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クリスチャンの女性の結婚と純潔についてクリスチャンの女性の結婚と純潔について皆さんの意見(できればクリスチャンの方、特にクリスチャン女性)をお聞きしたいです。

私は30代前半のクリスチャン男性ですが、クリスチャンでない女性の「昨日、彼氏とHしたときに・・」とか「男性はやりたい放題なのに、女性はそうじゃないなんて不公平」とかいう発言に、どうしても違和感を感じます。
また、クリスチャンの女性の中にもそういう方がいるのにも違和感を感じます。

別に、性交渉は自由でしょうが,、日本の昔でも婚前交渉は認めないという風潮があったし、全世界的に見ても主流はそうなのではないでしょうか??

お前は古いよ。とか言われたりして。最近、私のほうがおかしいのかなぁ???と思ってしまいます。どうなのでしょうか?
皆さんの意見をお聞かせください。

PS.洗礼を受けた時点で、すでに婚前交渉をしている人を裁いているのではないです。そんな権利私にはないですし。

A 回答 (6件)

こんにちは。



うーむ。。。
理想はそうですね。
でも実際教会でさえも「昨日彼氏とHした時に、、、」等という会話が聞こえてきて全く不思議でないこのご時世にそういう高い理念を実行しているクリスチャン女性を探すのは少し骨が折れそうな気がしないでもありませんね。
ちなみに、クリスチャンは人口そのものが少ないのでその中でそういう女性を捜すのは難しいですが、クリスチャンでなくても良ければ意外に居ますよ♪
。。。と言いつつ、思い起こせばクリスチャン内でもちらほら居ますね。私の周囲には。




どの書か失念しましたが、旧約に神ご自身から直々の命令で娼婦と結婚させられた予言者が居ましたよね。
かのソロモンだって数百人の側室を囲っていましたし。
イエス様が復活後にはじめに現れたのもマグダラのマリアの前です。
忘れない方が良い事は、旧約の時代に原子の知識さえ与えられたとされるソロモンでさえも人妻を奪ってその夫を謀るという行為に走りました。これは、悟りや知識が高くても情欲に躓かない根拠にはならない事をしめしています。
他にも娼婦やそれに準ずる行為を行うものが必ずしもその罪を問われていない/罪とさえ問われていない箇所は意外に多いです。

また、ある一人の男性と付き合った事によってそれまでの価値観や世界観をガラリと変え、その男性の世界に飛び込める女性も少なくはありません。こうした女性が過去に純潔でなかった場合、それを理由に拒絶するべきか、彼女を信じて交際するかの問題になってくるように思います。拒絶すれば心のどこかでやはり純潔でない女性を赦していないのかもしれませんから、これもこれで問題です。
クリスチャンが信じなければいけないのは神だけではなく、隣人もまた信じ方は違えども信じる対象であります。
今までの行為だけを見て共に歩くか否かを決めるのであればそこらへんを歩いているビジネスマンでも同じです。
クリスチャンとは何でしょう。相手の家柄を気にして政略結婚する貴族か、血統書付きの犬同士を交配させて純血種を只管守る人か。
そうでは無いと思います。
簡単じゃない場合もありますがね^^
また、またもやどの書か失念しましたがパウロも相手がクリスチャンでなくても、自分がクリスチャンであれば、自分の故に相手が救われていると書いています。だからといって別にノンクリスチャンとの結婚を勧めている訳ではありませんが、そういう関係もアリだと言っている訳です。

そういう訳で、はっきりとした結論にはなっていませんが、あまり重点を置きすぎるのもそれはそれでどうかとも思います。
もう夜も遅いので今日はこの辺りでとりあえず如何でしょうか。
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この回答へのお礼

ご意見ありがとうございます。

えー、私も説明が足りませんでしたが、もちろん純潔は大切な要素ですが

それだけが結婚を決める要素ではありません。(あたりまえですが・・^^;)

相手の方の人間性や性格、自分と合うかどうか、互いに理解し、理解できるかetc・・

そちらのほうが、大事ですが、純潔は私にとって結婚に外せない要素なのです。

それはもちろん失敗したくないとか、この人でいいのか?などの疑問や自分の弱さにも

理由がありましょうが、ずーーーっと中学生のころからそういった結婚に、あこがれて

いましたしその影響も、あるアーティストとキリスト教からでした。

聖書には、旧約、新約通して一番大事なことは

「神は愛であり、神を愛し、自分を愛するようにあなたの隣人を愛せよ」

とうけとっています。

イエス御自身の言葉であり、それを地でいかれました。その最後が十字架の死と復活・・・。

「自分を愛するように」のなかに、性においてもそれを大切にするようにとの意味を

感じるのは私がおかしいのでしょうか?

私は娼婦や、それに準ずる人を裁いたりしたいのではないです。なので娼婦やそれに準ずる

議論は抜きにしてほしいなというのが率直な気持ちです、、、。

そういった議論なら、いくらでも本があるし、ネットでも議論されているから。

しかし、神様であるイエス様がそういった方々を大切にしていること、愛していることは

信じています。

ただ、イエス様がそういった人をあいしていることと

自分がそういった人と結婚することは似ているようで、大きく違うのではないでしょうか?

ましてや、一回きりの人生です。自分の大切な人生です。

だからこそ、私は真剣に考えたいし、真剣に考えれば考えるほど、そこが(すべてではなくても)

引っかかってくるのです。

KONIMIX、Apostleさんの気分を害したらごめんなさい。

しかも、私の出会いまでご心配いただき感謝です(ほんとです)

ありがとう。

ご意見あればまた、書き込み待っています。。 God Bless You!

お礼日時:2011/04/16 17:22

こんにちは。



私も特に気分を害してはいません^^
怒られるかもしれませんが、私の信じ方は人は人であり、同時に神でもあるというものです。
もちろん、犬の子は犬、カエルの子はカエル、ライオンの子はライオン、同じ名前でも親と子では天地の差があります。
しかし、同じ四本足、一つの頭、二つの目、etc、「親さながら」なのです。
もし親がそうしているのであれば、私は子として自分もそうしたいと思っています。
もちろん、親と子の間に気の遠くなる様な実力差があるのは言うまでもないので、「したい」と思う事と「できる」という事は違うとは思います。
でも、気持ちとしては私は親に倣いたい。
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お礼ありがとうございます。


No.3のKONIMIXです。
気分は害していませんので大丈夫ですよ。
自分の考えを書き込んだだけですので、逆にyosefu777さんに気を遣わせたようで申し訳ないです。
>純潔は私にとって結婚に外せない要素なのです。<
私も古い考え方をする方なので、yosefu777 さんの考え方も解らなくは無いです。
ただ、家内と出会った時、そんな事は少しも考えられませんでした。
とにかく、「この人と一緒に人生を送りたい」と言う思いしか出てきませんでした。
yosefu777 さんにとって、「純潔」が大事な事はわかりますが、柔軟な考えを持っていないと、幸せを逃がす事もあると言う事を覚えていて下さい。
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40代既婚男性です。


私自身はクリスチャンではありませんが、家内がクリスチャンです。
家内は成人してから自分の意思でクリスチャンになったようです。
当然私との結婚前からクリスチャンで、私がクリスチャンでない事を承知で結婚しましたし、私の方も家内がクリスチャンである事を承知で結婚しました。
クリスチャンで無い私からすると、「yosefu777さんは、純潔かどうかで結婚を決めるのかな?」と受け取ってしまいます。
純潔であろうとなかろうと、その人が歩んできた人生があって、yosefu777 さんが「結婚したい」と思える女性になったと思えませんか。
純潔だが性格が合わない、純潔ではないが性格が合う、yosefu777 さんはどちらの方との結婚を望まれますか?

私と家内が出会ったのは、私が45才、家内が35才の時でした。
良く話すのが、「お互い出会うまでに時間が必要だったね。もっと早く会っていても結婚は出来なかったと思う。出会えるまで結婚していなくてありがとう。」と言う事です。
お互い出会うまでに、恋愛もし、失恋もして人生経験を積んだ上で、大切な人と出会う準備をしていたんだと考えています。
クリスチャンで無い私が言うと怒られるかも知れませんが、「神様が全てを計画してくれていたのかな」と思ったりもします。
yosefu777 さんにも良い出会いがあると良いですね。
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この回答へのお礼

ご意見ありがとうございます。

えー、私も説明が足りませんでしたが、もちろん純潔は大切な要素ですが

それだけが結婚を決める要素ではありません。(あたりまえですが・・^^;)

相手の方の人間性や性格、自分と合うかどうか、互いに理解し、理解できるかetc・・

そちらのほうが、大事ですが、純潔は私にとって結婚に外せない要素なのです。

それはもちろん失敗したくないとか、この人でいいのか?などの疑問や自分の弱さにも

理由がありましょうが、ずーーーっと中学生のころからそういった結婚に、あこがれて

いましたしその影響も、あるアーティストとキリスト教からでした。

聖書には、旧約、新約通して一番大事なことは

「神は愛であり、神を愛し、自分を愛するようにあなたの隣人を愛せよ」

とうけとっています。

イエス御自身の言葉であり、それを地でいかれました。その最後が十字架の死と復活・・・。

「自分を愛するように」のなかに、性においてもそれを大切にするようにとの意味を

感じるのは私がおかしいのでしょうか?

私は娼婦や、それに準ずる人を裁いたりしたいのではないです。なので娼婦やそれに準ずる

議論は抜きにしてほしいなというのが率直な気持ちです、、、。

そういった議論なら、いくらでも本があるし、ネットでも議論されているから。

しかし、神様であるイエス様がそういった方々を大切にしていること、愛していることは

信じています。

ただ、イエス様がそういった人をあいしていることと

自分がそういった人と結婚することは似ているようで、大きく違うのではないでしょうか?

ましてや、一回きりの人生です。自分の大切な人生です。

だからこそ、私は真剣に考えたいし、真剣に考えれば考えるほど、そこが(すべてではなくても)

引っかかってくるのです。

KONIMIX、Apostleさんの気分を害したらごめんなさい。

しかも、私の出会いまでご心配いただき感謝です(ほんとです)

ありがとう。

ご意見あればまた、書き込み待っています。。 God Bless You!

お礼日時:2011/04/16 17:24

こんにちは。


クリスチャンです♪

質問文にはっきりと書かれていないのでとりあえず馬鹿正直に質問文に対しての私の発言です。
コリントの信徒への手紙一5章6章を読んでみてください。
クリスチャンの生き方に対する指標や基準などをクリスチャンでない人に求めるのはナンセンスですし、クリスチャンの中にもそれを求めるに値しない人が多いのは言うまでもありませんね。


そんな事は百も承知の上で言及されているのであれば、あと一歩話の方向付けをして頂かないと語るに語れません。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

なるほど、たしかに

「クリスチャンの生き方に対する指標や基準などをクリスチャンでない人に求めるのはナンセンスです
 し、クリスチャンの中にもそれを求めるに値しない人が多いのは言うまでもありませんね。」

おっしゃる通りですね。

百も承知の上での言及しているわけですが、自分の結婚を考えたときにどうしてもぶち当たる問題なので

質問させていただいてます。つまり、やはり結婚するなら純潔を重んじているクリスチャンの女性の方が

いいですし、そうあってほしいし、そう思う(思っていて実際にそうだという)女性は、はたしてどれだ

けいるのか??というのが疑問なのです。

方向付けになりましたでしょうか?なってないかも・・・^^;

お礼日時:2011/04/14 18:43

嘘も方便という日本の文化を知らないんですか?


『知る不幸』と言い換えることもできると思います。

死ぬまで付き続けたら嘘は真実になります

真実と事実は違うと言う事も…結局日本の文化です
クリスチャンである前に日本人であるなら理解できるはずの話ともいますが
どうでしょうか?

結局本音が話したい相手か?建前で行きたい相手か?
嘘を付いても『それ』を知られたくない相手か?そんなことどうでも良い相手か?
それらを含めて神様にどう向き合うかって事じゃないですか?

この回答への補足

まずご意見ありがとうございます。

ウソも方便・・・本当にそうでしょうか?

死ぬまでつきつづけたら、ウソは嘘でなくなるでしょうか?

本当にそうでしょうか?? 甚だ疑問です。

死ぬまでつきつづけようが、真実は真実。ウソはウソ。

真実と事実が違うというのは文化ではないと思います。

曖昧にするとか、ごまかすとか。

それは

「イエスキリストを信じる者にとって伴侶にうそをつきつづける」=「罪」

以外の何物でもないと思います。

神は聖であり義であり愛であるなら、その神を本気で信じている人の心に

良心の呵責が生まれないはずがありません。

少なくとも、私はそう思います。

補足日時:2011/04/13 01:28
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