A 回答 (31件中21~30件)
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No.11
- 回答日時:
>せっかく日本人は国、芸能人、有名人、大企業、・・・様々な権威から自由になろうとしているところなのに
自由になろうとしている…といえば聞こえはいいですが、権威を忌み嫌って個人の尊重こそが正義だという風潮があるだけのことだと思います。
政治家は国益(知事とかの場合は地方自治体の利益も、かな)を得ることや、国民の利益を得ることが仕事だと思います。「権威から自由になる」というのは良いことのように思えますが、国家について考える意識が薄れているとも言えるのではないでしょうか。極端に言えば、国民が「国のことなんかどうでもいい」なんて思ってしまったら、国が強くあることはできないのではないでしょう。
橋下さんは組織や国を大事になさる人だと思います。ですから知事にとって国民が愛国心を持つのは当たり前のことなのでしょう。この政策をやろうとするのはこれだけではないでしょうが…。
僕は国民が自身の国に対して愛国心を持つのは当たり前のことだと思います。その愛国心が間違った方向に行き過ぎると過激なナショナリズムになったりするんでしょうが、これは愛国心が強いからではなく、自分勝手な愛国心を押し付けようとしているだけだと思います。
維新というのは、今の停滞した国を大きく変えよう。ということでしょう。古くからあるやり方を使うから古臭いというのは、また別の話です。
ご回答ありがとうございます。
まず、この質問を哲学のカテで上げたという点を留意していただければと思います。
「愛国心」という言葉の持つイメージは今の日本人にとって良いものではないでしょう。
それは歴史に起因していると思われますが、私が問題にしたいのは、この言葉の概念を生み出す思考パターンです。
人の精神はあらゆるものとの一体化と所有を果てしなく続けています。私の車、私のお金、私は日本人、私は仏教徒、私は○○会社の社員・・・・
この思考プロセスが何より古いと思います。
このプロセスを是とする考え方もありますが、私たちの精神が目指すべきところはその先にあるのは間違いないのです。
ですから、
>自由になろうとしている…といえば聞こえはいいですが、権威を忌み嫌って個人の尊重こそが正義だという風潮があるだけのことだと思います。
最初はそれでいいのです。これが千里の道への一歩だと私は思います。
これが終わりでなないのです。
>今の停滞した国を大きく変えよう。ということでしょう。古くからあるやり方を使うから古臭いというのは、また別の話です。
古いやり方ではうまくいかないと思います。
なぜなら、私たちは一度そのやり方を捨てたからです。
つまり、現代に合わないのです。
捨てた理由は、そのやり方が危険をはらむもろ刃の剣であることを自覚したからです。
No.10
- 回答日時:
確かに古臭いですね。
質問者さんは70年くらい前の日本の話をされているのでしょうが、2000年以上前のギリシャ以来、世界中で同じこと言ってますし。
なぜこの種の国家論が今も続いているのかというと・・・
まず、現状を考えて見ましょう。
現代において、民意を汲み上げる機関である政治団体が、ある種の施策を提示したわけです。
つまりこれは現状(特に教育制度)に不満を持っている層がいるということに他なりません。
そもそも哲学史や政治学史において、『国家』のありようというものが論じられるとき、
そこには当時の支配層・あるいは統治機関への失望が少なからず存在しています。
マキャベリの『君主論』しかり、プラトンの『国家』しかり。
これらは理想を実行できなかった、あるいは何もしてこなかった政府や社会に対する、
反対意見の表明でもあるわけです。
不満を持っている層が存在している。
では、その不満を持たれる現状とは何であるのか。
彼らの不満とは、奇しくも質問者さんが愛国心という言葉に対して
示された反応そのものであるわけです。
愛国心という言葉は、日本の場合、過去の経緯もあり、
不幸にして『政府機関への服従』の意味で用いられてきたのが実情です。
即座に権威主義に言及された質問者さんもその意味で用いているのではないでしょうか。
しかしながら、他国では『郷土愛』に近しい意味でこそ用いられているのです。
(ただし、郷土愛という言葉で日本人が想起するであろう、牧歌的なものではなく、
政府に言われなくとも各人が槍を持って侵略者と戦うという決意表明ではあるわけですが。
このあたりの歴史経緯による翻訳の齟齬はまさにソシュール言語学の範疇ですかねー。)
現代のみならず2000年以上前より、他国と無関係でいられる国は無く、
そういった姿勢の国は衰退していきます。他国との関係性を考えたときに、
他国の人間が愛国心(郷土愛)教育を受け、集団への奉仕に道徳性を見出している現状で、
日本国の人間だけが愛国心(政府への服従)を批判し、それを唱える人間を低く見る
教育を続ければ、将来的には日本人が他国の人間を不当に低く見てしまう可能性が高く、
かつ、外国の人間も日本人を道徳性の低い集団という不当な評価を下すのではないでしょうか。
現状ですら日本国は、ボランティア活動への理解や評価が他国より著しく乏しいですし。
教育というものが、徳性を導くものである限り、愛国心、すなわち集団への協力(奉仕)という
概念を教えることは全く問題の出るものでは無いと思われます。
単純に記事タイトルだけを見た頭ごなしの否定は、むしろ誤解しか生まないでしょう。
(まったく余談ですがこの点において、日本のマスコミは本当にあてにはならんなぁと再認識しました。)
一方で、それが政府機関への服従という話に変質するのではないかという懸念ももっともです。
この種の正道を説くのであれば、偏りをチェックし、内容を公表をしつづける必要も
同時に存在しているでしょうね。
そしてそこにもし偏りがあるというのであれば、批判すべきは『愛国心』という単語に
対してではなく、『人民の隷属を要求する統治者の姿勢』が
実際の教育内容に明確に示されていることに対してこそすべきじゃないでしょうか。
ご回答ありがとうございます。
この質問を哲学のカテで上げた点を留意していただければと思います。
「愛国心」という言葉の持つイメージは今の日本人にとって良いものではないでしょう。
それは歴史に起因していると思われますが、私が問題にしたいのは、この言葉の概念を生み出す思考パターンです。
人の精神はあらゆるものとの一体化と所有を果てしなく続けています。私の車、私のお金、私は日本人、私は仏教徒、私は○○会社の社員・・・・
この思考プロセスが何より古いと思います。
このプロセスを是とする考え方もありますが、私たちの精神が目指すべきところはその先にあるのは間違いないのです。
政治という現実的な話ではありますが、いまさらそんな陳腐な思考パターンを持ち出さないでくれというのが私の感想です。
No.9
- 回答日時:
途中までご回答を読んだけど、長いのがあるから。
ちょいと話し言葉になるけど。お上から愛国心!聞いて呆きれらぁ。誰がはいっていぅんでぇ。こういうのを胡散臭いっていうんでぇ。
すこしは自己の挙措や遣り方の美学に気をむけろ、田舎臭いって言うんでぇ。
橋本・・ってご回答にあるが、橋下っていうひとだよね。弁護士とか、若い人だね。論理と知識。流浪の橋の下。
権力・国などは自分の事や都合を言わないのが美です。
“これは遠国(おんごく)に住いする大名にござる。これから名月の下、萩をかりに如何とぞおもう。太郎冠者あるかやい”なんて狂言ですね。
大事ならば、中心ならば、口をつぐんで悟ってもらうのが最高の作戦。神は自己のために何もしゃべっていない。
どこかの何かの点数効果の狙いがみえていやらしい。
日本人はこういう仕草はしない。
あっしら最初から日本人で、そんなこと、お上が教えてくれなくても判っている。橋の下からなにをさけんでいるんだ。
って気持ちね。
夢だとどうして自己っていうことを没却するか。
夢という、人生という対象客体の内容の中にengrossしていってしまう。その心理。
見つめているうちに入っていってしまう。そこから自己を引き剥がして、真の自己存在という実在にどうもどるか。
己に戻るか。異界は異界だと知ることにより異界を単なる映画とみることができる。それをヨガという。
ヨガとは自己たる神に一致することです。これが私たちSelf-Realization Fellowshipの理論と具体的精進です。
ご回答ありがとうございます。
確かに「愛国心」というワードは単に喧嘩を売っているだけに終わるでしょうね。
国という存在は神よりだいぶ格下のようです。
No.8
- 回答日時:
そうですね。
まあ、古くても良いものであれば問題はないのですが、現段階では、愛国心=祖国を大事にする=他国はどうでもよい、的な連想を惹起せざるを得ない状況がまだありますね。
戦争の記憶が左程遠のいているとは言いがたいからだけではなく、実際問題として愛国心には、そういった要素が少なからず含まれていることは事実でしょう。
では、愛国心は不要かといえば、これはやはり必要と言えます。
税金の使い道を預けている対象ですから、愛することのできるようなものでなくては困ります。
これができてこそ他国との友好関係も築くことができるでしょうし。
ただ、一個の人間としての自らを愛することができた上での愛国心の発揮である必要があります。
自己愛(自己中とは異なります)が無いままの愛国心が危険であるのは数々の歴史が証明しているでしょう。
本物の自己愛とは自身の可能性を安易に放棄しない姿勢のことだろうと思います。
これができてこそ初めて他者の可能性の重要さにも目を向けることができます。
しばしば誤解されている事柄ですが、自己愛を持たない人間ほど自己中にならざるを得ない、という構造があるわけです。
国家に当てはめてみた場合、愛国心のない国は他国と仲良くできない、というのは、この意味では当たっているでしょうし、条例に明記したのも、おそらくそういった意図からなのでしょう。
ただ、前述したような理由で、自己愛のないまま、あるいは自我確立がなされないままの愛国心強調は、個の空洞化とでもいったような事態を促進してしまう危険性をはらんでいるものと思われます。
空洞化した個は自立できないため、寄り集まり、依存し合うことにより、相対的な生を生きることしかできなくなります。
ご回答ありがとうございます。
私が古臭いなと感じるのは愛国心という概念というより、そういう概念を生み出す思考プロセスです。
自分を何かと一体化してそれを至上のモノに祭り上げ自分を(この場合は子供たちという他人)をコントロールしようとする思考パターンです。
これは、対象が国、神、主義、家族、会社・・・・なんでもいいわけです。
この思考の常とう手段が古臭いと感じるわけです。
日本人はこの思考プロセスは危険であると感じているはずなのです。
太平洋戦争、オウム、テロリズム、社会主義vs民主主義、過労死・・・・
ネタは尽きません。
このやり方は古典的で危険で安易だと思います。
精神の自由、つまりは自立を求めない限りこの思考パターンは繰り返されるのでしょうね。
No.7
- 回答日時:
仰る通りだと思います。
愛国心とは人間の自然への愛の本能であり、感覚です。
大地から生まれた自然人が持ち合わせているものを
どうして四角い枠で規定する必要があるのでしょうか。
その思想の核となっているものは、たぶんそれほど
はっきりしていないと思います。
愛は義務や権利であるはずがありません。
人間の心を自由にできることができるなんていう考えに
疑いをもてなくなってしまっていることも、真っ白な若者
の可能性を便宜的にしか考えられなくなっていることも
残念でなりません。
ご回答ありがとうございます。
愛という概念を利用するやり方は昔からあるのでしょうね。
ある意味でお手軽な方法なのかもしれません。
No.6
- 回答日時:
古臭い云々は関係無いでしょう。
古くさくても良いモノはよいし、新しくても
悪いモノは悪いのですから。
愛国新教育ですが私は反対です。
愛国心は必要です。国を国として国民をまとめるには
愛国心は必須でしょう。
これがないとアナキーになりかねません。
国家という概念が必要であり、これを前提とする
限り愛国心は必要です。
しかし愛国心教育は、日本では不要だと思います。
そんな教育をやらなくても、日本人は充分に
日本を愛していると思われるからです。
これが、よせあつめの人工国家、
他民族の移民国家である米国のような
国なら、愛国心教育は必要だと思いますが。
日本でことさら愛国心教育をやるのは
特定の政党を、特定の政府を愛せよ、という
教育になりかねません。
愛国心教育が必要なのは、政治家や官僚では
ないですかね。
ご回答ありがとうございます。
私たちは生まれてすぐには哺乳瓶とおむつが必要でした。
ですからそれを否定はしません。
しかし、大人になった今は必要ありません。
愛国心も同じではないかと思うのです。
これからの私たちに愛国心は必要でしょうか。
No.5
- 回答日時:
別に古臭いんじゃなくて、オーソドックスだというだけでしょ。
「古臭い」っていうんなら、「愛国」イコール「旧弊」になっちゃう紋切り型の受け止めのほうがカビ臭いんじゃないですか、って感じますが。
政治学の常識みたいなセオリーに、「人は何ものにも依らずに生きられない」っていうのがあるでしょう。結局「様々な権威から自由にな」った結果として、「愛国」っていうところに戻ってきたんじゃないんですか。「古臭い」って感じる人はもう少し勉強したほうがいいよね。
「国家」っていうのは左巻きの人たちがいうほど単純なものじゃないと思うけどね。単純に見えるのは、そういう人たちの人間観が単純なせいでしょ。そもそも、国家は国の人間全部の合計なんかじゃなくて、全く質的に違うものなんだから。
ご回答ありがとうございます。
>結局「様々な権威から自由にな」った結果として、「愛国」っていうところに戻ってきたんじゃないんですか。
ほんとうですか?
No.4
- 回答日時:
人は自分のアイデンティティを確立するために、必ず何か所属感のようなものを必要とします。
その所属感というのは自分は他とは違う○○の一員であるという自分を定義づけるための者であり、自分の所属する○○とは異なる他者(○○以外のもの)との対比の材料となるものでなければなりません。したがって、自分は地球人類の一員である…という所属感は、地球以外の人類の存在が確認されていない現状では成立しません。かならず、他者と比較を可能とする定義である必要があります。小さくは「家族」です…自分は○○家の一員である。
やや大きくなって地域や会社あるいは学校…自分は○○町民である、○○の社員である、○○学校の生徒である。
更に大きくなると国や民族になります…自分は○○人である。
最大規模では人種や宗教になります…自分は東洋(西洋)人である、○○教徒である。
時に生物学的分類で成立することもあります…自分は人間だ、けものじゃない。
こうした所属感は、時にその人の行動原理につながります。たとえば…
自分は○○の家族だから助け合わねばならない。
自分は日本人だから御飯を箸で食べる。
自分は仏教徒だから無益な殺生はしない。
自分は社会人だから法律は犯せない。
これは言ってみれば倫理や道徳の根本になるものです。別の言い方をすれば、倫理や道徳を押し付ける言い訳でもあります。そして教育を行うとき、当然ながら道徳教育も必要となります。教育とはすなわち「押し付けること」でもあります。
多くの国において、道徳教育はその国の国教(宗教)を利用して行われますが、日本では宗教教育というものを明治時代に近代学校教育が創始されて以来行っておりません。日本の場合は日本独自の道徳規範(新渡戸稲造の著作の影響で海外では「ブシドー」として知られます…もちろん、厳密には本来の武士道とは異なります)を利用していました。
そして宗教等と同時に利用されたのが愛国心です。
国が国民全体に対して行う義務教育では、全ての国民に適用可能な基準が必要となります。道徳教育で利用される道徳の一つの基準(所属感の対象)として、国が提示出来てかつ国民全員に適用可能なものといえば「○○国の国民である」という基準…すなわち愛国心です。
この基準を宗教とした場合、たとえば隣国が同じ宗教を国教としていた場合に、他との比較を困難するので適当ではありません。また民族を基準とした場合、やはり隣国が同じ民族である場合に使えませんし、多民族国家の場合は国民全体に適用する事が出来ません。
○○の国民である…という所属感(愛国心)を一つの基準とした場合、その国の文化や風土、風俗、社会構造等の教育にも応用(外国のそれとの比較して関心を持たせる)できるため、使いやすく合理的です。
そして、まともな教育制度があるのに愛国心教育を行っていない国は…まぁ日本ぐらいのものです。海外では愛国心教育は重視されていますし「愛国心の無い者は国際人たり得ない」という格言すらあります。自分の国を愛せない人が、外国の文化や風習等を尊重できるわけ無いのだから、当然愛国心の無い人間が国際人になれるはずが無い…という事です。
ただ、愛国心が戦争等に利用されているのは事実です。オスカー・ワイルドが愛国心というものに批判的だったのも理解できます。愛国心を理由に国民に犠牲を強要するのは不幸なことであり、他人の愛国心を悪用する者は罪を問われて然るべきでしょう。歪な愛が不幸しか呼ばないように、間違った愛国心もまた不幸しか呼ばないのです。
しかし、現時点で愛国心に代わりうる道徳教育の基準は存在しません。代わりとなるものを提示できない以上、古臭い等の批判は不適当であると考えます。
ご回答ありがとうございます。
回答いただいたそういうすべてが古臭いと感じるのは私だけでしょうか。
人間は次のステップに進んでほしいと思います。
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