準・究極の選択

「自己愛障害の臨床」という本を読んで、自分には深い自己愛の傷つきがあるとわかりました。こちらが心を開き、あなたと近づきたい、という信号を出している(と思っている)のに、相手は必ずと言っていいほど私を遠ざけるようになります。あまりに皆一様な対応なので、私の態度や雰囲気におそらく何か特徴的なことがあるのだと思います。拒否されるのもいやなので自然と会話をしなくなり、寂しさが増します。思いと現実の間のひどい乖離がどこから来るものなのか知りたいです。どうぞよろしくお願いします。

A 回答 (5件)

心理学の問題じゃなくて、周囲の人間が皆同じ反応をしているのだから


日常的なレベルの問題でしょう。そんなもん本を読んでも解決しません。
エロ本を読んでもセックスが向上しないのと同じです。結局、実戦レベルの
経験が必要です。

嫌われていない者と相談して、どこが駄目なのかを確認しなければいけないでしょう。
皆が同じというのは分かりやすい特徴のはずです。それこそ体臭とかそんなレベルですな。

目より耳の方が重要です。相手の意見に真摯に耳を傾けてみましょう。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございました。

確かに、本を読んで、頭で考えて答えを出そうとしすぎているところがあります。実践が大事との助言、その通りだと思いました。

ありがとうございました。

お礼日時:2011/10/02 16:17

第三者による妨害等の可能性はありませんか?


 
私には、そうした、人との自然な人間関係を妨害された経験というのがあり、一時期にたくさんの知人と関わりが切れたことがありましたね。
嫌がらせの例などは、たとえば、、、
この写真使って!などと、渡されたディスクには、ご本人知ってるのか知らないのか、故意に手を入れられた?写真が入ってたり....
男性に化粧したものとか、酔って外国人女性と仲良くしているようなものなど、異性の知人が見ると、引くであろうというような... 
明らかに嫌がらせ目的にしているのであろうことを感じさせる行為とか。

>こちらが心を開き、あなたと近づきたい、という信号を出している(と思っている)のに、相手は必ずと言っていいほど私を遠ざけるようになります。

上記は私の例ですが、知人、友人?を遠ざけざるを得ないとか、 必ず何らかの理由が本人の知らない所に存在することもあると思います。

その理由は人それぞれですが、必ずしも、あなたが仰る様な、ご本人の雰囲気に関しての問題
>私の態度や雰囲気におそらく何か特徴的なこと
には限らないこともあると思いますよ。

ご本人が気づきにくいこと、とか
好意があっても、こういう時の自分を見られたくない等の感情がそうさせることもあるでしょうし、
空気を読まないと、人が言い憎い内容、例えばお金に関わる問題等は人間関係壊れやすいこともよくあるでしょうし、

また、第三者による行為で関係を壊される場合もあります。
本人以外の家族、友人、知人、宗教関係者他。
よく、宗教団体に関係した人が、友達いなくなる、など話しているのを聞いたことがあります。
周囲にSP的にそうした監視の目がいつもある立場の人などもそうかも知れません。

近づきたいと思っている方が、あなたの周囲の方の何らかの行為によって、遠ざけざるを得ないことをされている可能性はありませんか?

ここでも、親切な友人を装い、本人の選択する人間とか付き合う人が、難癖アリの人ばかりだから、近づけさせないようにするには...などと、男友達にしてはどうみても、世話やきすぎ(実は人間関係に妨害きたしている側の人なのでは?とか、自分のことなんじゃ?とか、閲覧者が不思議に感じるほど)の質問している人が、よくいますよ。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございました。

第三者による妨害はないかとのことですが、それはありません。そもそも対人緊張の嫌いがあるので、こちらの気にしすぎということもあると思うのです。

ありがとうございました。

お礼日時:2011/10/02 16:19

普通に人は



>心を開き、あなたと近づきたい、という信号を出し

というコミュニケーションの取り方をしないからです。
社交辞令を重ねる中で、相手の反応を窺いながら徐々に心を開きあうものなのです。もちろん、ウマが合わずに社交辞令に終始してしまう場合もあります。そんな出逢いは「縁が無かった」と言うのです。
ここからはまったくの推測になりますが、ご家庭で、両親や兄弟たちと仲良く何でも話せる関係にありますか?家庭がよそよそしく、機能不全状態にある場合、その代償を求める欲求が強くなることが考えられるのではないかと思いました。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございました。

ご推測の通り、かなり小さい頃から家族の中では孤立し、自分の要求や素直な感情を表すことができませんでした。そうあることが「普通」になってしまって、いまだに孤独感を抱えています。「代償」を求めているのでは、というご指摘にはっとしました。自分では気がつかないまま、相手に対して過剰な圧力で接してしまうのかもしれません。これまでいろいろな本を読んできましたが、生まれてすぐの時期から母親からの「映し返し」(反応を返してもらうこと)が不足していたようで、頭ではわかってきた心理的メカニズムを実際に外すのに苦労しています。

ありがとうございました。

お礼日時:2011/10/02 16:33

>「自己愛障害の臨床」という本を読んで、自分には深い自己愛の傷つきがあるとわかりました。



その1冊の本だけで判断しない方がよい。その著者はそう仮定しているが、反対意見(自己愛の傷つきに対する他の理論)や心理学以外の分野(社会学・哲学等)での自己愛の考察は全く異なる可能性があるので、他分野も含めて数十冊以上読んだ上で考えるべき。
1冊読んでそうなるのは、洗脳のレベルであり、批判精神を書いた著書への傾倒である。

>こちらが心を開き、あなたと近づきたい、という信号を出している(と思っている)のに、相手は必ずと言っていいほど私を遠ざけるようになります。

自分で実験ノートを作成し、時間・場所・状況や相手との関係性を克明に分析し、できればそのノートを複数の他人に分析してもらい、本当に一様な対応をするのか検討する必要がある。それが自己愛と関係があるのか、自己愛とどう関連づけるのか複数の手法と検証方法を考え出すこと。

できれば、拒否した相手にインタビューして拒否の理由や自己愛と関連性を感じたか調査すると良い。

自分でまず実験ノートを作り、その後複数名でチームを編成し、実験を繰り返し検証してみると意外な結果になる可能性がある。自己愛と拒否とは直接の関連性は無い.....といった結果も考えられる。これを発展させていけば、最初に読んだ1冊の書籍に対しての反対理論の提唱にこぎつけるかもしれない。
頑張って!!!!!!
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この回答へのお礼

回答ありがとうございました。

本は実はこれまでいろいろ読んできたのですが、挙げた本が今の自分には示唆に富んでいると思ったのです。仰るとおり、主観に偏りすぎず、客観的な見方を取り入れ、視野を広く持ったほうがいいですね。

ありがとうございました。

お礼日時:2011/10/02 16:23

『自己愛障害の臨床』という本を知らないまま回答します。


ですから、ピント外れでしたら申し訳ないです。


>拒否されるのもいやなので自然と会話をしなくなり、寂しさが増します

絶対こうだというのではなく、参考意見なのですが…
もしかして、貴方は相手から素っ気ない態度をとられると、うつむいてションボリするような方ではないですか?
その場で一気に暗くなってしまうとか。

「あっ、私、今この人(=貴方)を傷つけてしまった」というのが相手に即座に伝わってしまうような、そういうムードがあるのでは…。
傷つけたということが解ると、相手も罪悪感から貴方を避けてしまうのかもしれませんよね。

何か反対意見を言われても
「ああ、そうだよね、そういう考えもあるよね。気がつかなかった。ありがとう」と軽く流すのと、
「ああ、やはり私が駄目だったのね…。私のことは、あなたにも解ってもらえないんだ…」と(言葉に出さずともムードを醸し出してしまうなど)、ドンヨリ暗くされるのなら、前者の方がつきあいやすいですよね。
思っていることを言い合いやすいですから、会話も続くし、相手も罪悪感に苛まれることや自分を作ることなく付き合いを続けられます。

相手に素の貴方を受け入れて欲しいと願うのなら、貴方もまた素の相手を受け入れる様にするべきだと思いますが、早々に貴方の方で拒絶反応を送ってしまっているのではないでしょうか。


自分のことを知って欲しい。
そう強く願うとき、貴方は相手のことも本当に知りたいと思っていますか?
自分を知って欲しいという気持ちと相手を理解したいという気持ち、そのバランスが取れていないと、結局は破局に向かうと思います。
「私を理解して欲しい、優しくして欲しい」ばかりだと、相手にはその想いが足枷になってしまうことがあります。

では、避ければいいのか?ということになりますが、これも難しいです。
避けるというのも、された側には結構きつい仕打ちだったりします。
相手が本当に貴方を嫌っているのなら、「勝手にやってろ!!」ってなものでしょうけれど、まだ好意を持っているうちは寂しく思うし、罪悪感も募るものでしょう。

嫌われたと思っても、鬱陶しがられていると思っても、貴方の方で相手の人を慕う気持ちがあるのなら、暗くなるのも完全に避けるのもやめて、素直な気持ち、暖かな気持ちを忘れずに接して行ったらどうでしょう。
そうすると、相手の人の気持ちも見えてくるし、相手も貴方を少しずつ理解するようになるのではないでしょうか。


>思いと現実の間のひどい乖離がどこから来るものなのか知りたいです。

貴方の中に愛情に対しての飢餓意識が大きな要因になっていると思います。
それで、満腹になろうとして必死になってしまうから、その必死さが相手に伝わって双方とも重荷になってしまう。
また、貴方には人間不信とか見捨てられ不安があるから、相手の何気ない一言や仕草が刺さるのでは。
貴方が痛がると痛いと言われた人は、それが居たたまれなくなって去っていってしまう。
傷つきやすい人の側には優しい人が近寄ってくるけれど、優しい人は打たれ弱い人が多いから、そういう図式が自然と出来てしまうのじゃないかな。

現実には、“口は悪いけれど心は温か”そういう人が本当の意味で優しい人、強い人だったりするんですよね。
良い人ぶる方がずっと簡単だし、自分は傷つかずに済むんですから楽なものです。

言葉の表層だけではなく真意を読み取れるようになれば、傷つくことも傷つけることも自然と無くなって行くんですけれど、付き合いが浅いうちは難しいし、それを一度も経験出来ないうちは、悲しいことや辛いことは山積みになってしまいます。

これは、逃げずに腰を落ち着けて、人と向き合はなければ経験できないことですから、人の中に入ること、少なくとも自分からは出て行かないことじゃないでしょうか。
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この回答へのお礼

ご回答、ありがとうございました。

的外れということはまったくなくむしろその逆でした。お答えを読ませていただいて気が付きました。私はいままで相手に近づいてゆくとき、「自分のことを知って欲しい、わかって欲しい」とばかり思い、「あなたを知りたい」などとは露も思っていなかったということ。対人関係は「自分は相手に受けいれられるか」ということに終始していました。

これまでいろいろな本を読み、自分には早期の虐待的な親子関係の影響が強くあると気づき、そこから快復することに努力してきました。ほんとうに少しずつ、進んでは戻るという形で自分のこころを取り戻せてきているかな、と思います。件の本には自己愛が鍵と描かれています。自分の感情を感じ取り、大事にすることが、他者を大切にすること、ひいては他者との関係を望むようなものにすることにつながるようです。絶望するほどどうしても、時として自分を見捨て相手の意のままになろうとがんばってしまう自分を、見捨てず、愛して、がんばってゆこうと思います。

どうもありがとうございました。

お礼日時:2011/10/06 20:47

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