これ何て呼びますか

 日本語を勉強中の中国人です。日本の方は物事を言う時に、なぜ直接に言うのを避けていて、遠まわしに言うのが好きでしょうか。なんとなくそういう傾向があると感じています。ストレートに物事を言うのは日本では不躾だとされているのでしょうか。日本の方をよりよく理解したいと思います。悪意がありません。

 また、質問文に不自然な表現がありましたら、それも教えていただければ幸いです。よろしくお願いいたします。

A 回答 (15件中11~15件)

 こんにちは。



 まづ 日本語の表現についてです。ほかの回答にもありましたが 次の表現は 日本語としてふつうの遣い方ではありません。
 ★(あ) 悪意がありません。
 ☆ ガ格は ハ格と同じように主題を提示するのですが ハ格が第一中心の主題をみちびくのに対して あくまで第二主題なのです。しかも ハ格がみちびいた中心主題に関係した主題です。
 たとえば 次のようにです。
 ★(い) 日本の方‐ハ なぜ遠まわしに言うの‐ガ 好きでしょうか

 ですから たとえばこの文例(あ)の場合 こうなります。

 (あ‐1) わたしハ 悪意ガ ありません。
 (あ‐2) いまこの質問〔で〕ハ 悪意ガ ありません。
 
 いづれも おかしいのですが お分かりになりますか? (1)のほうでは わざわざいま《わたし》つまりご自分のことについてなぜ話題にするのか? というおかしさが出てしまいます。
 (2)では ハ格が そのひとつの主題を取り立てるはたらきがあるので いわばその対比としての役目によって 《いまこの質問では 悪意はないけれど ほかの質問では悪意があるかも知れない》という含みを持ってしまうからです。
 したがって この(あ)文については

 (あ‐3) 悪意ハ ありません。

 というふうに 《悪意》を中心の主題として表わすのが ふつうの言い方です。

 もうひとつです。
 ★(い) 日本の方はなぜ遠まわしに言うのが好きでしょうか
 ☆ これは 一般に次のように言い表わすかと感じられます。

 (い‐1) 日本の方はなぜ遠まわしに言うのが好きなのでしょうか

 感覚的なことだと言えばそうなのですが――つまり (い)でも意味は通じているのですが―― 強いて言えば (い)のままだと 《好きでしょうか 嫌いでしょうか》と問うている感じがします。そうではなく 文の構成は 次のようだと考えられるからです。

 (い‐1‐1) 《日本の方‐ハ 遠まわしに言うの‐ガ 好きである》の‐ハ 〔そのこと‐ガ〕 なぜでしょうか。

     *

 さて このように初対面である質問者を相手にしてその人に向かって わたくしのように
 ★ ストレートに物事を言うのは日本では不躾だとされているのでしょうか。
 ☆ そのように見る人も中にはいます。おそらく何も大事なことは考えていない人だと受け取れば だいたい間違いはないでしょう。世の中の流れに迎合するという意味です。(そのほうが 出世は早いようです)。

 ということは結論として 要は 通じるかどうかです。

 極端に言えば あいまいなままにしておくという交わりもしくは話し合いもあるでしょう。また しっかりと微に入り細にわたりストレートにものを言って互いに理解しあう必要のある話し合いもあるでしょう。
 昔からかどうなのか いまつまびらかにしませんが 日本人はこのように自分たちの表現をめぐっての慣わしについて 自分たちは《何ごとも 直截にものを言わず 互いに察し合うことをよしとし そしてさらには口に出さずとも互いに思いやりを持って人とは接する》のだと言い慣わすことになっています。
 あたかも条件反射のごとく そう言うくせがついているという意味です。おそらくそのように言うように 世の中の仕組みがつくられて来てしまったのでしょう。


 昔には この日本の国は《ことだま(事霊また言霊)が活きているので わざわざ言挙げしない》と言いました。おそらく いつも接している人間どうしであるので いちいち細かいことまでを言わなくとも互いに分かり合うということ。そして もうひとつには 悪いことは言葉に出してしまうと その言葉どおりにコトが運ぶおそれがあるという気づかいから 直截には言わなかったのでしょう。たとえば葦(あし)をその発音が《悪(あ)し》に通じるので 葦(よし=好し)と言いかえたりしています。
 でもその同じ昔に たとえば自分の友人が先進国であるあなたのお国に留学に行くというとき その長く危険もある船旅に発つ際には《言挙げをするのだ》と言って見送っています。ストレートに思いの丈を吐露し伝えています。

 要は 通じるかどうかであり 必要に応じて直截か婉曲かを遣い分ければよいでしょうし さらには結局のところ この日本にあっても すべて自己表現は自由です。
 またそれゆえに 人は その表現に答責性を帯びるしこれを引き受けるのですし さらにはとうぜん自己に対するとの同じとうとびを相手に対しても持つ。それゆえにそのうやまひ(敬)にふさわしい表現をおこなうようになる。そういうことであるはずです。

 伸び伸びと自由に もっと伸び伸びと もっともっと伸び伸びと 自己表現をおこなって行ってください。
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この回答へのお礼

 ご親切に教えていただきありがとうございます。大変参考になりました。「は」と「が」についてもご丁寧に教えてくださり、こころから感謝いたします。本当にありがとうございました。

お礼日時:2011/06/19 19:10

日本の文化がそうなんです。


たとえば短歌をやるとそこがわかります。
花が美しいと思います。そこで貴方は題材に花を選びました。
西洋人はBeautifulとストレートに言います。
日本語で「美しい」なんて言葉を短歌で使えば、絶対に入選しません。稚拙でこどもの作る歌だと言われます。短歌では花が美しいと言いたいなら何か別な表現でそれとなく花が美しいことをわかるように表現しなければいけません。短歌を学べば日本文化がわかります。
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この回答へのお礼

 ご親切に教えていただきありがとうございます。とても参考になりました。短歌は大変難しいと思います。まず、俳句からはじめたいと思います。本当にありがとうございました。

お礼日時:2011/06/19 18:43

相手に気を使って物事を言うのが得意なのかもしれません。


相手と波風立てずに無難に接することが、一番エネルギーを使わないですからね。
でも、最近は言いたいことをストレートに言う人もいっぱいいますよ。

ちなみに、質問文一箇所だけ訂正を。
こういう場合は「悪意がありません」ではなく「悪意はありません」です。
「が」を使いたい場合は「悪意があるわけではありません」と書いたほうが自然ですね。
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この回答へのお礼

 ご親切に教えていただきありがとうございます。とても参考になりました。また、質問文の添削にも感謝いたします。「は」と「が」についてまだ勉強する必要があります。本当にありがとうございました。

お礼日時:2011/06/19 18:29

私の主人も外国人(フランス)なので同じ事を言います。


私自身も留学していた時に
自分はなんて日本人なんだろうと思った事もあります。
多分、そんな文化だと思います。
教育や家庭環境、生まれた時からしみついているものです。
好きで言っている訳ではないと思います。(←この良い方も遠回しですね!)
ストレートに言うのは全く悪くは無いと考えています。
言われても不快には思いませんし習慣ではないだけだと感じました。
反対に外国人の主人が羨ましくなります。
ストレートのほうが時間も省けますしね!
しかし、たいていの日本人同士には遠回しの本当の意味を理解出来るので
実はストレートだったりします。
ややこしい文化だと思います。
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この回答へのお礼

 ご丁寧に教えていただきありがとうございます。とてもおもしろいです。大変参考になりました。本当にありがとうございました。

お礼日時:2011/06/19 18:24

わたしが行ってた大学の講義では、日本は島国なので、他の強い国に攻められたりしたら逃げられず追い込まれてしまう・・という恐怖心?みたいなのがあったようで、その為に争いを避け、相手とは波を立てずに無難に無難に接する・・というのが根付いているみたいです。


その為に日本人は昔から物事をハッキリ言わず、無難な対応をする事が多い民族なのだと聞きました!
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この回答へのお礼

 ご親切に教えていただきありがとうございます。大変参考になりました。本当にありがとうございました。

お礼日時:2011/06/19 18:21

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