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学生時代、仏教を勉強していたものです。
確か当時、縁起によって全ての事象が起こると学んだような気がします。
私はこの観念が好きで、社会人になってもそのように物事を見るよう心がけてます。
しかし、ふと最近、疑問が湧きました。
縁起によって事象が起こるのはわかったけど、そもそも「縁起」自体は何によって起こるのだろう。
そんな疑問が浮かびました。
要素と要素の間に関係を生み出す力とは一体何なのだろうと。
何の力によって要素同士は「縁起」という結びつきに至るのでしょうか。
そこにも何か法則があるのでしょうか。
もしかしたら学校で教えてくれたのに私が理解してなかっただけかも知れない。
また、もしかしたら、初期仏教ではブッダはそれに言及していないのかも知れない。
もしかしたら、それを理解するというのは悟った人にしか不可能なことなのかも知れない。
もしかしたら、後に大乗仏教や上座部仏教で語られてるのかも知れない。
と、いろいろ考えてみましたが、やはり真相が知りたくて質問させて頂きました。
何とぞよろしくお願いいたします。
No.1ベストアンサー
- 回答日時:
仏教に素人です。
この現象という世界が不可視の世界から可視になるには、相関性という観念や因果律がなければならないと存じます。その相関性の中に働く因果律から仰せのような縁起というものがおきてくるという理解はできないものでしょうか。
なるほど。
個人的には「相関性」や「因果律」は、わりと「縁起」に近い観念、
というか縁起に含まれるかもと解釈していますが(間違っているかも知れませんが)、
そうだとすると、縁起によって縁起が起こるということになりますね。
そうなると卵が先か鶏が先か、という話に近いですね。
宇宙の始まりに言及するような話でもあるかも知れません。
このまま科学が進んでいって宇宙の成り立ちが解明されるか、悟りを開くかでないと理解出来ないもののような・・・。(我見的な解釈ですみません^^)
話はそれますが、仏教の観念は科学に通じるところもあるなと感じたりもしました。
ご回答、ありがとうございました。
No.3
- 回答日時:
縁起の源泉になるのは人間の不安や嫉妬ですね。
それらを断ち切ることで、縁起が断ち切られ、輪廻から解かれるのでしょうね。
大乗仏教の唯識などにも関わってくるかなとも思いましたが、自信ありません^^;
人間のそういったものが諸存在を成り立たせているとも考えられそうですね。
ご回答ありがとうとざいました。
No.2
- 回答日時:
こんにちは。
縁起自体は何によって起こるのか? というのは
なんというか、縁起のない状態を想定してると思うのですが、縁起はずーっとあるので、
というか、縁起というのは、仕組みですし、なにか要素的存在とは思わないので、
縁起が起こる前の状態は、やっぱり宇宙がある以前の状態ということかなと。
宇宙全体が縁起的ですし。
縁起とは、つまり時間空間的な因果律なので、「起こる、生み出す力、結びつきに至る」というこの発想がもう因果的、縁起的です。
それを指して縁起と呼ぶので、質問自体が、ある種の、循環論法というか自作自演的です。
縁起自体、という日本語がたぶん成立しない気もします。
下に、縁起が縁起を生む、とかかれてますが、それも近いと思いますが、やはり「生む」という概念自体縁起なので、
まさにそういう発想が脳に浮かぶこと自体が縁起かなとも思います。
ここから例えば全部メカニズムで、この世は機械的宇宙?みたいな発想が湧いたとしてもそれも縁起ですし。
縁起の定義として、基本的原因や、基礎的要素、明確な答えはない、という意味を含んでると思います。
縁起は、原因や本質を追求する思考の停止が本質であることを間接的に示していると思いますし、
僕は、存在と関係が相互定義状態にあることを、縁起、と今は思っています。
この回答への補足
あ、それと後からひとつ気づきました。
No.1の方の回答へのお礼の中で、
>このまま科学が進んでいって宇宙の成り立ちが解明されるか、
>悟りを開くかでないと理解出来ないもののような・・・。
と私は書きましたが、これは間違いですね。
>縁起は、原因や本質を追求する思考の停止が本質であることを間接的に示している
おっしゃるとおおり、思考ではその答えは得られない。
「悟り」という体得(のようなもの)によってしか得られないわけですね。
科学が依って立つ、理論的思考という「縁起」によっては、そこへ到達できないですね。
ありがとうございます。
確かに「縁起のない状態」を想定して私はこの質問をしました。
NO.1の方の回答によってわかったように、やはりそれは宇宙の始まりや成り立ち以前の状態だから、
普通の人間が、それをどんなものか知ることはやはり難しいことのようですね。
おっしゃるとおり、私も「縁起」とは要素(または事象や、縁起そのもの)同士を関連付ける仕組み、
または法則(仏法)だと解釈しています。
縁起そのものも次には縁起に取り込まれる一要素となるという堂々巡り(これも輪廻と解釈できるのかも)、
やはり卵と鶏の話のようですね。
最後におっしゃてるのは、縁起によって成り立ったものの実態は無である(無我)ということですよね。
このような対話のうちに、仏教の基本的観念の「縁起」と「輪廻」と「無我」などは、
一体となった観念なのだなとあらためて感じました。
そして縁起のない状態は輪廻からの解放、すなわち「解脱(涅槃?悟り?)」ということだったかも…。
やはりそこに到達しない限り答えのない問題のようですね。
ご回答ありがとうとざいました。
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