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<大阪維新の会>教育条例に「愛国心」明記 9月提案というニュース記事を読みましたが、
やり方が古臭いと思いました。
せっかく日本人は国、芸能人、有名人、大企業、・・・様々な権威から自由になろうとしているところなのにまたこの手法ですか?という感じがします。
維新と言いながらやり方は古臭いと言わざるを得ないと思います。

皆さんはどう思われるでしょうか。

A 回答 (31件中11~20件)

なんどもすみません。



普通に自分の住んでる場所が好きで愛してる、という意味なら、ごく自然でいいと思うのですが、
こういう宣伝に使われる場合の愛国心は、これとは違うと思うので。

そもそも愛がつくろうとして作れるわけではないのも明らかです。
作って作れるのは、やはり熱気、熱意、つまり恋のカテゴリーだと思います。
不安と欲求を基礎にした、情緒的盛り上がりです。



この手の宣伝に使われる愛国心の中身を見ると、「外国が怖いから、国を中心に一致団結して守るべきだ」
的な考えを感じます。

この考えの中には、読んで字のごとくどこにも愛はありません。
なので、これを愛国心というのは、かなり飾り立てた言い方だと言えます。
もっとも、恋のことを、愛してる、と勘違いして言うこともよくある以上、否定はしませんが。
でも不正確です。
これを愛国心と呼ぶのは、牽強付会というか、強引なネーミングです。
もっとも社会的にはその程度の美辞麗句は、よくあるのですが。




僕個人としては、不安なら不安と正直に言うことのほうが誠実だと思いますし、
これを愛だというのは、厳しく言えば現実のねじ曲げ、やさしく言えばカッコつけすぎかなと思います。
これが愛だなんて、そんな綺麗なものじゃないと思うので。
愛国心の本質である恋というののは、欲の別名ですし。
それがいけないと言ってるわけではないですが、
欲のない人もいませんから。
ただ、愛国心、などという飾り立てた物言いは、恐怖という本質的な問題を更にこじれさせる結果になってるのが残念です。



こうやって、不安を修飾して、自分の恐れや不安をわかりづらく表現してしまうからこそ、
この手の問題はなかなか解決しないのだと思うので。



なので思うに、愛国心について反対か賛成か、より、まず現実問題、愛国心が何か? 認識することのほうが先決だと思うし、
いたずらに愛国心の仮面を剥がすのもいいとは思いません。
現在の世界のシステムー国家、という制度に根ざす恐怖であれば、なおさらです。
情緒的にそれを捉えるだけでなく、客観的にもそれが何者か把握することにより、問題解決の糸口も見つかる可能性があるのではないでしょうか?
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

最終的に精神は完全な自由を目指して動くだろうと思いますので、お国がどう画策しようと究極の目的に対しては何の意味も無かろうとは思います。
ただ、今は未熟な精神のために愛国心とはオブラートに包まれた不安と恐怖であるということを訴えていきたいと思います。

お礼日時:2011/08/18 18:26

「愛国心」の中身が「天皇崇拝+日の丸万歳+君が代大好き」だから陳腐なんでしょうね。


そいつらの後ろ盾は米国・英国・イスラエルの資本家だからです。

一方で「アジア共同体」の後ろ盾が中国の軍閥だから、そっちも古臭い。

では真の愛国心とは、地球共同体を目指す全体主義でしょうか。
個性や少数の治世観を無視した全体主義は、やはり古臭い思想です。



あなたが正しいと思う思想を自分で考えて、自分で広めてください。
それが画期的な思想なら、人々も受け入れますよ。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

「精神の完全なる自由」これが私たちの求めているものです。
愛国心とは不安からの逃避ですね。

お礼日時:2011/08/18 13:03

もう一つ追加で



吊り橋効果に例えたのですが、
ロミオとジュリエットのようなものを引っ張ってくると、



恋は、障害が多ければ多いほど燃え上がります。家の反対があればなおさらです。
愛国心も、世相が不安であればあるほど、防衛本能の裏返しとして燃え上がります。
愛国心を否定する人がいればいるほど燃え上がることになると思います。
というのも、その本質が、愛ではなく、不安や恐怖だからです。

あるいは昭和天皇がなくなったときに殉死した人がおられたですが、
ジュリエットも、ロミオが死んだと思って、殉死しました。
全く同じじゃないですが、相似型です。

恋は燃え上がる、といいますが、愛国心も燃え上がると表現されます。



そう見ると恋はかなり外的条件に左右されがちな不安定なものですが、
愛国心も同じだと思います。
つまり、世相が穏やかになればなるほど、頭も冷えて冷静になりがちに思います。



などなど、恋と愛国心は、規模は違うんですが、相似的です。




恋の方は世間でかなり強力に分析されていて、それがある種の勘違いであったり、
一例として、愛は他人本位だけど、恋は自分本位なんだ、などとも言われるのですが、
それが愛国心にも当てはまります。

愛と違って、一見相手のためなのに、実は自分のため、というのは、
2元論的な愛憎、という言葉で言われる愛か、そうでない愛か、の違いとも言えます。



愛憎うずまく、と言われる時の愛=恋、と同じものです。
恋を、愛憎うずまく、というふうに世間では、愛という言葉でも表現されるため、
恋国心ではなく、愛国心と書くのはあながち間違いとは言えないと思います。

つまり、逆に愛国心と書いていても、その実態は恋だ、という意味ですが。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

>その本質が、愛ではなく、不安や恐怖だからです。

そうです、ここが問題です。
当人にはその自覚が無いかもしれませんが、利口な政治家にはよくわかっているのです。
その自覚なしに愛国心を語るのは非常に危険ですね。

お礼日時:2011/08/18 12:59

やっぱり愛国心はないと、不安な感覚がありました。


外国が愛国心が強いので、流されるのではないかと。

ですが、家族愛など強いるものではなく、
日常生活において、自然と生まれているものなので、
国になると、そうしたほうがいい。は国に力が足りないのかなど
考えさせられます。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

>やっぱり愛国心はないと、不安な感覚がありました。

そうです、愛国心の根底にあるのは不安や恐怖です。
愛国心とは自分自身の恐怖からのがれる為の方便です。
人の恐怖心に付け込む政治家には気をつけなければなりません。

お礼日時:2011/08/18 12:54

「私たちは生まれてすぐには哺乳瓶とおむつが必要でした。


ですからそれを否定はしません。
しかし、大人になった今は必要ありません。
愛国心も同じではないかと思うのです。
これからの私たちに愛国心は必要でしょうか」
 ↑
愛国心についての考え方に、私とのずれがあるようです。

愛国心というと、極端な場合を想定して、爆弾抱えて
突っ込むみたいなことを考えていませんか。
私は愛国心については次のように考えています。
1,まず、その国の構成員であるという認識があって。
2,その国の為に何を、どの程度犠牲にできるか。

で愛国心の有無、程度が判別できると思っています。
例えば、
進んで税金を払うてことは、国家の為に財産的犠牲を払っていると
いうことでしょう。
日本の事を考える、ということは国家の為に時間を犠牲にして
いることになると思います。
生命や家族まで犠牲にできるか、と言われればそれは
問題ですが。

私は、国家というのは、そういう意味で愛国心が必須だと
考えている訳です。
これなくしては国家の存立は維持できません。

ちなみに、中国なんかの愛国心教育はすごいですよ。
日本の比ではありません。
しかし彼らに日本人以上の愛国心があるかは疑問です。
政府の教育だけで、愛国心を醸成することは
困難だと思っています。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

この質問を哲学のカテで上げた点を留意していただければと思います。

私が古臭いなと感じるのは愛国心という概念というより、そういう概念を生み出す思考プロセスです。
自分を何かと一体化してそれを至上のモノに祭り上げ自分を(この場合は子供たちという他人)をコントロールしようとする思考パターンです。
これは、対象が国、神、主義、家族、会社・・・・なんでもいいわけです。
この思考の常とう手段が古臭いと感じるわけです。

日本人はこの思考プロセスは危険であると感じているはずなのです。
太平洋戦争、オウム、テロリズム、社会主義vs民主主義、過労死・・・・
ネタは尽きません。
このやり方は古典的で危険で安易だと思います。

人の精神の目指すところは完全なる自由、つまり自立であるはずです。
そういう精神のたどる歴史の初期段階としての愛国心はおむつとして良しとします。
しかし、いつまでもおむつに頼ってはいられないのです。
国家を否定するわけではありませんが、国家ありきは未熟な精神と言えないでしょうか。

お礼日時:2011/08/18 12:50

すいません追加です。



つまりそれは手法というよりは、食うか食われるか、的な問題を前提に成り立っているので
その確固たる(ように一見見える)現実を拠り所にして組み上げる2次的論理構築に破綻はないように見えます。
現実の全世界の国家体制、国家制度が不安で、それ故逆にその国家に依存するという矛盾もあります。
他に方法などない、というのが、このタイプの人達の一番の本音では?


ということはその言い分の論理的破綻を探そうとすると、彼らの基礎であり根拠である、国家間競争への不安、にしか求められないとも見え、
国がしっかりしなくちゃお先真っ暗じゃないか?的な彼らの不安が解消しないと
その手法を撤回することはありえないと思います。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

私は人の精神は完全な自由、つまりは自立を目指しているはずだと思うのです。
物質的にも精神的にも人は一人では生きられない存在ですが、それは依存とは違うはずです。
そういう次元から見ると国家を愛するというのはお門違いではないかと思うのです。

政治家なき政府というのが実現しないだろうかと本気で思います。

お礼日時:2011/08/18 12:04

古臭いというよりとても古典的で、伝統芸能的で、根は深いと思います。


この愛国心のルーツが恐怖だからですが。

ある種の現実的なタイプの人ーーにとっては、考えの行き着く先終着点が
国家になるのはわかりますし、(国こそがもっともパワーがありますし)
ちょっと短絡的とは思いますが、最終的なこのタイプの人達の一番の拠り所です。
それが外国への不安を背に背負った愛、という矛盾をはらんだものだ、
というのを知ってか知らずかですが、
(その恐怖に強制される愛だからこそ、不自然さがあるんですが)
国を愛してるのではなく、国を愛さないと日本が危ない、というものなので。

そういうタイプの人にとっては、それが現実だから仕方ないじゃないか?
と言いたそうに見えます。
彼らは「それが現実だ」、と最後には言うように思います。



つまり、愛国心というよりは、裏では、弱肉強食の現実という、
彼らにとっては確固たる揺るがないものを基礎にした愛国心の構築、
といえるのではないかと。

これは、多分愛ではなく、 吊り橋効果による恋の一種、あるいは恋の病だと思います。
不安なほど仲間意識は映えるので。
恋に命をかけるように、国に命をかけます。なので、根深いと思います。
愛の定義にもよりますが。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

なるほどです。
愛国心が恐怖、不安から生まれているのは間違いないでしょう。
人間の根源的なものですから古いのは当たり前なのでしょうね。

お礼日時:2011/08/18 11:57

”大阪には必要”ちゅうことやないかな。

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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

私もちらっとそう思いました。

お礼日時:2011/08/18 11:54

古いといえば古い。


もともと大阪維新の会というネーミング自体が
僕からすれば右翼を思わせる。
「維新」とは、右翼がよく好んで使うから。
ちなみに、同じ意味でも左翼は「革命」という。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

確かに「維新」は古いですね。
私も辞書で調べちゃいましたから。

お礼日時:2011/08/18 11:53

強制されずとも自由意志で政治や権威と無関係に「君が代」が好きなんで、


誰に臆することなく堂々と謳いたい~。
ひたすら自然との調和と
平和と恒久を願う気持ちが凝縮された洗練された国歌だもの。

この手法?を遥かな先人の軌跡(女性の顔の刺青は民族の子孫を残した誇りらしく)
海外で日本より先に最利用して今時をまとめていたりします。それも自由なのでは。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

あなたの純粋な気持ちが、利口な人間に利用されないことを祈ります。
リンク先のビデオ、言葉が分かりませんでしたがあまり気持ちのいいものではないですね。

お礼日時:2011/08/18 11:52

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