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 超ゆとり教育時代では、小学校算数や中学校数学から統計に関する内容が削除され、大きな問題を引き起こしました。このため、新しい指導要領では統計に関する内容が復活することになりました。しかし、これには問題があります。
 一つ目は、中学校では元の2年ではなく、1年で復活させていること。中学校数学における確率・統計領域は元々、1年では扱われず、2年で資料の整理、3年で確率と標本調査が扱われていました。
 二つ目は、高等学校の数学Iにデータの分析として復活したこと。この内容は1980年代では数学II又は確率・統計で扱われておりましたので、標準履修学年は3年でした。
 あなたは以上のことについてどう思われますか。

A 回答 (5件)

>あなたは以上のことについてどう思われますか。


科学や数学を削ってでも、国語を増やすべき。
この場合の国語とは、理系文章の書き方という意味での国語のこと。


え~と、何が問題なの?

本命:復活したのはいいけど学年が前倒しになっている。これでは内容が理解できない可能性があるので、時期を後ろにずらすべき。
対抗:削除されたところを全部戻す必要は無い。(タイトルが、重視しすぎる となっている。 時期を後ろにずらしただけでは、重視度はあまり関係ないにので内容を削ると解釈する。)

まあ、どうみても、
何が問題なのか、それはなぜななのか書かれていない。

これこそが根源的な問題。
よって、国語。


あと、お願いだから、この手の質問するならこんな質問しないでほしい。
http://oshiete.goo.ne.jp/qa/6934672.html
> ノギスを使って本の厚さを測るなどして,算数や数学で測定誤差の指導をすべきだと思いますか。
>【備考】ノギスでは 0.05 mm 単位で測定できるので,測定誤差は ±0.05 mm  ※1メモリ分と解釈します。
>>新課程では中学 1 年で誤差などの指導が行われますが,統計と関連付けての指導で,肝腎の測定と関連付けての指導がありません。

実際に計測したことないのがバレバレ。ノギスはまだしも、巻尺などはとてもじゃないが1メモリですまないため統計誤差として扱う意外の方法は存在しないという基本事実を無視したトンデモ内容です。
測定誤差を指導するなら、統計を意味するのが当然であるところ、ノギスのような例外を持ち出しています。
また、 0.05 mmを丸め誤差と解釈するなら1メモリの半分の0.025mmが正しい。(数値はJIS丸め(四捨五入or5五捨五入)の処理を前提とします。)
測定誤差は1メモリ というのはいろいろな意味でトンデモ(害悪のみ与える。)な上、
測定誤差(事実上、統計を教えるのに等しい)が中学 1 年なのに統計は中学 1 年より後にしろ、というの???
逆です!。 統計が先。測定誤差はその後。それしか教える方法がない。よって、統計の前倒しには賛成。測定誤差の指導の手間が大いに削減できるし、測定誤差は1メモリ分という間違った教えを省くことができる、というのを最大のメリットとして計上します。
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この回答へのお礼

>科学や数学を削ってでも、国語を増やすべき。
大いに賛同できます。かの数学者・藤原正彦先生もおっしゃっております。
>本命:復活したのはいいけど学年が前倒しになっている。これでは内容が理解できない可能性があるので、時期を後ろにずらすべき。
大当たり! データの分析は四分位偏差など高度な内容を削り、科目「確率・統計」を復活させ、そこで扱うべきだと思います。ちなみに「数学I」は、数と式、方程式と不等式、関数(2次関数、簡単な分数関数・無理関数、逆関数)、平面図形と式、三角比、集合と論理で構成すべきだと考えます。

お礼日時:2011/09/09 06:12

統計学は、実生活に密着した必修の技術だし、


国産の科学論文に統計学上の間違いが多いことは、
研究経験のある者には周知の事実だ。
統計教育の拡充は、更に望まれるところだが、
それを数学の科目で行うことには、疑問を感じる。
現行の内容では、統計で一番大切なのは
計算に持ち込む前の段階なのだ、ということが
抜け落ちがちだし、
ゆとり教育の見直しは始まったとはいえ、
我々の子供時代に比べてひどく削られたままの
カリキュラムを圧迫することになる。
かつて、国語の科目で道徳(反戦思想)教育が
行われていたのと、似たところがある。
統計科は、独立した教科とすべきと思う。

この回答への補足

四分位値の決め方など諸説あるものを学校教育に取り入れるのはどうかと思いますが。

補足日時:2011/09/08 13:13
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この回答へのお礼

>統計科は、独立した教科とすべきと思う。
残念ながら先生の意見には賛同できません。

お礼日時:2011/09/08 13:11

これだけ世の中に統計情報があふれているのに、統計情報の意味を適正に判断できる者はごく少数であることを考えれば、統計を理解することの重要性は認識できると思います



今騒がれている放射線量の測定もサンプル調査です
内閣支持率が2%に下がった、新内閣の支持率は62%だ 今日の降水確率は30%・・・・
公務員の平均年収云々(公表を平均値から中央値に変える)等々

統計の基本的素養を身につける重要性を実感しているからでしょう(1980年代よりも統計の重要性は上がっています)
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

お礼日時:2011/09/08 13:09

私も回答No.1に近いだろうか・・・。

歓迎すべき方向だとは思うが。

「数学は実社会で役に立たない」とはよく言われることだが、しかし統計学はむしろ実社会でこそよく使われる分野だろう。医業や技術職のような理科系の職種のみならず、行政でも保険業でも、法人・団体のマーケットリサーチや経理でも当たり前のように用いられている。
よく使われる学問だからこそ、知識に格差が生まれるのは望ましくない(私も独学した)。最低でも重要性ぐらいは教育で伝わるようにするべきだ。

学校教育に閉じこもっていると、実学を軽視しがちになるようである。
学校を出た後でも役立つ知識を与えるような機会が増えることを、(程度には依るのだが)喜ばない理由はない。
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この回答へのお礼

>しかし統計学はむしろ実社会でこそよく使われる分野だろう。
確率論もですね。ご回答ありがとうございます。

お礼日時:2011/09/08 13:09

どうも思わないし、どう問題が予想されるのか説明が全くない。


統計学は、頭のいい人の自分に都合の良い資料だと思っているので。
1980年代までに教育を受けた人は、統計データを鵜呑みにし、ランキングで流行に流される傾向はあると思います。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

お礼日時:2011/09/08 13:08

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