
No.1ベストアンサー
- 回答日時:
東ドイツ側は通行出来る場所ではベルリンの壁と同程度の警戒をしていましたし、通行できない場所は鉄条網が張られ地雷がたっぷりと埋まっていて自動で銃撃する装置が設置されていました。
以下の写真が当時の国境の写真ですが、東側が設置した鉄条網が張られ、自動発砲装置が設置され、東西を挟む立入禁止部分には地雷が埋まっています。
http://www.be21.ne.jp/pepisode189D22-281.jpg
自動発砲装置とは、地雷が埋まった無人地帯に何かが入り込むと自動的に銃撃する無人の装置です。
>そもそも国民が大挙して万人単位で国境線破れば取り締まれないような気がします。
確かに、自動発砲装置の弾が尽きて、全部の地雷が爆発し切れば、そのあとは、1万人の民衆が雪崩れ込むのを防げません。
ですが、1万人の集団の先頭に立つって事は、自動発砲装置と地雷の餌食になると言う事なので「100%の死」を意味します。
なので、だれも先頭に立とうとしなかったのです。100%死ぬと判って先頭に立つ馬鹿は居ませんからね。誰だって命は惜しいのです。
No.4
- 回答日時:
東ドイツは西ベルリンを西ドイツ領とは認めていませんでした
東ドイツにとり西ベルリンは東西ドイツに次ぐ第三のドイツでした
(成立間もない西ドイツは東ドイツと相互承認するまでは東ドイツの存在も否定して
ドイツ連邦共和国が唯一のドイツ国家と主張していた)
従って東ドイツは西ベルリンに西ドイツ軍(連邦軍)の駐留を絶対認めなかった
東ドイツでは西ドイツに亡命することは大罪であるが、西ベルリンなら西ドイツではないから
失敗して殺されず捕まっても罪が重いことには変わりないがより軽い
西ベルリンに駐留する西側軍は微弱で有事になれば駐東独ソ連軍が圧倒出来ますが
東西ドイツ国境になると話は別で緊密で長い距離の地雷原を設置してあります
特に大戦中独ソ両国は仕掛け地雷、二重設置地雷も含め地雷敷設技術も巧みで
到底素人が突破して西ドイツに逃げ込むことは不可能に近い
ならば危険であることには変わりないがよりリスクの低くより短時間で済む西ベルリンへ逃げることを考えるでしょうね
No.3
- 回答日時:
境界線が長いとはいえ,かなりの幅の緩衝地帯があり厳重に警戒されていましたから突破するのは困難だったと思います。
70年代後半に東西ドイツ国境やベルリンの壁を通って旅行したことがありますが,それはものすごい警戒のしかたで緊張しました。ちょっとしたミスが拘束や銃殺に結びつく可能性もありましたから。分断されていたころは国境突破を試みた人は数多くいたし,その中には成功した人も失敗した人もいました。小型船で海から国境越えをしたというニュースもありました。しかし藻屑と消えた人たちもいたでしょうね。現在の脱北のようなものです。
とはいえ全体から見れば命を懸けてまで国境を越えようとした人は少数派でした。成功したにしても元の家族や友人とは一生会えない可能性が高かったわけですから。
No.2
- 回答日時:
なお「ベルリンの壁」には、地雷もありませんし、自動発砲装置もありませんでした。
壁の裏側に無人地帯はありましたが、監視塔から国境警備隊が監視しているのみでした(無人地帯に立ち入ったのを発見されると監視塔から銃撃されるのは国境と同じです)
なので、東から西へ脱出する場合は、警戒が厳しい国境ではなく、ベルリンの壁を越えて脱出するのが多かったようです(そっちの方が死ぬ確率が遥かに低い)
お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!
おすすめ情報
デイリーランキングこのカテゴリの人気デイリーQ&Aランキング
おすすめ情報