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「コクリコ坂から」良い映画ですね。
思わず、自分もこんな青春してみたいな~と思ってしまいました。

ところで、どうにも私は映画などを読み解くのが苦手なんですが、何カ所かいまいち分からない部分がありました。
みなさんはどう解釈されました?

1)なぜ、風間父は、風間俊に「澤村が本当の父親だ」と言ったのでしょう?
風間父も、俊が立花の子供だということを知らなかったから?
→だとしたら、なぜ澤村(あるいは海母)は風間父に、俊が立花の子供だと言わなかった?

海と俊は異母兄弟で、本当に澤村が俊の父親だったのではないかと勘ぐってしまいます。(映画は異母兄弟ではないと思うんですが…)
しかし、松崎家と風間家は同じ学区域にあるのだから、海と俊が恋愛関係にならなくてもいづれ何れかの形で「兄弟かも?」という疑問が浮上する可能性はあるでしょうに、なぜ澤村が父親だと説明したのでしょう…
“立花一族が全員亡くなってしまったという悲しい事実を俊に教えたくなかった”というだけでは、いまいち納得できない感じが残ります…。

澤村は、(風間家にとっては)赤の他人の子供をいきなりつれてきて「育ててくれ!」というのは、無理かなって思って自分の子供だって嘘をついたってことなんですかね。


2)徳丸理事長がカルチェラタンの取り壊しをやめた理由。
カルチェラタンを実際に見て、カルチェラタンの価値を認めた…というところは理解できるんですが。
わざわざ東京から横浜まで(しかも他の予定を断って)、カルチェラタンを見に来てくれた理由はなんだったんでしょう。

映画を見てるかぎりでは、海に何かしらの惹き付けられるものを感じて、興味を持った、というように思えますが…(俊と水沼は完全スルーで)
そんな簡単な理由なんでしょうか?
水沼のセリフで「メルは幸運の女神だ」というような言葉がありましたけど…。

そんな「なんとなく」で、横浜まで来てくれたんですかね。




しかし俊の、風間父が本当の父で無いうえに、「自分の本当の父親」と思っていた澤村さえも本当の父でなかった事実を知りながらも、前に歩ける強さと若さがすばらしいですね!
良い映画でした!

A 回答 (3件)

こんにちは。



ネット上では大人気(笑)の「ゲド戦記」は見てないのですが
「コクリコ坂から」は、宮崎吾朗監督の厳つい風貌に似合わない
可愛らしい佳作だなという印象です。


先に回答された方と若干ダブるかもしれませんが
都合4回鑑賞した暇人の私なりの偏った意見を書かせていただきます。


1)
原作漫画は、消化不良ですが「異母兄妹ではない」という結論なので
良子と小野寺の主張(俊は立花洋の子)は本当というのが前提です。

俊は作品年で18歳(高校3年生)。
当時の時代背景からして、もう立派な大人。
養父・風間も「そろそろ言っておくべきか」と
高校入学を機に「事実」を伝えたのでしょう。

海ちゃんの実父・澤村雄一郎が、「船乗り仲間」の風間に真実を告げなかったのは
(親友・立花の子である俊(と後に名乗ることになる赤ん坊))
乱暴に言えば 『人間関係を説明するとヤヤコシイ』 からでしょう。


雄一郎・立花・小野寺は商船学校時代からの親友だけれど、風間は会社の同僚?という
人間関係の濃淡もあったかもしれません。


良子は「戦後の混乱期でよくあった」と、海に説明していました。
例え嘘でも、海にも納得できる嘘です。

風間家に初めての子供ができて、その後に亡くなったということは
雄一郎は「船乗り仲間」ですから当然、知っていたと思います。
無鉄砲な気持ちとはいえ使命感で引き取って来た赤ん坊(=俊)を
良子に「んなこと言われても無理だ」と叱られて
「そういえば!」と風間家に預けたのも、無いことも無い、かな。



戸籍にまつわる兄妹騒動は、雄一郎的には青天の霹靂でしょうね。



港南学園は私学だと思うので(根拠はありません)学区が同じか分かりませんが
コロッケの場面で「おうちはどこ?」「ほんまち」「わー遠いのね!」とあったように
俊の家は、海の日常生活圏よりは遠い所みたいですね。
直訴の後に、俊に告白した海は、徒歩でなく市電で帰宅していましたから。



良子が電話し、風間を呼び出した時に
「本当は澤村の子なんだけどゴニョゴニョ・・・」と口裏を合わせて
風間が偶然、3人目の小野寺の寄港を知っていて
「じゃあ奥さん、小野寺にも一芝居打ってもらいましょう」として
風間はタグボートで一足先に小野寺と会って
「澤村の息子と娘がもうすぐ来るからゴニョゴニョ・・・」とお膳立てして
あの美しいエンディング、というのも、無いことも無い、かな。


大人たちが、前途ある若者カップルの将来を奪わないように
敢えて全員が嘘をついた、という裏設定も、悪くないですけどね。



2)
徳丸理事長は実業家ですが、本業は本屋さんですよね。
(モデルが徳間書店の社長さんですから)
昔、記者か編集者か文筆業をしており、その取材中に
朝鮮戦争の裏歴史・LSTの事件を知っていたので
「苦労して育てた」母と「いいお嬢さんになった」海に
ことさら興味を持ったのでしょう。

俊と水沼の完全スルーは同意です。
徳丸さんの目線は、全然、興味なさげでしたね。

帰り道に、水沼が「いい大人もいるんだ」と言っていたように
当時の「来年、東京オリンピック開催!」という、日本が最も勢いあった時代ですから
「若い君達が、そこまで言うなら!」と思わせたのかもしれませんね。
徳丸さんが一代で築き上げた(?)会社・財団ですから
ビジネスの予定を動かすなど多少のワンマンも許されるでしょう。

カルチェの解体を決めた理事会の言い分と「何か違うなあ」と
自分の目で確かめたいという、社長としての本能・直感もあったかな。


とはいえ
事実を知らない風間が「(雄一郎に)似てきたな」と言うのは分かりますが
良子と海との話の中で「似てる?この写真と」「うん」と
海まで、俊と雄一郎が似ているという所が、腑に落ちませんが。

それまで長い時間、頭の中でグルグル「風間さんと兄妹かも」と回っていて
母から「実は違うよ」と言われても、とても直ぐには整理できないでしょうが。

立花と澤村雄一郎は、実は遠い親戚で意外と顔が似てる、という
宮崎駿だけが知っている裏設定があるとかないとか(笑)



異母兄妹モノというのは、私は初めて見たのですが
(昨今物議を醸している韓流ドラマなどでは定番らしいですが知りません)
「兄妹でも関係ない」という勢いで、週刊カルチェのガリ切りを手伝い
親友達とカルチェラタンのお掃除に励み、最後に告白までする海ちゃんに
スタジオジブリ伝統の『とにかく女は強い』を感じました。



以上、海ちゃんと良子の場面で毎回泣いたおっさんの個人的暴論でした。
長くてすみません。
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私も「コクリコ坂」は大好きな映画になりました。

ジブリ映画に珍しく、大人の男性がかっこよかったということと、これも珍しく、子供たちがしっかりと大人たちに守られ、愛されている感じがしました。

1)なぜ、風間父は、風間俊に「澤村が本当の父親だ」と言ったのでしょう?
風間父も、俊が立花の子供だということを知らなかったから?
→だとしたら、なぜ澤村(あるいは海母)は風間父に、俊が立花の子供だと言わなかった?

風間は、俊が立花の子だと知らなかったと思います。澤村は、自分の子である証明として戸籍まで持ってきて、面倒を見てくれるよう頼んでいます。また、「お前の父親は澤村雄一郎だ」と告げたあと、「近頃、雄一郎に似てきたな」とも言います。立花が父親だと知っている場合は、ここまでは言わないのではと思います。

以下、私の推測になってしまいますが、澤村は、風間にとって全く知らない人物である立花よりも、自分の子であったほうが引き取ってくれる可能性が高いと考えたのかも知れないと想像します。(結果的には、理屈よりも先に風間の妻が本能的に俊を抱きかかえ、それは杞憂になったわけですが)また、風間はいわば法的に虚偽の出生届を出していますから、もしも風間もしくは風間の妻(特に澤村が警戒するとしたら、友人である風間よりもその妻のほうでしょう)がいわゆる「常識人」であった場合、雄一郎をたしなめて正しい届出をするよう主張するかもしれません。そして劇中の雄一郎の性格から思うに、彼としては俊が自分の子でも、立花の子でも、同じように「わが子」であるという気持ちを持っていたので、立花が父親であることの説明を、それほど重要視しなかったのかもしれません。

ただし雄一郎も、もし、俊が法的に澤村の子であることに支障の出る事態になれば、その時には真相を説明しようというつもりでいたかもしれません。しかし、予期せぬ死によりそれは叶いませんでした。ただしその時点では、俊が戸籍上澤村の実子であることで問題が起きていたわけではありませんでしたし、海の母もわざわざ「実は俊は立花の子である」と新たな情報を出し、混乱させることをしなかったのではないでしょうか。愛した夫が、勢いとはいえ我が子同然に扱っていた気持ちも慮りたかった思いもあったと察します。

しかし、劇中で状況が変わり、まさに「俊が澤村の子であることに支障が生じ」ました。言うまでもなく、海が俊に恋をしたことですね。これを、海の母は海の言葉で初めて知ることになります。あの時の赤ん坊が生きていて、元気に海と同じ高校に通っていて、その上海と出会って恋をしていると。それで、海にしっかりと真相を伝え、その後に風間にも喫茶店で会っているシーンが一瞬挿入されますが、おそらくこの話をしていますよね。

港南高校は見るからに私立ですし、風間の家は海が住む山手地区から離れた場所(通学路から察するに、
山ひとつ越えた先の関外、ネオンが見えて運河があり、裕福な雰囲気があまりないので伊勢佐木町~曙町あたり?)からタグボートで通っていますから、同じ私立高校に通うことになるとは想定していなかったと思います。

真相を知った風間は、俊に、父親たちのかつての仲間の一人である小野寺から、直接真相を聞くように電話をかけます。(これも、小野寺は風間が知るはずのない人物ですから、風間は海の母に頼まれたのだと想像します。)

小野寺の話は海の母の話と重複しているので不要である、という人がいるようですが、私は二人の話は位置づけが異なると思っています。

海の母の話のポイントは、海の母がどれだけ雄一郎を愛していたかということです。海は母の話を聞いても、尊敬する父がもしかすると不貞を働いていたかもしれないという不安感をぬぐえず、「もし風間さんがお父さんの本当の子供だとしたら?」と、かなり踏み込んだ質問をします。しかし、母は海の不安を吹き飛ばすようにあっけらかんと、「お父さんに似ているなら会ってみたいわ!」と答えます。俊がたとえ雄一郎の子だったとしても構わない、という母の寛容さ、愛の深さを知り、海は不安が一気にほぐれて泣き出します。それで吹っ切れたのか、「私、風間さんが兄妹でも構わない」という言葉を添えて告白していますよね。母の話は、両親の愛の大きさを知り、海が、小さなこと(?)は気にせず、俊を愛することを決意するために必要なシーンでした。

つまりこの段階では、「俊は立花の子」説が有力になったとはいえ、まだ物語的には真相はグレーなわけです。これを白黒つける役割を持つのが、小野寺です。小野寺は俊の生まれる前の立花夫妻も知っている生き証人ですし、この期でも嘘をつけば親友の息子と娘が不幸になりますから、口裏を合わせているというのはありえないと思っています。つまり、小野寺の言葉=真実、というふうに受け止めるのが自然かと思います。小野寺は、父親たちの絆を話して聞かせ、亡き親友たちの息子と娘が成長して出会ったことに感激します。これにて、兄妹疑惑は完全に晴れてめでたしめでたしです。

2)徳丸理事長がカルチェラタンの取り壊しをやめた理由。
この人物を見ながら、「ああいう偉いおじさん、いるいる」と思ってしまいました。私も会社勤めですが、団塊世代以上で大胆かつ突拍子もない決断を、勢いよく下してしまう豪快な人物がたまにいます。これは、No.1の方もおっしゃっていますがモデルが徳間社長ということなので、キャラクター自身の行動原理というよりは、「徳間社長だったらどうするだろう」という視点から描かれたシーンではないでしょうか。特に、時代はイケイケドンドンの高度成長期ですから、少し予定が遅くなったり余計にお金がかかることに対し、今の時代よりも懸念がなかったのでしょう。

恐らく、徳丸理事長も、戦後の復興期をバイタリティ豊かに支える人物として、古いものを新しくする=絶対的によいこと、みんなが喜ぶこと、と単純に思い、取り壊しを進めてきたのではないでしょうか。よくあることですが、決断者にとってはAでもBでも大した違いはなく、なんとなく良さそうという理由で「A」で決めたとしても、他の人間にとってはAとBでは大違いであったことが後から判明し、そういうことであればBにしよう、というのは起こりうることだと思います。理事長は、建物を新しくしたほうがいいに違いないという一方的な考え方でいたけれども、古い建物を残したい生徒も存在することを知り、そういうことなら他へ建ててやろう、と、わりとアッサリ決断したと思います。(建設が始まっていれば話は別だったと思いますが、、)

水沼や俊にとっては、とてつもなく大きな問題で、どうせ大人はわかってくれない、話など聞いてくれない、と思っていたのが、行動を起こしてみたら拍子抜けするほどものわかりのいい大人もいた、という感覚を抱かせるための人物だったのでは、と思います。(その後、水沼も「いい大人もいるんだな。。。」とつぶやいています。)どうせ無理だ、と決めつけて、頭でっかちになって行動しないことにより、もしかすると行動していればわりとすんなり物事を変えられるかもしれない、という例というのでしょうか。

まぁ個人的には、そうだとしてももう少し、若造たちを試してやろうというような質問やつっこみなどを、社長室で入れてもよかったとは思いますが・・・(モロの君が、アシタカがサンにふさわしい男か見極めるために「お前にサンを救えるか」と試していたように。)とにかく、理事長としては、カルチェラタンを見に行くことを決めた時点で、8割以上は存続させてやろうという気持ちに傾いていたと思います。

以上、ほとんど憶測ですが、ご参考になれば幸いです。
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この回答へのお礼

すごい!

なんだか、もう一度映画を見ている気持ちになりました。
いろんな方の、解説や感想よみましたけど、mikenorthさんの説明が、いちばんすんなり、気持ちよく読めました。
おなじ港南高校にかよっているから、ある程度、近い生活圏内にいるのかと思ってましたけど、なるほど。確かに、説明されれば、なっとくです。そんなに近いところに住んでいたわけじゃなく、海と俊が同じ高校に通う事になったのは、すごい偶然だったんですね。
確かに、二人が出会わなければ、「俊は澤村の息子」という話のままの方が、すべてがスムーズに進んだわけなんですね。

すごい。mikenorthさん凄いですね。ちょっと、感動です。

徳丸理事長のことについても、mozofunkさんの話もあわせて、モデルがいたとは、良い事知りました。

>頭でっかちになって行動しないことにより、もしかすると行動していればわりとすんなり物事を変えられるかもしれない

なるほど。ある意味、海と俊の兄弟疑惑に関する事の、伏線のほうなものだったんですね。

“ほどんと憶測”とのことですが、私にはすっごく、素敵な解説でした。理想的、というか、たとえ憶測であっても、こういう流れであってほしいな…と思います。


映画、見終わった後に、本当に俊と海は兄妹じゃなかったのか、すごく悩んだんです。落ち込んだんです。
でも、みんな、ちゃんと前向きに…いや、コピーを借りるなら、上を向いて歩ける、そんな終わりだったんですね。
子供たちは、大人たちに守られて、愛されて。
ジブリで一番好きな映画になりました。

お礼日時:2011/10/17 23:41

 1)については母が「お父さんたら勝手に、俺の子だって 出生届を出してしまったの」のような説明をしていたと思いました。



 澤村の子ということで風間家にもらわれていった(養子縁組)ので、
本当の父親の名前を出すと、戸籍上非常にややこしい話になってしまいます。

まぁそんな乱暴な事の出来る時代だった風な事も云っていたようなきがしました。

 そんな事より風間母と俊の運命の出会いの方が重要と思われます。

 2)の徳丸理事長ですが、この人にはどうもモデルがあると思えて為りません。
そのモデルとは、宮崎駿氏の盟友?だった旧[徳間書店]の社長であり、初代スタジオジブリの社長でもあった 故徳間康快氏です。

徳丸ビルの壁にどうもアサヒ芸能っぽい名前のポスターがあったり、色々なオマージュ
でくすぐられます。
http://ja.wikipedia.org/wiki/徳間康快

キネマ旬報 2011年8月上旬号N01590に[コクリコ坂から]の特集が組まれていて、
その中の作品評 大久保清朗著[死せる戦友達の眼差し]にあなたの問1.2に対する名文が書かれています。是非図書館などでお読み下さい。

私見ながら、高校生の歌声はもっとバンカラな胴間声などがあった方が雰囲気がでたと思います。
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この回答へのお礼

徳丸理事長にそんな設定があったとは…!
まったく、知りませんでした…!
へぇ~。面白い情報をありがとうございます♪楽しみが増えました。

お礼日時:2011/10/17 23:24

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