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僻地ともいえるべき田舎の会社で働いた事があるのですが、
とにかく田舎の人は変っていると思いました。
なんて言うか、よそ者を受け付けない感じですね。

私自身はそこそこの都市で育ち、今も住んでいます。

もう絶対関わらないと思ったほどなのですが、なぜ田舎の人は変なのでしょうか?

A 回答 (11件中1~10件)

文明度に応じた社会観の差によるものだろうと思います。



集団生活する動物は元来血のつながりをベースに血縁社会をつくり、その共同体の中で保護されて一生を終えます。人類がそんな進化段階にあったとき、広大な土地のあちこちにそんな血縁社会が宇宙空間に浮かぶ星のように点在し、各星の住民間では食うか食われるかの争いがメインを占めますが、中には友好的な関係を築いたものもあったでしょう。いずれにせよ、自分の属す社会の外はジャングルというのが、人類の永い歴史の中でDNAに刷り込まれた意識ではないでしょうか。

そんな血縁社会が、より大きなメリットを自覚して別の血縁社会と融合したり、天災人災で住んでいたスペースを失って人間の移動が起こったりして、血のつながりを超えた地縁社会が生まれるようになります。それらの社会レベルに共通して言えるのは、社会構成員が互いに顔見知りであり、素性を知っているということで、素性がはっきりしているか否かがその社会の境界線になります。つまり社会のウチとソトという観念です。

社会というものの定義を、その構成員が相互の利益を目標にしてひとつの時空を共有し、互いに一体感を感じている生活共同体であるとするなら、上で述べたのは社会空間が拡大して境界線が広がっていっているという現象なのです。

歴史を見ると、最初は宇宙空間に小さな社会が星のように点在している状況の中で、何らかの理由で限られた広さのエリアに外から大勢のひとが集まって人口密集地域が生まれ、それが都市と呼ばれるものになり、そして都市で文明が花開きました。そのような都市では、そうでない地域(田舎と呼ぶことにします)に存在していた社会秩序はそのまま移植することができません。雑多な小社会から来たひとびとが巨大社会を形成する必要に迫られるわけです。その巨大な機構を動かすために、田舎にはなかったもっと合理的な社会メカニズムが作られ、新たな秩序が生まれていくのです。都市文明というものが生み出したのがそれです。
このような都市は、人類学的に同じ民族の中で生まれたものもあれば、異民族まで包含する規模のものもありました。長安やバグダード、イスタンブールやパリなど、それぞれの時代の文明の最先端にあった都市はそんな国際都市の典型です。
だから都市には高い文明があり、田舎は低い文明(別の言葉では野蛮。文明と野蛮は対義語であり、われわれは文明⇔野蛮を両極とするスケールを用いることができます。わたしが文明度と言っているのは、そのスケール上の目盛のことです。)の中にいるということが言え、つまり「都会は進んでおり、田舎は遅れている」という観念の基盤をそこに見出すことができるのです。

社会の話にもどって、都市住民にとっての社会(上の定義を思い出してください)というのは、自分のまったく見知らぬ他人、ひょっとしたら一生涯出会うことすらない他人と共存協働する社会であり、顔見知りであるか否かという社会観の持ち込めない場になっています。必然的にライフスタイルはそういう形に方向づけられ、社会構成員個々の精神姿勢は田舎のひととまったく異なるレベルに置かれます。
これが冒頭の文明度に応じた社会観の差ということの内容です。

現代グローバル社会では、情報通信の空間的広がりと内容のち密さの深まりが同時に進行しており、われわれは世界そして宇宙という巨大空間に対する詳細な認識を持つようになってきています。だから最先端文明に浸っているひとびとは、世界中の人間に対して時空を共有し、同じ人間同士という一体感を持つに至っているわけです。日本にいるひとがアフリカの飢餓難民に一体感を抱いている。現代ヒューマニズムの理想の一例でしょう。世界はそういう方向に向かって、間違いなく進んでいるとわたしは思っています。ただし人間個々人の持つ社会観世界観は自分が日々暮らしているミクロな生活共同体の中の価値観に引きずられてそう簡単には変化しません。しかし何代もの世代交代を経て着実に進化していることは歴史が物語っていると思います。それが太古から連綿と続けられてきたこの世界の姿です。

もうひとつ付け加えておきたいのは、文明度という点で都会にも劣悪な人間がいるし、田舎にも都会の平均を上回るひとがいます。都会の劣悪な人間が、自分は都会人だからと田舎の人間を見下すことは枚挙にいとまありません。
そのような人間は具体的な人間のクオリティを評価する能力を自分の中に養成しておらず、「都会は先進、田舎は後進」というラベル思考を行っているだけであり、本質的な価値の認識がそこには欠如しています。そもそも評価対象として都会と田舎というディコトミーを用いること自体が、都市文明の中にはぐくまれた、「より広範な人類共同体への指向・社会的一体感」を否定しているわけで、そのようなひとが文明⇔野蛮スケールのどこに位置するかはおのずと明らかでしょう。
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田舎出身・都会在住です。



都会は同じアパートの住人でも挨拶がなかったりするので、私はむしろ逆だと思うのですが…。

田舎を1人旅をしていたら、農家の方に声をかけられ、色々とご馳走になりました。

都会で他人に声をかけられても怖くてついていけませんけど(^_^;)

土地柄、というのは確かに存在しますが、"その土地の人"として見るより、あくまで"個人"として見るべきなのでは。

田舎、都会、それぞれに良さがあります。

偏見等、偏った価値観は世界を狭めてしまいますよ。
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パートさんに怒られるレベルの仕事ですから 話題とか言葉のやり取りもそれに合わせるとうまく行くはず 怒られるのは自分のせいもあるから、気にしないように振舞うのが男です ドンくささを出しながら底辺の仕事を覚え


会社固有の複雑な人間関係やら運営関係を把握します やがて正社員なのでハイレベルな仕事とか 新入りの社員、パートを教育する立場に持ってゆき、めでたく未来が見える生活ができましたとさ・・メデタシ、メデタシ

この考えがしっくり来るためには 結婚、家族生活がまず必要。責任者になるってことです それ以外は馬の耳に
念仏モードか。 
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単にあなたの環境適応能力が低いだけのことです。

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あらら よほどひどい目にあったのでしょうね。



そこそこの都市 そこそこの田舎 の定義はできませんが、都市部育ちのあなたが
田舎の人を変だと思う原因。

その僻地はあなたが育った都市に比べて人口が圧倒的に少ない

=

”田舎は、あなたが求めたい対応をしてくれる人がいる確率が低い”

それだけなんです。

逆に田舎の人から見れば、都市には田舎出身の人も多いから 考えが一致する人が多い。

私は田舎生まれでそこそこの年齢まで田舎育ちですが 職業がら都市生まれ・育ちの人との付き合いが多いです。
都市には自分にとって 良い人 嫌な人 双方たくさんいますね。
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東京大手町あたりの外国為替金融取引の会社にただひとり一人有機農法のお百姓が紛れ込んだら、なかなか受け入れらないでしょう。

そのお百姓さんから見たら都会のサラリーマンって変な人達と映るのではないでしょうか。逆も真なり。
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田舎の人は、隣近所が、昔からず~と何代も続いた


家族みたいな関係にあります。

そこへ、見知らぬ人が来る。

これは家族の中に他人が来たような感覚に
なります。

田舎の人に受け入れてもらえるには、一世代
経つ必要がある、とはよく言われている
ことです。
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変か普通かどうかは多数決なので、田舎の中であなたが変なのです。


だからよそ者として受け付けない。

誰でも、他人を変な人呼ばわりして、もう絶対関わらないと思う排他的な人と、友好関係は築こうと思いません。
なんて言うか、田舎者を受けつけない感じだもの。

あれ?
田舎と、相談者さんの思考法、同じじゃね?
自分の受けた仕打ちは、合わせ鏡の自分の姿なんですよ。
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郷に入りては郷に従う。



そういう事です。

田舎が閉鎖的なのは、「昔から変わらない」からです。
田舎では、閉鎖的にすることで村の治安を守る必要があります。よそ者を排除すると言うことは、治安を守ることになります。
東京だって、今でも下町ではそんな雰囲気ありませんか?
悪く言えば閉鎖的。よく言えば横のつながりの深い関係。

でも、逆に、一度認められると、とても安心感もあり、居心地のよいものです。

なので、都会からいきなり来て、都会の論理を通そうと思ってもそりゃ無理な話です。
田舎の人からすれば「都会者は変わってるよね」って事になります。

私は、田舎も都会も知っていますが、双方に良いところがあります。
そして、向き不向きがあるでしょうね。

というわけで、出来ればもう一度田舎に行って、最初の1年くらいは苦労が絶えないと思いますが、じっくり観察し暮らしてみて欲しいなと思います。
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>なんて言うか、よそ者を受け付けない感じですね



まあそう言う印象を持たれる事も良くある話。

でも『変』なのかどうか?それは分からん。
生まれが違えば習慣や文化の違いは当然あるだろう。

>もう絶対関わらないと思った
というのが知らず知らずに心の壁になったんじゃ無いのだろうか?
そう言う気持ちって、結構伝わるモノ。

最初から、『俺は君らと違う』という気持ちが透けて見えた可能性もある。

まあ、最初から合わない人もいるけど。
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