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と言っても過言ではないですよね?

フルコン空手は伝統派へのアンチテーゼであるし・・・

A 回答 (3件)

No2さんの意見に賛同します。



自流派の批判から新しい進化が生まれるのではないでしょうか?
自分がやっていることが本当に正しいのか?
最強論を目指す上で必ず発生する問いです。

自分がやっているからこそ、
自分の弱点に気づくものです。
盲目的に自分の流派が最強だと思っている輩は、
他流派を貶しこそすれ、褒めることはありません。

進化を考えている人はむしろ、
自流派に他流派の良い部分のエッセンスを加えようと試みるはずです。

伝統空手から極真、
極真から大道塾のように、
進化してきましたが、
大山氏、東氏は全て己の弱点を克服しようと試みた結果の産物だと思います。
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??空手のことはよく知らないのですが、自身が伝統空手であり伝統空手に不十分さを感じたから、伝統空手を批判してこれから飛び出してフルコンになったのではないのですか?



他流派を批判した場合、自流を変化させる必要はないわけです。自流を批判するからこそ、自流を変化させる必要が生じ、発展してゆくのだと思いますよ。

「俺たちは今までずっと寸止めをやっていた。しかしこれでは本当に強くはなれない。だから今までの俺たちの寸止めをやめて、当てる練習をしよう。」
になるわけです。そして実際に当てる練習をすると
「俺たちは当てる練習をしているが、俺たちの突きや蹴りは効かないじゃないか。じゃあ今までの突きや蹴りを変えて聞くような突きや蹴りに変化させよう。」
あるいは
「俺たちは当てる練習をしているが、しっかり防御している相手には当てようと思っても当らないじゃないか。じゃあ今までの突きや蹴りを変えて、守っている相手にも当てることができるように変化させよう。」
になります。他流を批判すると
「あいつらは寸止めだけで当てていない。俺たちは当てる練習をしているから、おれたちが正しいんだ。」
これではもっと効かせようとか、防御のしっかりした相手に突きを当てるにはどうしたらよいか、といった工夫は生まれません。


また武術が発展するもう一つの要因は、他流派に勝つための技術の研究です。勝つための研究というのは、それをやらないと他流派に負けてしまう、つまり他流派の方が現在の自流より優れているかもしれない、と思うから研究するのです。

他流を批判したら「あんな流派なんか大したことはないさ。こっちが勝つに決まっているじゃないか。」から自流を発展させようという動機にはなりません。
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私には、大山先生はとても謙虚な方であったという印象があります。

他流派への批判から出発しているとは思えません。と言いますのも、第一回オープントーナメントで、伝統派の我々を招待したうえで、先生は、組み手試合の合間に、演武を披露なさいましたが、我々の場所から最も遠い隅(コーナー)を選ばれての演武をなさいまして、しかも、あっという間に演武を終了させるや、早々に立ち去ってしまわれました。格別な挨拶も一切ありませんでした。確かに、入口付近の両サイドには余り目付きが良いとは言えないような屈強な若者がずらりと並んでいて、オープントーナメントの今日だけは、伝統派の失礼は断じて許さないという雰囲気が感じられ、会場入りと同時に、当方も臨戦態勢に入って、目付きだけはギラギラさせていたように思いますが、着席後は、格別に不穏な動きは双方ともありませんでした。そんな昔話を思い出しましたので、一言だけ申し上げたくなった次第です。失礼致しました。
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