牛、豚、鶏、どれか一つ食べられなくなるとしたら?

古代ギリシアの科学では
この世の物質は
空気、水、火 土、の
四種類から構成される
と考えられていたらしいのですが、
Wikipediaを参照すると
その四つが『愛』によって
結合していたとあります。

ここで言う『愛』とは何なのでしょうか?

アガペーとかエロスとか
そう言う愛は一応理解したのですが
ここで言う『愛』はこの愛とは何か関係があるのでしょうか。

A 回答 (8件)

万象の根源とか、究極の実在とかいったものに対する解釈の一つなのでしょう。


密教の解釈が参考になると思いますので、簡略に記します。

地、水、火、風、空、識という六っつの働きが、究極の実在の働きを分けて示しているとされます。
構成要素ではありません。
あくまで究極の実在の顕れとしての働き を、それぞれ示しているものです。

この、実在の顕れとしての働きをそれぞれ示す、という事において別な表現もあります。
「大日如来の徳を二分したのが、不動明王と愛染明王です。」
煩悩を焼尽する智慧の働きと、煩悩本来の清浄な働き、という意味です。
こちらも構成要素ではなく、働きを分けたものです。

古代ギリシャにおいては、物質的な要素と精神的な要素によって全てがある、という推測をしていたのでしょう。
精神的要素が物質的要素を結びつけているという考えから、それを「愛」と表現したのだと思います。
そこには、一般的な愛という感情的なものではなく、結びつける(根本的な)働きという解釈がされているように思います。
一般的な愛、でさえ、その結びつける働きから成り立っていると考えたのかもしれません。

密教においては、地、水、火、風、空の五つ全てに識が含まれていると考えられています。
「愛」ではなく「識」です。
「識」が遍満しているとされています。
また、一つ一つの働きが別なものではなく一体となっているとされています。
密教における「愛」とは、実在の顕れの徳(働き)として、正反対の働きと一対となって説かれています。
あくまで精神的な徳(働き)と見なしているようです。

以上の事柄を比較して参考にしてください。
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この回答へのお礼

丁寧な回答、
ありがとうございます。

『愛』とは精神的な要素を指すんですね。

古代ギリシアと密教は全然違う物なのに、
物の見方に似ている箇所があるのは
面白い話です。

お礼日時:2012/04/30 20:18

愛の1つの形に博愛=他我というものがあります。


他と我を不可分なものと考え、自己のように他を
認識する、というものです。
いわゆる色即是空とか色心不二とも呼ばれる。

実は、素粒子間に生じる引力は、電磁力なら光子、
核力なら中間子といったように、ゲージ粒子と呼ば
れる素粒子を交換する事で生じているのであるが、
実際に粒子を「交換」する事で時差をおいて力を
与えるというより、不確定的な広がりにおいて、
双方の素粒子が、そのゲージ粒子を持つ事で安定
する=1個のゲージ粒子が両方の中で安定しよう
とする=双方の共通性の分だけ引き合う、という
メカニズムであって、まさに「自他合一」に通じる
ものだと言えます。
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この回答へのお礼

現代になって解明されてきた科学が、
実は当時の愛の概念に
通じる所があるというのは面白いです。

皆さんの回答のお蔭で、
少しずつ、考えが広がっていきます。

お礼日時:2012/04/30 20:24

古代ギリシャの科学についてはよく分かりませんが。


原始仏教では『地、水、火、風』を四大といいます。
また、六大という考え方もあり、『地・水・火・風・空・識』といいます。
今風でいうと、『固体、液体、エネルギー、気体、空間、心』と言うことになるのではないかと思います。
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この回答へのお礼

御回答ありがとうございます。

そもそも、
水=H2Oとか
風=空気とかって言う話ではない、
ということですね。

その発想はありませんでした。

お礼日時:2012/04/29 19:27

NO2です。

これは僕の独自の解釈ですので、どう思われても構いません。
分離とは、今の物質的価値観での捉え方で、たとえば肉体も意識も個別、恐れを元にした発想、
思いやりの心がない、二元的、対立がある、自分の現実を自分が創造していることを自覚しない
などです。
結合のよる愛とは、神性による非物質的な価値観での捉え方で、肉体と意識の個人を超えた
共有感、喜びを元にした発想、思いやりの心がある、二元性の統合、調和、自分の現実を
自分が創造していることを自覚しているなどです。
何度も生まれて来ては、こういう気づきを妨げて争っているわけです。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

難しいお話ですね。

「神性による非物質的な価値観での捉え方」という箇所に納得できました。

当時の考え方は
現代の科学のような考え方では
捉えていなかったんですね。

お礼日時:2012/04/29 17:39

Wikipediaを参照すると、「争い」により分離する。

と続くますから、
くっついたり離れたりする人間関係で説明していると受け止められるので、
単に、好き嫌いの「愛」でしょうね。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

私も始め、
単純に、好き嫌いの愛ではないかと
推測しましたが、
この考え方は
好きだから結ばれている、
嫌いだから結ばれていない、
という考え方です。

横暴な発想だとおもいませんか?

お礼日時:2012/04/29 11:13

ギリシャの科学と愛は別物です、


愛は感情で物質とは異なります。
ギリシャこそ愛を謳歌してます、
遺跡や作品を見れば納得です。
愛とは科学とは違い哲学なのです。
ギリシャの文学は明確に語ってます。

こう言う事を考える人も時間も
少なくなりました。楽しみです。
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この回答へのお礼

なるほど。
四大元素や、火水風土の考え方は、
科学だけではなく、
神学、哲学的な要素が強いんですね。

だから、『愛』を科学と考えるのはよろしくないと。

でも、結局、
四大元素を結びつけているのは何だと考えられていたのでしょうか。

お礼日時:2012/04/29 11:06

その愛とは全ての要素、二元性の超越、森羅万象、物質と非物質、宇宙やあなた、無条件・・


要は神ですね。
物質でそれらを分離させる争いがあるのは、自らの神性に気づけるかによる争いを意味してます。
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この回答へのお礼

『愛』とは神である。
つまり、宇宙全てである神が、
そうさせているのだから
そうなっている、
というニュアンスですか。

回答に質問で返すのもどうかと思いますが、
「自らの神性に気づけるかによる争い」とはどういう意味なのですか?

お礼日時:2012/04/29 10:58

ちがうかもしれないけど、



人間がその四大元素?ってのに

感謝していたからかな?

その感謝が愛になったみたいな?

全然違うと思うけど、一人の意見的戯言として

とらえてください。
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この回答へのお礼

『愛』とは感謝の気持ちである、
という考え方ですね。

回答ありがとうございます。

お礼日時:2012/04/29 10:52

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