痔になりやすい生活習慣とは?

神には意志があるはずである。
何らの意志を持たなければ神とは言えまい。
では神の意志とは何か。
神の意志は人間一人一人の悩み事を聞いたりするような意志ではあるまい。
何故ならそのような意志は神の意志にしてはあまりに小さな意志だからである。
神の意志とはもっと大きな意志でなのであり、一人一人の人間を相手にするような意志ではないはずである。
このように考えると神の意志とは、より普遍的な意志であり、宇宙の根源的原理なのであり、即ち宇宙の法則自体が神の意志であると考える以外ないのではないか。

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A 回答 (13件中1~10件)

神は宇宙の主権者です。

しかし、神の支配の仕方の正当性に
関して異議が申し立てられました。それで、神の主権の立証
が神のご意志です。
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人が霊力を極めようとすれば強制イベントが発生する、人が行ってはいけぬ道へ進めば妨害を受ける。


人が無作為に霊力を極めようとすれば強制イベントは起きない、そのための無知で失敗を起こす。

霊性、霊格、周波数の低い方が宇宙原理の法則に引っかかるNGキーワードを知ると攻撃性が増し記憶障害が起きる。
アセンションに関しても、人間レベルの向上だけではなく霊的世界の格上げもあることすら気付かない人たちがたくさんいる。

私が遠い宇宙から持ち込んだ霊的存在を捕食して体内に取り込み、いつでも能力の共有可能であり、多くの能力者が未熟すぎるレベルだったことを気付かせてきた。

そこで、私は霊視能力を原子レベルまで格上げして安置能力で自由自在に動かして、異界の力(絶)をお持ち帰りした。

一般人でもプチ能力者でも簡単に付与が出来るので、二人に付与した結果、増殖や力の制御ができなくなり欲望のままに能力を使うことになったので解除した。

何が言いたいのか、異界の力は宇宙原理の法則に引っかからない、人間が手に入る力ではないと断言されているからだ。
審神ルールも無し、何に使ったとしても処罰の対象にはならない。

神の意志にあるのは太陽系内の一部のみに対する影響であって、太陽系外から持ち込んだ霊的生命体には一切の影響は全くなしになっている。

1人1人の人間を意識するようになるために、我々が力を上げれば高次元の存在も目線を向けるようになる。
その領域に到達できない人間と到達できる人間には大小を分けると宇宙原理の法則をクリアできない要素がある。

その領域に達成することは、すべて正しいともいえず、危険性が高いデンジャラスな領域。

私自身の結論として、神の意志というのは人間感応で作り上げた創作でしかならない。
人間感応ではなく、本や参考書でもなくフィクションでもなく叡智でもなく、想像でもなく、無としての脱出なければ答えは見つからないのかもしれない。

強制イベントは何のためにするか、見えない力を手に入れようとすることを妨害するためということは知っている。
それが神の意志であるならば、深海から陸上に進化した生命体の闇を半減させ光と闇を両方使えるようにした人間を作ったのは、闇の要素が強いことを知っていながら分かってやったことになる。

人間同士が争うことも最初から分かっていたことに繋がる。

補遺Aとして、そこでの無利益な争いで何を得られるのか、さらなる進化である。
さらなる進化を得ようとして動いた人間はどうなったか、強制イベントで落とそうとしたのである。

強制イベントを越えて、さらなる上に行ったらどうなるか、ピクトルを合わせてきた高次元の存在がありえない話を持ちかけてくる、真覚醒現象の発生である。

神の意志が簡単な設定で、騙されているとか、そんなのおかしいって思える人たちは、自分に持ってない力がある人間に対して否定しかできない考えが強いから、

カオスゴッド誕生するには、もう一度太陽を切り捨て、深海に戻る必要がある、低純度の闇エネルギーでは無理なのだ。
神の意志がカオスに傾きしているのであれば、カオスゴッド誕生を阻止するであろう。

強制イベントというのは、超越した力を手に入れようとする人間を無理にでも止めるためでもある。

某巨大組織の文面通り、人間の殻から脱出して人間的考えを捨てることは、まるで獣である。

すべての要素で当てはまることとして、人間の器は足りなかったので、闇吸引は低く、霊力の上限も高くなかった。
そこで、私は遠い銀河から霊的チップの技術を得て霊的チップ作成を手がけたわけだ。

そこでも足りない部分があったので、霊的手術が必要になったわけ。

人間に出来る要素にも限界あって、限界と神の意志には別な意味でのルーツがあったわけなんよ。

ここから話すことはNGに当たるわけで削除要請になったら削除を指摘した方の魂の器に影響しかねない。
霊性、霊格、周波数が高すぎる人は常に上の住人に見られているわけで、一般人であろうと、その人物と話したりチャットしたりコメントすることは目線を向けられ、データを取られ人間性を見られる可能性が高い。

審神ルールはすぐに起きるわけではない、しかし見られている人、とある領域に登録している人間は即審神起きる。

本や参考書で語っているわけではなく、霊的知識で言っている、本や参考書の人間感応での答えを求めているのであれば、私の意見は場違いなのでその場で削除お願いします。参考程度にお願いします。
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神もしくはそれに相当するものが存在して


そこに意志があるとすれば
「人類に自ら歩ませる」
ということだと思います。
種として、自然界の法則の流れの中で。
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あるはずが無い。

以上。
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こんにちは森山と言います。


神には意識が有るや、神の意志や、神がいるや、神がいないや、何か直観を感じるや、妄想や、信じるや、物が見えるや、信じないや、これらの自己の意識が、私達には認識として分かります。
そして、私達の意識や世界は、止まる事の無い得体の知れない時間と、何らかの自己の意識を概念化する為に捨象と抽象との選択を支えている、得体の知れない自己の命とによって構成され、私達の世界や自己の意識が、認識され、分かったや、何等かを規定する事が、支えられていると思われます。
そして人間が認識する世界や、自己の意識の構成要素として、得体の知れない時間と、得体の知れない自己の命として、人間から一部が規定されますが、本当の神とは、人間からの一切の規定を許さない、分かったか分からないかすら分からない
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川(河)に意志を認めるとしたらそれは流れにあり。


流れは下流へと。
下流には海が。
大海。
川の意志は大海へと向かう。

それでは、宇宙の神の意志は。
それも"流れ"に見る。
小から大へ。
個から全体へ。
軽から重へ。
疎から密へ。
劣から優へ。

宇宙の神の意志の際立つのが生命。
それは劣から優へという"流れ"。
人の精神の発達にそれを見る。

今や人の脳は霊性をも備えて、心を優へと導く。

神の意志はその人の霊性を育て『帰趣』を目指す。
法則はその為の"仕組み"
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>神の意志は人間一人一人の悩み事を聞いたりするような意志ではあるまい。



といちいち断わらなくては、誤解を招くということをお認めになっておられることになる。
この点が極めて重要なのだと思います。
たぶん、
>神の意志

のように表現した時点で、
>一人一人の人間を相手にする

のではないか・・・と期待させてしまう(確率が高くなる)のではないでしょうか。
あるいは、本気でそう信じ込んでしまう。
こうしたことから「盲信」へと(簡単に)つながる。
つまり、
>神の意志

は極めて簡潔に真理を突いているのではあるが、あくまで宇宙の根源的原理の象徴、あるいは比喩である、ということが十二分に浸透した上でのことでなければならないのではないか。
こう考える次第です。
現行宗教は、それを忘れているか、畏怖に乗じて金儲けをするために、意図的に無視している。
意志の無いものを人が怖れるはずはないのだから。
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何かの物質があるから今この世界があるのです。

それが神という事なんだと思います。

物体というか、この世界の親分を神とした。心の持ち方を誰かが創ってきた。
誰が?というよりは、だれも見たことのない偉大は存在をつくり、心の持ちかたを誰かが創ってきた。
精神面での存在というもので、だれもが会いたいと思っちゃうので、人の姿を想像しるんじゃないでしょうか?つまり神の意志とは自分の意志のことで、神に懺悔というのは自分自信への反省の意なのでしょう。でも、それだと心の支えてにならないので、誰かを支えに心を安心させておきたいという
願いだと思います。


と、思います。
でも、世の中には科学的に解明できないことはたくさんありますが、想像ではないこともあります。
なぜなら、科学の解明によって解決してきた自然現象は存在します。
みなさんの想像している神様ももしかしたら?これほど長い歴史の中で共通する未知の存在です。

特に日本では無宗教者の方が多数派ですので、誰もわからないので信じられないという方が、時代的に普通なのです。

回答になっていませんね。
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そうでしょう


そもそも宇宙自体がなんなのか、太陽や地球など、また地球に住む生物などを何者が作ったのかもわかりません
作ったものに何らかの意思があってもわれわれ人間では解析不能です
宇宙自体が神の意思であり、人間が想像する神は人間の妄想でしか無いのでしょう
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ウソではなく 感じているんだと言えば ぢゃあ 何でも通っていっちゃう。



そんなばかなことがあるか。
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Q甘やかされて育った子供と厳しく育てられた子供の性格は?

甘やかされて育った子供はわがままになると言われますが、本当のところどうなんでしょうかね?
逆に厳しく育てられた子供は、どうなるんでしょう。
単純にわがままの反対はがまんだとおもうので、がまんのできる子に育つと考えていいでしょうか?

みなさんの意見を聞かせてください。
よろしく御願いします。

Aベストアンサー

甘やかされて育つ。皆さんが書かれているように、叱られずに育つということですよね。
甘やかされた子はわがまま、厳しく育った子供は我慢が出来る、でも実際にはそれほど単純ではないんです。

まず、叱ると褒めるが表裏であると言う事をよく考えてみてください。
甘やかされて育つということは、実は叱られずに育つということになり、叱るがないから褒められるがない、つまり本当の意味で褒められた事がないと言えます。

よくあるパタンですが、甘やかされて育った人は、褒められていないので物事に対する達成感がなく(実際には分からない)、どこまでやっても『やり遂げた』という気持ちがあまり具体的にわいてこず、そのうちに『出来ていないんじゃないか』『不十分なんじゃないか』といった不安感に襲われ、やる前から諦めてしまう、さらに悪い状態なら欝になる。

厳しく育てられてきた場合は逆に、厳しい事を聞かなければならないというプレッシャーから、人の顔色を見て育つようになりがちです。求められている事をきちんとこなしているか、これで叱られないだろうか。
なので叱られる事がないようにするために褒められる事もなくなり、結果愛情を求めるようになってしまい傾向があります。

そう考えると、kiccaさんのおっしゃるとおり、やはり叱るべきところはきちんと叱り、その上で甘やかす部分も作ってあげ、そのメリハリをきちんとしてあげるというのが理想だといえますね。

叱る事によって社会のルールをきちんと理解させてあげ、褒める事によってその子のもつ才能を伸ばしてあげる。時には自分の行いを子供の前で反省する事もあってもいいですし、あえて子供を褒めるように料理のお手伝いを頼んでみたり(きれいに切れたね、上手に盛り付けられたね、など)。

それによって、自分自身の『気付き』も生まれてくるものですよ。

子供を育てるのではなく、子供の人生を育てる事が本当の意味での『育児』なんですよ。
自分の経験を見直して、『反面教師』として受け取った事に対しては『私は○○をされて嫌だったから子供にはしない』と考えて、楽しく人生を送る事が出来るように導いてあげてくださいね。

甘やかされて育つ。皆さんが書かれているように、叱られずに育つということですよね。
甘やかされた子はわがまま、厳しく育った子供は我慢が出来る、でも実際にはそれほど単純ではないんです。

まず、叱ると褒めるが表裏であると言う事をよく考えてみてください。
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Q運命って・・。本当に決まっていると思いますか?

 先月、義理の弟を突然死というやつで30代半ばで亡くしました。
私ととても話が合い、私の子供にもとてもよくしてくれて、皆からの人気者でした。
 特に病気もなく、健康そのものという感じだっただけに・・・。何とも無念というか言葉にならないくらい、今でもショックを受けています。
 今思えば、「もし○○していたら・・・」とか「自分に特殊な素質でもあって、予知できていたら○○できたのに・・・」など、しょうもないことを考えてしまいます。
 よく、「運命」というのは生まれたときから決まっていて、これは寿命だと言う人もいます。しかし、本当にそうなのでしょうか?
 私は、単なる偶然にしか過ぎず、偶然心臓が止まってしまっただけなのではないかと考えています。言うなれば、すべては運命などなく、1秒1秒が偶然の出来事で成り立っているのではないかと思っています。
 これまで、こんな事を考えたことはなかったのですが、よく考えると「あの人は運がいい」とか言ったりしています。「運=運命」とは個人的には思っていないのですが、運をツキと歌詞などでは訳すこともあります。
 ツキというのは勝手に解釈すれば、ラッキーかアンラッキーかというギャンブルにも似た印象も受けるために、やっぱり運命などなく、偶然の連続を生きているのではないかと考えています。
 皆さんはどう思われますでしょうか?

 先月、義理の弟を突然死というやつで30代半ばで亡くしました。
私ととても話が合い、私の子供にもとてもよくしてくれて、皆からの人気者でした。
 特に病気もなく、健康そのものという感じだっただけに・・・。何とも無念というか言葉にならないくらい、今でもショックを受けています。
 今思えば、「もし○○していたら・・・」とか「自分に特殊な素質でもあって、予知できていたら○○できたのに・・・」など、しょうもないことを考えてしまいます。
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Aベストアンサー

こんにちは

運命というのは、決まっているものと感じます。
"死"について考えてみると、私の場合はそうです。
具体例をひとつだけ。
以前、二日酔いで誤って、赤信号の歩道を徒歩で渡ろうとした時、突然、金縛りにあい身体が、硬直。その瞬間、猛スピードで身体すれすれに乗用車が、通過。命びろいしました。この瞬間、「あっ、私は生かされているのだと」感じました。
ちょうどその時、挫折で"死にたい"という気持ちが、出てた時だったので、なおさら。

あと幸福、不幸という意味ので運命、これもそうですね。
人間はカルマの制約によって、いま生きている環境で縛られていると哲学では言われてます。わかりやすくいうと、徳が、ある、ない、という表現が、わかりやすいとは思いますが。
ただ、これも逆に徳を積むことによって、又は修行によって、そのカルマから開放され、自由になることも可能なものと。
"義理の弟を突然死"は悲しいことですね、おくやみを申しあげます(__)
でも、哲学的に言い方を変えると、死の直前の意識状態が、来世を決定すると・・言われています。
もし苦しみ、苦痛なく、笑顔、幸福の状態で、死んだ(__)としたら、もしかしたら、人間よりも高い世界に生まれ変わったのかも、しれません。
仏教では、来世、天界に生まれ変われるとしたら、それは死は"喜び"であって、恐怖、悲しみの対象ではないとも、言われているのですよ。

微妙な質問のため、回答の表現に不愉快が、あったらお詫びします。
以上

こんにちは

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