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よく、他人を自分の物差しで選好みする人がいます。
また、そういった人は、他人を批評(批判的発言)をしたりもします。
彼らの人間性・性格を客観的に考察したら、どのような人になりますか?
お手数ですが、ご意見・ご回答お願いします。

A 回答 (7件)

あなたのかかれたことは誰でもしていることです。


タダ、好き好きが多少ともずれるし、価値観もずれているので、重ならない、合致しないということにすぎません。

そして、ああいう人は嫌いだ、だめな人と判断するから、誰とでもお付き合いするわけではないでしょう?

肝心なのは、それを口に出して言うか、あるいは、同調を求めるかという「差異」にすぎません。

ここを問題にしているなら、悪い人ではないが、どうしてもおしゃべりなのか、
人をいやしめることに熱心なのかということですが、これだって、
人は宗教の布教なども、自分の信念の正しいことを'布教'するのですから、日蓮宗だって、キリスト教だって、回教だって同じです。

これが正しい、同調しろ・・・という内容の違いの価値判断がどこにあるかでしょう。

自分の同調できないような事柄を'布教'して、信者なれといわれるのが嫌か、同じように、思うかです。

万人向けで自分がいるためには自分の信じることを同じくする人だと確信できるまで、相手に同調を求めるような事柄を
厳選すべきなのでしょうね。

それをたまに勝手にオープンにするよな人もいるから、「陰口」として、批判の矢印が変わってくることもあるし・・・と。

だから、誰も同じです。
ああいう人をどう思うか・・・・というあなたも、ここでいわば「陰口」しているのと同じだと私は思うだけのこと。
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人には


「創造精神」と「批判精神」が
ありまして

どちらかというと
「批判精神」というのは
自然と身につくものなんですね

「創造精神」は努力といいますか
学習しないと身につかないんですね

人間放っておくと
いくらでも「批判」出来ちゃうんですね

ところが、この「批判」できることが
能力だと勘違いする人もいるんですね

会社などでも
批判はするけど
計画、立案ということをしない、出来ない人って
いるんですよね

先日亡くなった立川談志さんも
ご自分で
「落語に対して批判する力はいくらでもあるが
どうも自分は創作することが苦手だ」と
おっしゃっていましたね

そういうことなんです

わたしたちも自分を放っておくと
いくらでも、なんでも批判しちゃうんですね

常に自分を意識しておかないといけない

つまり
質問者さまの言われる彼らは
外には興味があるが
自分の内側にはまったく興味がないという
ことなんじゃないかしら
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 リタイアして、在職中の事を反省しています。


在職中は、あなた様と同じ感覚でした。

今は少し変わってきました。
 社会は、特別な才能をもった一握りの芸能人などを除けば、みな同じだと言うことを
悟りました。
 出世して偉くなって退職金や年金をたくさん貰う人は、勤勉な人よりも
貴方が疎ましく思っている輩なのです。
 いかに、仲間を貶めて、自分がしがみつくかと言うことです。

若い時に、学生時代に馬鹿にされていた人、そんな人の、目立たない
 ひたすらに仲間を貶めていた人が、それなりの地位になっているのです。
油断無く、屋人の失敗を暴き、自分は仕事をしない(失敗は無い)のです。

退職後に、よく人生の出世競争の経緯が見えてきます。
中には、格段の人徳や能力で出世する人はいます。
その間に、同級生も驚く要領を発揮した輩もいます。

感情を抑えて、そのような輩に惑わされない生き方をご自分で模索してください。
 どこにもいます。
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質問の内容がちょっと私には抽象的なので、正しくお返事できているか自信はないのですが…。


もし上手にお答えできていなかったら、すみません。

自分の物差しで他人を計る人、という人は、厳密に言えば、実のところ人間勝手なもので、誰しもそうなのです。が、ここで俎上にのせているのはそういう意味ではなく、こちらがまだ自分のことを何も話していないうちから、「あなたはこんな人、あんな人、だからこういう行為をしたりあんなことを考えるに決まってる」とまで決め付けて来てしまうような、困った人のことでしょうか。
(どうか当たっていますように。外れたらただのギャグじゃーん)

この手のタイプの人は、私も特にネット上で何人か会った事がありますが、ともかく彼らは自分の信じ…いや決め付けた相手像をかたくなに崩そうとしません。例えば「私は甘いものが苦手ですよ」と言っても、「いいや、お前は甘いもの大好きに決まってる!」と言い張ってきかないかのような。
まず、そういう人は自分の観察眼や洞察力、経験値また知性と教養に大変なプライドを持っています。そのプライドを鼻につくほどかざしてこちらに突進してくるのですから、丸腰のこちらはたまりません。
相手があまり頭の切れのよくない方なら適当にあしらうこともできるのでしょうが、少しでも知恵の回る人だとこちらは大変です。そういう人、自分を陰で低く評価している人間をあべこべにやり返してやっつけてしまうんですから。
周囲は結局、「この人には逆らわないほうがいい、何をされるか分からない…」と思い、鼻をつまみながらも遠巻きにして、やりたい放題にさせてしまうのです。
精神障害(自己愛型人格障害、ボーダーライン症候群)などはそういう態度がよく出てきてしまうようですが、精神障害や心の病はいろいろ合併して複雑化する傾向にあるので、単純に対処が一つだけとは限りません。
彼らはともかく人として正常な立場を憎んで隙あらば襲おうとする恐ろしい人ですから、ともかく毅然とした態度は崩さないほうがよいかと思います。態度が取れなければ、ともかく遠巻きにするか関わらないほうがよいです。

一方でそれとは別に、単に人を評価して楽しむという人々も存在します。
こういう人々は病でも障害持ちでもなく、単純に人間という存在を面白がっているのです。裕福で教養のある二十代までの若者に多いですね。三十代になると家庭を持ったりして、忙しくなりますのでこういう有閑貴族は段々減っていくのですが。
ここのタイプは特定の人物に依存しないで一般論を語り合うために傷つけることも傷つけられることもなく、ポジティブで明るくて、「人間大好き!」なんて態度を隠しません。
ただしこれは時間的余裕、経済的余裕から来る立場なので、それが脅かされると簡単に自分の発言を無責任にさせる保守の城に逃げ込みます。

これ以外の「他人を選り好み・批評する人」ですと、そうですねえ…、苛められっこが身体中の棘を振り立てているような感じでしょうかね。彼らは人が怖くてたまらないから、自分を傷つけないような人を厳しく査定しないといけないのです。そして私はその苛められっこの気持ちがとてもわかります。
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人間誰しも多かれ少なかれ他人をえり好み・批判する心理を持っています。

質問者さんについても同様です。ご自分は全くその様なことをしないと思っておられるとしたら、それはご自分の心を徹底的に押し殺しているか、または敢て自分のそういう面を見ないようにしてご自分に嘘をついて、或いは誤魔化しておられるだけです。口に出す出さないは別として、心の中では意識的・無意識的にしろそういった心理を働かせてしまうのが人間の悲しい性と言わざるを得ません。
そういった心を隠さずに表に出してしまうか、心の中に秘めてしまうかはその人その人のモラル、品格、或いはプライド次第でしょう。

従ってこの件に関してはご自分で既に答えを持っておられる筈です。
今回、何かそういう行為を見るか聴くかされて不快に思われ、その様な行為への嫌悪感並びにご自身の心理的安定の為にここに書き込みをされたのだと思いますが、人間は誰しも神聖と言っても過言ではない大変に綺麗な面と、他人にはとても見せられない、自分で自分を許せない程嫌悪してしまうような汚い面との両方を持っています。このことをご理解の上、ご自身はダークな面に囚われ過ぎる事無く、心に余裕を持って生活されていかれれば良いと思います。
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思慮が浅い、万人に対して思いやりを持つわけではない人です。


嫌われることもありますが、本人はさほど気にしていません。
自分を嫌う人間には深くかかわらなければいいだけだから。

自分の発言で人がどう考えるかなんて、
考えてる本人にしかわかりませんからね。
いちいち気を回すのがエネルギーの無駄遣い。

その代り、自分の物差しにあった人にはきちんと思いやりをもって
優しくします。
ただし、言いたいことははっきり言います。
自分の物差しにあった人しか選んでいないから、それが可能です。

自分の物差しに合わない人にも、
自分がムカついた時にははっきり言います。
嫌いな人に嫌われようが知ったこっちゃありませんから。

つまり基本、自分が一番正しいと思ってます。
それを事実であると信じてガンガン押し付けてくる人は、正直うざいですね…

内心では自分が一番正しくても、
それが時に事実でないことも知っている人なら、頼りになりますよ。
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自己中心的で、柔軟性や協調性がなく、自分が正しいということに絶対的な自信を持たないと生きていけないかわいそうな人間。

 

私自身もそんな感じかな。
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