にも不安が無い状態にも拘らず、何処にも無いはずの不安に苛まれている事は、二つの心に矛盾が有るからです。真実が見える者と、自分で作った不安の中で妄想で作り出した不安に苛まれると云う矛盾です。

この心の矛盾の解消が自分自身を知る事に当たります。真実を見ている者と、自分が観ているものが一致する事です。物事の認識の仕方、或は世の中の見方、或は生き方の誤りが、一つの世界を二つに分けている事になります。

心の矛盾の解消とは『自分と現実が一致する事です。』それが出来た時、現実には不安(症状)などなかった事が分かります。
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 「宇宙と己の関係性において」なんて条件を付けられれば、やはり「自己」と「自我」の対立、なんてことに思いが至ります。



 さらにこの「問い」に刺激されて、あるいはこの「問い」を通して「自己、自我」を考える事になりました。

 そこで考えながら、回答?を試みます。

 ここで思いついたのは、よく言う所の「自己」とは神や仏の心に指向する“心”。
 「自我」とは、仏教では煩悩、キリスト教では「悪魔」?の領域に入る?“心”。

 なのでは、なんて。

 こう考えてみると、あとは私がへたくそな説明を述べなくても、「自己矛盾」と感じる気持ちがどうして起きるのかが、分かるのではないかと思いますが。

 いや、少なくとも、考えるヒントにはなるのではないでしょうか。

 
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そもそも「自己矛盾」てなに?


(表面的な意味じゃなくて、宇宙と己の関係性において)

○ 宇宙も星も鉱物も全ての生物も同じ法則のもとにできているのですね。この法則が地上に肉体を持った時、その肉体を仏陀と呼ぶのです。これは人々が法則を忘れかけた時に稀有に現れる現象です。
全ての生き物はその心の奥の奥にはじめの法則があります。これを仏性と呼びます。まあほとんどのひとは忘れてしまっているのですが実際は全ての人に備わっているものです。忘れるから思い出させるために仏陀がまれに顕現するということになるわけです。
この法則、仏性は全てのものが同じように持っていますが、多くの人は肉体を通して脳で考え、思想を創り行動します。これらの思想や行動が自らが持つ法則に反していればおのずと自己矛盾を起こしていくことになります。個人だけではありません、法則は宇宙も地球も山川草木すべておなじですから、そこに住む多くの生き物が法則に反した思想や行動を行なうと地球でさえ自己矛盾に落ちるのですね。それを解消するために天変地異が起きることになります。これは全てに当てはまる因果応報です。
人の心が自己矛盾を起こすと、天変地異と同じく規模は小さいですが自己破壊がおきます。癌などの病はその典型的な自己破壊(自己矛盾)ですね。
宇宙の法則は心の奥の奥にありますから、心の奥の奥に穿ちいればわかるはずです。これを内観といいますが、目など見えなくとも誰しもわかるようになっているのです。目が見えすぎるが故、体が健康すぎるが故、CPUにしか過ぎない脳に頼りすぎて、自己矛盾を起こしている多くの人をみるにつけそのように思わずにはいられないですね。
以上は自己矛盾の本質的原因についてです。
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