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先月親しい友人が亡くなりました。
お寺様のご都合と曜日の関係で、実際の49日目より十日ほど前倒しで四十九日の法要と納骨が行われます。
この場合、(適切な表現が分かりませんが)『本当の四十九日』はどちらになるのでしょう。
一般的に四十九日までは成仏せず中陰をさまよっていると言われていますが、
四十九日法要が行われた日から実際の四十九日目までの間はどう捉えればいいのでしょうか。
四十九日法要が終わってしまえば成仏したとみなすのでしょうか、
それとも法要はあくまでも行事であって四十九日目までは霊魂はまださまよっていると考えるのでしょうか。

お花が大好きな人だったので、私には見えませんがまだ彼女がその辺りにいるのならば花を絶やしたくありません。
四十九日法要に花をおくりますが、その花は四十九日目まで持ちそうもありません。
四十九日目「用」の花をおくっていいでしょうか。

ご遺族とも親しくさせて頂いており、花友達だったのはよくご存知です。
季節が一巡りするまでは折々に季節の花をお供えするつもりなので、
実際問題としては今回は大きい花にするか小さい花にするか、程度のことなのですが、
慣習や宗教的な意味合いではどう考えるのでしょうか。

うまく表現できなくてすみません、
気持ちの問題ではありますが、形も疎かにしたくないのです。
宜しくお願いします。

(真言宗です。四十九日法要に参列します。)

A 回答 (4件)

法要を前倒しするのは、今を生きる人の「都合」です。


本来は、七日ごとに種々の仏さまに出会って、少しずつ「あちら」へ向かって行き、七七四十九日で「あちら」の人となります。

わが家の場合、法要はあくまで「行事として行なうべきもの」と受け止め、お寺さんや法要に来ていただく方の都合によって行ないました。
しかし、心情的には実際の四十九日ではないのだからという思いがあって、四十九日当日には家族だけで仏壇の前に集まって故人を偲びました。

ただ、現実には法要が行なわれたことをもって「あちらへきちんとお送りした」と考えてそこで「区切り」とする方も多くいらっしゃいます。

四十九日の考え方や法要というものは、亡くなった方のためのものではなく、残された者のためにあるもの(残された者が気持ちの整理を付けるための区切り)だと私は考えています。
ですから、残された者がどう受け止めるかによって、どちらでも構わないと思います。

本来の四十九日にお花をお送りしたいということでしたら、送っても構わないでしょう。ご遺族の方とも親しくされていらっしゃるのでしたら、質問者さんの「思い」をきちんと受け止めてくださるのではないかと思います。

もしどうしても気になるのでしたら、法要の時に、「また四十九日の日にお花をお送りしますね」と一言、言っておけばよいのでは。
もしご遺族が「今日の法要をもって終わりにしたい」というお気持ちだったら、そのように言ってくださると思います。

あるいは、法要の後、お寺さんにお聞きするのもいいかもしれません。
でも、こういうことは、実はお坊さんによっても考え方が違うことが多いのです。
「あなたのお気持ち次第ですからどちらでもいいですよ」と答えるお坊さんもいれば、「いや、法要をもって区切りとなさるとよいですよ」と答えるお坊さんもいるのです(仏教って結構アバウトなんです)。

ですからあまり宗教的(仏教的)なことにこだわらず、質問者さんの「思い」を優先すればいいのではないかなあと、個人的には思います。

ちなみに、私も数年前に身近な人を亡くしました。
しばらくは「あ、まだこのあたりをうろうろしているな」と「存在」を感じることがしばしばで、「四十九日を過ぎ、納骨したら感じなくなるかな」と思っていましたが、いつまでたっても「このあたりにいるな」という感じはなくなりません(さすがに回数は減りましたが)。
私の中では「まだ生きている」んです。ですから「四十九日もへったくれもないな」というのが正直な気持ちです。
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本当の49日は死んだ日から数えての49日です



何派(宗派)ですか?
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 No1の方がおっしゃるように、生きているものの都合です。


で、それで私もいいと思います。

 たとえば葬儀の後の骨揚げをし、そのまま初七日を済ますことが多いです。
これは遠方からの親戚などに配慮しているわけですが、考えれば変な話ですよね。

 また、四十九日を待たず三十五日で切り上げる場合もあります。
たとえば四十九日がお盆の時期に重なると、いわゆる新盆は来年になるんですね。お盆に入った時にはまだ仏さんになっていないってことです。なので早めの三十五日で満中陰とし、1週間後なり10日後なりのその年のお盆を新盆とします。

 それもこれも残された家族の都合です。
そして、なによりも亡くなった方は我が家族がすることになにも文句はないと思います。

 問題は残された家族であれ、質問者さんのような友人であれ、故人を偲ぶ気持ちですね。
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さまようという表現は好ましくないですね。

行き場がない訳じゃなくて次に行く為の準備をしているのですから。

たとえば友人が遠くに引っ越すことになり、送別会を開くとしましょう。当然送別会は引越しより前ですよね。
でも友人は引越しの日までは貴方の近くに居て忙しく引っ越し準備をしているわけです。

四十九日の法要はあくまでも法要。
一説には四十九日を以って仏の世界、人間界、外道などの次の生まれ換わり先が決まるといわれています。それまでは故人が仏の世界に生まれ変われるようにと仏に救済を願うのだとも言われています。
だから行き先が決まる前に法要をするのだと。

儀礼的には法要を以って完成ですが、実際には四十九日は49日目なのであまり大げさにではなく故人のために祈ることが大切ではないでしょうか。

本来は7日ごとに法要があります。あくまでもそれを省略しているに過ぎず、実際には中陰の間はずっと祈るための期間なのです。
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