これは高校時代、期末テストに出た問題なのですが、
答え合わせの時ちょうど病気で入院してて、未だに正解がわからないままなんですよ。(笑)
それで半分は諦めて忘れていたのですが、このことを思い出し、ネットの時代でみなさんに聞ける時代になったので質問してみます!。

場面は、Kが「覚悟」という言葉を発したあたりからです。
問題:「新しい光りで覚悟の二字を眺め返してみた私は・・・」
この“覚悟”の、以前と以後の解釈は、どういうものか?
という問題でした。
その時に回答したのは、
◆<以前>
Kがお嬢さんに対して進んでいくという事。
◆<以後>
Kが、お嬢さんへの恋をあきらめ、今まで通りの道へ進んで行くということ。
この2つです。
もちろん、2つともはずれてしまったのですが笑(^_^;)・・・
10数年ぶりに解決出来ると思うので!笑、どうぞよろしくお願いします!。

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A 回答 (1件)

こんばんは。


わたしの思うところを書きますと、
質問者さんの書かれた解答は、
ちょうど逆だったのではないかなあと思います。

先生の
「君の心でそれを止めるだけの覚悟がなければ。
一体君は君の平生の主張をどうするつもりなのか」
という言葉に対して
Kは
「覚悟ならない事もない」
と答えています。

そしてあとになって「新しい光で覚悟の二字を眺め返してみた」先生は
「Kがお嬢さんに対して進んで行くという意味にその言葉を解釈しました。
果断に富んだ彼の性格が、
恋の方面に発揮されるのがすなわち彼の覚悟だろうと
一図に思い込んでしまったのです。」
とあります。
そして先生はあせって「奥さん、お嬢さんを私に下さい」
の行動に出ました。

ですから、質問者さんの答えはちょうど逆だったのではないかなあ
と思います。

でもその時Kが言った「覚悟」の意味は
そのどちらでもなかったわけですよね・・・・・
    • good
    • 1
この回答へのお礼

こんばんは!。回答して頂きまして、大変ありがとうございます!。

>ですから、質問者さんの答えはちょうど逆だったのではないかなあ
と思います。

なるほどぉォ~!。<以前>と<以後>に回答したものが、逆だったんですね。
そうすれば、つじつまが合いますもんね~。

>でもその時Kが言った「覚悟」の意味は
>そのどちらでもなかったわけですよね・・・・・

当時のテストにも、参考にした資料にも、Kが言った覚悟の意味については、
どこにも載ってなかったんですよ・・・。
ただ、「彼の調子は独り言のようでした。また夢の中の言葉のようでした。」
と載ってるんで、これはK本人しかわからないのかなぁ(笑)って思ったり、
お嬢さんに進むのも、道に進むのも、どちらも含めて・・・という意味なのかなとも思ったりしてたのですが、、、
本当のところは、どうなんでしょうね~(笑)。

waremonoさんのおかげで、10数年ぶりに解決出来ました!(笑)。
本当にどうもありがとうございました!!。

お礼日時:2003/10/24 21:26

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Q夏目漱石を読むなら・・・

夏目漱石を読んで文章能力を上げたいのですが、
文章表現が上がりそうな夏目漱石の小説は何でしょうか?

Aベストアンサー

物語構成としては「それから」「坊ちゃん」
修辞学的には「草枕」「それから」
文章練習には「文鳥」

まったくの個人意見です。

Q◆昔話はどんな影響を及ぼした?◆

いろいろな昔話が存在しますが、昔話が時代や人々に及ぼした影響や昔話の役割など、何かご存知のこと、ご意見がありましたら聞かせてください。
また、昔話を研究する上でどんな切り口で見るのが面白いと思いますか?こちらも答えていただけると幸いです。例えば・・・どう伝わっていったのか、とか・・・ヘンかな?(笑)
よろしくお願いいたします。

Aベストアンサー

河合隼雄先生などユング心理学派の人たちがよく昔話と深層心理を関連づけて論じています。
臨床心理学からですが、文化的にも。

例えば、日本各地にいくつも伝わる同じか似たパターンを持つ物語を心理学的に解釈してみたり。
蛇聟(むこ)入りとか、鱗を持って産まれた息子とか。

おんばの皮とか、鉢かぶり、手なし娘…

ヨーロッパの昔話との類似や相違も。
ヨーロッパにも日本にも親によって手を切断か失うことになった娘の物語がある、それぞれの物語で、娘がどのようにして再び手を得て救われるのか?とか。
このあたりは伝わり広まったのでなく、人類が民族を越えて共通して持つ、集合無意識とか元型などの考え方だと思います。

もっと古くからある研究だと、民族学とか文化人類学とか…。
そういう人たちが各地に伝わる話の収集をしています(私はよく知りませんが…)。

アメリカインディアンというか先住民の昔話もいろいろあるようですね。人間の歴史、部族の歴史、しきたりや哲学などを語り継ぐ役割をなすとか。

どれも既存の研究が本になっていろいろあります。

河合隼雄先生などユング心理学派の人たちがよく昔話と深層心理を関連づけて論じています。
臨床心理学からですが、文化的にも。

例えば、日本各地にいくつも伝わる同じか似たパターンを持つ物語を心理学的に解釈してみたり。
蛇聟(むこ)入りとか、鱗を持って産まれた息子とか。

おんばの皮とか、鉢かぶり、手なし娘…

ヨーロッパの昔話との類似や相違も。
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Q夏目漱石の千円札

千円札が夏目漱石から野口英世に代わりましたが、
何年経っても夏目漱石の千円札は使えるのですか??

Aベストアンサー

もし10年経っても存在してたらつかえます
PS日曜日にここ最近お目にかからない2千円札を、見ました

Qレポートが進みません。

井原西鶴の本朝二十不幸の「本に其人の面影」(?)というお話があります。
兄弟2人が死んだはずの母親を見て、兄作弥は涙をながして手を合わせます。しかし、弟八弥は矢を母親に向けて放ちます。矢は命中し、母親の姿は消え、化けていた狸がでてきました。この狸は悪さをしていて人々は悩まされていたので、矢を放った弟八弥を人々は褒めていました。これを聞いた国司は、「たとえ化けた狸であっても母親の姿のものにむかって矢を放つとは!!」といって国から追い出し、兄作弥は「母親に手を合わせて悲しんだのは武士として立派だ!」と褒めました。
だいたいこんな感じの話なのです。
何故人々と国司の評価が違ったのかをレポートで述べるのですが、全然進みません。
よろしかったら何かアドバイスお願いします。

Aベストアンサー

 僕が考えた見解です。キーワードは「理想」と「現実」です。

国司→律令時代の地方官で地域を統治する権力者
町民→その国司に統治される民衆

 兄をほめた国司は権力者です。権力者は権力下にあるものをこうしたい、ああしたいなどと「理想」を追い求めます。
 一方で弟をほめた町民は日々生活していくことで頭がいっぱいである、つまり「現実」的であるはずです。

 兄が死んだはずの母が目の前に現れて涙を流したということは、死んでしまったという「現実」をまだ完全に受け入れられず、実はまだ生きているのではないかという「理想」が頭の中にあったと考えられます。
 逆に弟は死んだはずの母が目の前に現れるはずはなく、「現実」的に考えて化け物に違いないと矢を放ったに違いありません。
 以上より国司は死んだはずの母をいまだ思いやる兄を評価し、町民は現実の生活を脅かす狸を仕留めた弟を評価したのではないでしょうか。

Q夏目漱石は森鴎外をどう思っていたか。

お世話になります。
森鴎外と夏目漱石、ともに日本を代表する作家です。
森鴎外のいくつかの小説には、夏目漱石の名前もしくは夏目漱石をモデルにしたと思われる人物が出て来て、森鴎外が夏目漱石を一目置いていた事が分かるのですが、逆に夏目漱石は森鴎外の事をどう思っていたのでしょうか?2人の間には交流はあったのでしょうか?
そのような事が分かる本などは有るのでしょうか?
宜しくお願い致します。

Aベストアンサー

まず、漱石と鴎外では、実際の年齢に五歳、差があります。
しかも、漱石が執筆活動に入った時期、鴎外はすでに押しも押されもせぬ大家の位置にあったことを、まず押さえておくべきでしょう。

漱石は明治二十四年、帝大の学生だった当時、正岡子規宛に以下のような内容の手紙を書いています。
--------
鴎外の作ほめ候とて図らずも大兄の怒りを惹き、申訳も無之(これなく)、是(これ)も小子嗜好の下等な故と只管慚愧致居候(ひたすらざんきいたしをりそうろう)。元来同人の作は僅かに二短篇を見たる迄にて、全体を窺ふ事かたく候得共(そうらえども)、当世の文人中にては先づ一角ある者と存居(ぞんじおり)候ひし、試みに彼が作を評し候はんに、結構を泰西に得、思想を其学問に得、行文(こうぶん)は漢文に胚胎して和俗を混淆したる者と存候。右等の諸分子相聚(あつま)つて、小子の目には一種沈鬱奇雅の特色ある様に思はれ候。(八月二十三日付け:引用は江藤淳『漱石とその時代』第一部から)
--------

鴎外は明治二十三年一月、『舞姫』を、同年八月『うたかたの記』、明治二十四年一月に『文づかひ』を発表しています。

後の漱石、当時はまだ金之助であった彼が読んだ「二短篇」がなんであったかは明らかではありませんが、この冒頭から、二作品を読んで高く評価した漱石に対して、子規が、それはおかしい、と反論した背景があったことがうかがえます。

江藤淳は『漱石とその時代(第一部)』(新潮全書)のなかで、鴎外の作品は、前年に帝大の英文科に入学してからの漱石の状況を考えながら、この手紙を以下のように解釈しています。

-----(p.202から引用)-----
「洋書に心酔」し、しかもそれを意志的・知的に理解しようと努力するうちに、いつの間にか虐待されつづけていた金之助の感受性を覚醒させずにはおかないものであった。つまり鴎外の小説の「結構は泰西」に仰がれていたが、そこにはまごうかたなき旧い日本――金之助が英文学専攻を決意して以来置き去りにして来た「日本」があったのである。

……『舞姫』に描かれた才子佳人の恋は、舞台こそ独都ベルリンに求められていたが、ほかならぬ晋唐小説の伝統を「文明開化」の時代に復活させた恋である。金之助が鴎外の「二短篇」に見たものは、いわば崩壊しつつある旧い世界像の残照であった。その光を浴びた彼の衝撃がいかに深かったかということは、のちに金之助が英国留学から帰国して発表した小説、『幻影の盾』と『薤露行』に痕跡をとどめている。この二短篇の雅文体の背後には、ほぼ確実に『舞姫』や『文づかひ』の鴎外がいる
------

つまり、漱石が英文学の研究から執筆活動へと移っていったのも、鴎外の存在があったことが、理由の一つであったと考えることができます。


後年、両者はそれぞれに、当時の文壇から離れた場所で、それぞれに仕事をするようになります。

このことを中村光夫はこのように指摘しています(『中村光夫全集』第三巻)。ここで「彼等」というのは、漱石と鴎外の両者を指しています。

-----「鴎外と漱石」p.160-----
おそらく彼等が表面冷やかな無関心を装ひながら内心激しい憤怒に燃えてゐたのは当時の文壇といふやうな狭い世界ではなく、むしろこの文壇をひとつの象徴とする或る社会風潮であつた。いはば彼等の誇り高い教養と抜群の見識とは、当時の我国民が無意識のうちに徐々に陥つて行つた或る根深い精神の頽廃を鋭く直観した。そしてこの抗ひ難い社会の風潮に対して勝つ見込のない敵意を燃やしてゐた。…

では彼等がここで生涯を賭して闘つた敵は何かと云へば、それは一口に云つて、近代欧米文明の一面的な輸入の結果たる所謂文明開化の時潮であったと僕は信じてゐる。…明治大正を通じて我国が存立の必要から強ひられて来た欧州文明の物質的側面の急激な輸入と、その結果として我国民の精神の深所に徐々に食ひ入つた或る微妙な歪みを指すのである。
-------

当時のふたりがなぜ交友をもたなかったのかは、さまざまな事情があったことと思います。

なによりも、漱石が専業作家として活動したのは、わずか十年であったことを忘れてはなりません。成熟するまでに時間がかかり、一人前になってからわずかな時間しか与えられなかった漱石は、自分の生命を削り取って作品に結実させていった、といっても過言ではありません。

二葉亭四迷没後、一時期は同じ職場に籍を置きながら、実質的には交遊がなかった二葉亭に対して、『長谷川君と余』(『思い出す事など』所収 岩波文庫)のように、実に心情にあふれた追悼文を残した漱石ですから、たとえば鴎外が自分より先に亡くなってでもいたら、間違いなく、何らかの追悼文を残したでしょう。

こういう位置にあった鴎外と漱石が、たとえ表面的には交遊がなかったにせよ、互いに反目したり、あるいは嫉妬したり、排斥したりということは、非常に考えにくいと思います。
漱石の弟子宛ての書簡にも、鴎外の名は散見されます。
ともに意識のうちにあったのは、日本や日本の文化の行く末であったことを考えると、互いに深い敬意を抱いていたと理解してかまわないかと思います。

まず、漱石と鴎外では、実際の年齢に五歳、差があります。
しかも、漱石が執筆活動に入った時期、鴎外はすでに押しも押されもせぬ大家の位置にあったことを、まず押さえておくべきでしょう。

漱石は明治二十四年、帝大の学生だった当時、正岡子規宛に以下のような内容の手紙を書いています。
--------
鴎外の作ほめ候とて図らずも大兄の怒りを惹き、申訳も無之(これなく)、是(これ)も小子嗜好の下等な故と只管慚愧致居候(ひたすらざんきいたしをりそうろう)。元来同人の作は僅かに二短篇を見たる迄に...続きを読む

Q国語の「醒酔笑」 現代語訳

国語の宿題である、現代語訳がわかりません。
明日までなので、誰かわかるかたいらっしゃいましたら、教えてください。

いはんかたなき鈍なる弟子あり、
だんなのあつまりて、茶さけなどある座敷に、
年さんたむのあるは常のならひ也。
しかるにかの弟子、
ややもすれば、
いまだ三十の者をハ四十と見そんじ、
五十計の者をハ六十あまりと見そこなふて
わらはるるを、
坊主聞かねて、
「さてうつけに薬かないとハまことや、
我も人も年のよりたきはなし、
誰をもわかいといはんこそほいならめ、
あなかしこ、
そこつに人を年よりといふな」
と、をしへられ、
あけの日、彼弟子、使僧(しそう)に行き、
女房の子をいたきゐるを見つけ、
「此御子息(このごしそく)ハいくつにてありや」
「是ハことしむまれ(今年生まれ)、
かた子(一歳未満)ておいりある」
と、(女房は)こたへけり。
弟子、
「さて、かたこにはわかう(若こう)御座あるよ」
と。

以上になります。
至急よろしくお願いいたします。

Aベストアンサー

 現代語訳というより、この文がほとんど現代語です。

 ほとんど、ふつうに使いますよ。

 下に書いた訳語の言葉が分からないようでしたら、「古語辞典」ではなく、国語辞典をひいてください。




いはんかたなき鈍なる弟子あり、

  言わん難なき「鈍」なる弟子有り。

    鈍=鈍感=バカ


だんなのあつまりて、茶さけなどある座敷に、

  檀那の集まりで、茶・酒などある座敷に、


年さんたむのあるは常のならひ也。

  (前半不明) ・・・ のあるは、常の習いなり。

  ※おそらく「年齢を矯正する(ごまかす)のは人の世の常のことだ」くらいの意味と思われる。


しかるにかの弟子、

  然るに彼(か)の弟子

   (彼の国では、などと今でも使う。「かれの国」ではない。)


ややもすれば、

  ややもすれば(←現代語)


いまだ三十の者をハ四十と見そんじ、

  未だ30歳の者をば40歳だと見損じ


五十計の者をハ六十あまりと見そこなふて

  50歳の者をば60歳余りだと見損ないて


わらはるるを、

  笑われるのを

    (この場合、嘲笑される)


坊主聞かねて、

  師匠の坊主聞きかねて

   (聞いていられなくて)


「さてうつけに薬かないとハまことや、

  はてさて、バカにつける薬はないとは、誠や(大阪弁)


我も人も年のよりたきはなし、

  吾も、他人も、年寄りにはなりたくなし


誰をもわかいといはんこそほいならめ、

  誰をも若いと言うことこそ、本意だろうに

  (ならめ=なるらめ→なるらむ、は古語)


あなかしこ、

  (これは古語) けっして


そこつに人を年よりといふな」

  軽率に、人を年寄りと言うな


と、をしへられ、

  と教えられ


あけの日、彼弟子、使僧(しそう)に行き、

  翌日、彼の弟子、お使いに行き

   使僧・・・ 僧としてのお使い(古語ではないがあまり使わない)
   (あけの日、は古語)
 

女房の子をいたきゐるを見つけ、

  女房が子を抱き居るを見つけ、


「此御子息(このごしそく)ハいくつにてありや」

  このご子息はいくつでしょうか


「是ハことしむまれ(今年生まれ)、

  これは今年生まれ


かた子(一歳未満)ておいりある」

  一歳未満です


と、(女房は)こたへけり。

  と女房は答えけり

  (ケリは、けりがつく、のけりで完了の意味)


弟子、

  すると弟子は

   (実年齢より若く言いなさいと教えられた弟子は)


「さて、かたこにはわかう(若こう)御座あるよ」

  さてさて、一歳未満にはとても見えないほど若いですよ


と。

  と言った。



・・・  大阪人なら、「1歳未満より若いって、いったい何歳やねん!」と突っ込みを入れるところです。
 

 現代語訳というより、この文がほとんど現代語です。

 ほとんど、ふつうに使いますよ。

 下に書いた訳語の言葉が分からないようでしたら、「古語辞典」ではなく、国語辞典をひいてください。




いはんかたなき鈍なる弟子あり、

  言わん難なき「鈍」なる弟子有り。

    鈍=鈍感=バカ


だんなのあつまりて、茶さけなどある座敷に、

  檀那の集まりで、茶・酒などある座敷に、


年さんたむのあるは常のならひ也。

  (前半不明) ・・・ のあるは、常の習いなり。

  ※おそらく「年齢を...続きを読む

Q漱石全集と夏目漱石全集

「漱石全集」が岩波から、「夏目漱石全集」がちくまから出版されていますが、どう違うのでしょうか?
文庫本で小説は全部楽しく拝読いたしました。
興味が出てきて、漱石日記、私の個人主義を(これも文庫本)読んでいます。
今は、夏目漱石の価値観や思想観などちょっとしたことでも、もっともっと知りたい気持ちでいっぱいです。

Aベストアンサー

 こんばんは。

 仰る「ちくま」が、ちくま文庫版と仮定して回答します。

岩波:正字。旧かな。文字通りの「全集」。

ちくま:新字。新かな。難しい漢字などはひらがなにしてある。文学と評論のみ。

 『漱石日記』は岩波文庫版でしょうか。これは、新字、新かな、難しい漢字はひらがなに直してありますね。
 『私の個人主義』は、講談社文庫版かな。

 漱石の時代の雰囲気を知り、あわせて全部を見たいのであれば、#1さんの仰る通り、やはり岩波の『漱石全集』でしょう。いちばん新しいもの(第1巻が1993年)か、ひとつ前のもの(第1巻が1984年)がいいと思います。

 それからですね、
 集英社『漱石文学全集』の別巻『漱石研究年表』は、漱石の行動を、一日単位で年表にしたすごい本です。
 また、
 ほるぷ『初版本漱石文学館』は、初版本を、装丁まで忠実に復元したものです。
 また、漱石の小説は、ほとんど朝日新聞に掲載されたんですが、当時の新聞を、挿絵ごと、そのまま写真版で復元したものもあります。ゆまに書房『漱石新聞小説復刻全集』です。

 漱石のひととなりを知るには、『書簡』がお勧めです。漱石は書簡の名手で、素晴らしい手紙を数多く残しています。岩波文庫の、抜粋の『漱石書簡集』から入ってみてもいいかもしれません。

 漱石の全集は、たくさん出ていて、その歴史は、日本の全集の歴史を象徴してるといわれているんです。これを書くのに、青英舎『漱石全集物語』を参考にしましたが、そんな本が出るほどなんです。

 復刻版は、かなり大きな図書館でないとないかもしれません。最初は、岩波版『漱石全集』か、岩波文庫の漱石作品がいいと思います。

 ご参考になれば。

 こんばんは。

 仰る「ちくま」が、ちくま文庫版と仮定して回答します。

岩波:正字。旧かな。文字通りの「全集」。

ちくま:新字。新かな。難しい漢字などはひらがなにしてある。文学と評論のみ。

 『漱石日記』は岩波文庫版でしょうか。これは、新字、新かな、難しい漢字はひらがなに直してありますね。
 『私の個人主義』は、講談社文庫版かな。

 漱石の時代の雰囲気を知り、あわせて全部を見たいのであれば、#1さんの仰る通り、やはり岩波の『漱石全集』でしょう。いちばん新しいもの...続きを読む

Q和歌の出典を探しています。 ~天飛む転嬢子~

『天飛む転嬢子/いた泣かば人知りぬべし/波在の山の鳩の/下泣きに泣く』
浪人時代の国語の先生が教えてくださった和歌で、教わってから7年たっても
忘れられません。

一度解説などを読んでみたくなって出典を探してみたんですが
自力では見つけられませんでした。 その先生はすでに亡くなっていて、
お聞きすることもできません。

そういうわけですので、出典と詳しい解説書も
あわせて教えていただけると幸いです。


それから別の長歌で、『なびけ この山』という言葉で終わる和歌も
教わったのですが、これは他の部分もすっかり忘れてしまいました。
こちらも合わせてお聞きします。
よろしくお願いします。
 

Aベストアンサー

出展は「古事記」から、詠み人は「木梨軽王子」。参考URLのひとつめを
ごらんください。


> 別の長歌で、『なびけ この山』という言葉で終わる和歌

は、万葉集の柿本人麻呂が詠んだ歌でしょうか?
参考URLのふたつめのページ、真ん中あたりにあります。

参考URL:http://www4.ocn.ne.jp/~mirage/story/kojiki.htm,http://www.pixy.cx/~kantos/newpage6.htm

Q夏目漱石について

20世紀初頭、夏目漱石が
留学していたロンドンで
ヴィクトリア女王の崩御を知り、
「20世紀は幸先の悪い始まりかたをした」
と感想を述べましたが、その先見性は
2度の世界大戦で見事に証明されましたけど、
夏目漱石の功績はどのようなものでしょうか?

Aベストアンサー

彼の文学作品の功績は、それまで我が国において希薄であった個の概念を定着させたことだと言われております。

しかし、個人的にはそれよりも近代日本語の確立者の一人として評価しています。彼は英語教師でしたが、英語を志す前は、漢文(江戸期の学問の主流)の大家(ちと褒めすぎか)でした。明治期の知識人は普通に白文を読むに、中国人以上だったものも多かったようです。そうした、素養の上に外国語を日本語へと翻訳し、今にいたる日本語がつくられたのです。今の「昔からの正しい、美しい日本語を大事にしよう」などと言ってる人が言う、昔とは福沢諭吉、森鴎外そして夏目漱石以降にしかすぎません。

Q小説を書いてて、まったく進まなくなったら何をしてますか?

実は趣味で小説を書いてますが、完結させたことがないという感じです。
途中でテコでも進まなくなったら、皆さんは何をしているのでしょうか。
プロットは最後まで完成してます。
単にやる気がないだけでしょうか?

Aベストアンサー

プロットが完成していれば体裁にこだわらなければ書き進めることは可能。
筆の乗らないときというのは後で読み返すとト書きっぽかったりただの説明書きだったりする。
書いてる最中にそれは薄々気はついているけれど読み返せば読み返すほどここはやっぱり駄目だ、となる。
駄目なら推敲して書き直せばいい。
プロじゃないのだから一発で仕留める必要はない。


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