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 アダムとイブの話で、善悪の知識の実だけは絶対食べてはいけないと神が言っていたのに、蛇(サタン)が唆してイブがその実を食べたという話がありますよね。
 ということは、善悪の知識をつけるというのは、神にとって悪であるということなります。

 動物に育てられた子供が発見されたと仮定して(実際狼に育てられた少女の話があったようですが、真実があいまいなので別として考えてください)その子供は当然言葉も話せず人としての善悪もわかりませんが、動物と同じように問題なく育っています。
 その子供は当然のように保護され、人としての言葉や善悪、常識などを教えられることになりますよね。
 だとすると、この場合見つかった子供がイブ、人間が蛇(サタン)と同じになってしまい、神の意思にそむく行為となってしまうのでしょうか?

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A 回答 (10件)

   この場合、問題になったのは「(善悪の)知識を身に着けること」ではなく、「善悪の基準を決定する権限」でした。



   つまり、神はすでに善悪の知識の木の実を食べてはならず、それを食べれば死ぬという、(何をすべきかすべきでないかという)「善悪の基準」または「決まり、おきて、法律」を公表しておられました。それにも関わらず、アダムとイヴは神のおきてに反してその実を食べてもよいという自分独自の善悪の基準を(心の中に)設けて、それに従って行動(その基準を支持)しました。

   要するに、何が良いことで何が悪いことなのか、何がすべきことで何がすべきでないことなのかといった「善悪の基準」をだれが決定するのかということが問題だったのです。蛇(サタン)は神の善悪の基準を決定する権限、つまり神の主権に挑戦し、「神のおきてに従うよりも、自分自身の好きなように(自分勝手に善悪の基準を作って)生きた方が幸せになれる」ということをイヴに吹聴したのです。
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お礼日時:2012/05/31 07:16

動物に育てられた子供の例ですけど、アダムとエバは、動物に育てられたのではなく、神に育てられ、全ての動物に名前を付ける程知識も知恵もあったと思います。


根本的な事ですが、善も悪も神が創造した万物に含まれていますから、理知ある被造物は善と悪の知識は持っていたと思います。
問題となったのは、「あなたは園のどの木からも実を取って食べて良いが、善悪を知る木、これから取って食べる日、あなたは必ず死ぬであろう」。創世記2:16.17.。
エバは、もっと詳しく「園の中央にある木の実からは食べてはならない。これに触れてもならない、死ぬといけないから、と神は言われました」。創世記3:3.。
ですから、善悪の知識を学ぶ事が死を招く罪なのではなく、木に触れたり、実を取って食べると言った行動が問題なのです。

愛であり平和である神は、善も悪も創造しましたが、平和に寄与しない悪は絶対に用いませんでした。
そして、天と地の全被造物が平和の神と同じように、善を愛し悪を行わない聖なる者となる期間を設けたのが、創造の第7日目の聖なる日です。
この聖なる日、安息日は、新しい天と新しい地(神の王国)の創造で、7日目の初めに生命木と善悪の知識の木が置かれたのです。
天の被造物の悪魔と悪魔に組する御使い(悪霊)たちと、地の被造物のアダムとエバは、神の権威の下にあった善悪の知識の木を盗み取ると言う悪を「行った」のです。

キリスト・イエスは、アダム(人)と同じ弱い肉の人間となり、悪を絶対に行わない聖なる者になれる事を実証して罪を贖ったのです。ですから、イエスの贖が完成した後の現在の人間の前にも、生命の木と善悪の知識の木が置かれていて、悪を用いない聖なる者となる道が開かれているのです。
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お礼日時:2012/05/31 07:16

>>[アダムとイブの話で、善悪の知識の実だけは絶対食べてはいけないと神が言っていたのに、蛇(サタン)が唆してイブがその実を食べたという話がありますよね。


ということは、善悪の知識をつけるというのは、神にとって悪であるということなります。]

○確かにこの文章を読んで善悪について混乱するのは必然かもしれませんね。でもこの文章が生まれた状況まで考察すると本当の意味がわかるはずなんです。
この話は、蛇・サタンの善悪の知恵を学ぶなということで、神や天使の善悪の知恵を学ぶなとは行っていないのですね。この点に気づくと本当の意味がわかるはずですね。
遠い昔、7大天使の一人にルシファーと呼ばれる天使がいました。彼が地に降りた時に、自分が神になりたいがためにやりたい放題して神に反抗したのですね。当然、天国に帰れず地獄に封じ込まれて地獄の帝王になったわけですが、自分の帝国を大きくするために神の善悪とは全く反対の善悪を持ち込み、それを信じたものを自身の弟子にしていったのですね。この話が、「サタンの善悪の知識の実だけは絶対食べてはいけない」なのですが、善悪は一つという概念しかない人々が神の、悪魔の、という区別ができなくなったということなのです。いまでも天使と悪魔の善悪は違うということがわからない人ばかりでしょう。宗教者や信徒でこれがわからないということは皆、悪魔の手中にあるということなのですね。
疑問を持つことは良いことですね。疑問を持てば悪魔の知恵も見破ることができますからね。

指摘の動物に育てられた子供で例えると、この子が人間社会に発見され誰に育てられるかということと同じことなのです。例えば、泥棒に育てられると、この無垢な子供は泥棒になります。正直で真面目な人に育てられると当然、泥棒等にならずに良い子になりますね。
泥棒の知恵は正直者の知恵とは全く違う知恵ということは容易に理解できますね。
そういうことなのですが、善悪二元論は単純であるが見方により悪が善になり、善が悪になるという観点を忘れてはいけないということでもありますね。それさえ理解できれば、古い聖書の曖昧な記述もスッキリわかるはずですね。
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お礼日時:2012/05/31 07:16

人間は神の国(エデンの園)に住んでいたのです。


そこで、罪を犯したため人間の世界に追放されました。
だから、人間の世界はすでに追放された者の生まれる世界です。

したがって、動物に育てられずとも人間として生まれたのであれば、すでに原罪(善悪の知識)を背負って生まれているのです。

ちなみに、原罪(善悪の知識)とは唯物論的な思考のことです。
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お礼日時:2012/05/31 07:16

>ということは、善悪の知識をつけるというのは、神にとって悪であるということなります。



これは、人類が原罪を犯す前の話なので、今は適用できません。
善悪を全く知らなければ責任を取らなくても良いという意味かも知れません。

旧約聖書で、ソロモン王が、善悪を見分ける力が欲しいと祈っていたことに
ついては神は祝福していたと思います。
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お礼日時:2012/05/31 07:16

非常に哲学的なことなので、自分の考えを勝手に書きます。


希望される回答でなかったら申し訳ありません。

まず知恵の実ですが、私は大学のキリスト教学で
「知恵の実を食べると必ず死ぬから」神が禁じたと習いました。
楽園には「生命の樹」もあり、神はそれを食べることを禁じていません。
生命の樹により、人は不老不死であるはずでした。


私個人としては、知識をつけることが悪であるという印象はもっていません。
むしろ、知識をつける代わりに命を捧げるイメージです。
あくまでイメージです。
(人魚姫の人間の足と声みたいなものですね)


動物に育てられた子に関して
>見つかった子供がイブ、人間が蛇(サタン)と同じになってしまい、神の意思にそむく行為となってしまうのでしょうか?
と質問にありますが、私はそうは思いません。

神も動物は動物、人は人として創り出しました。
アダムは動物を治めるものとして、神に似せて創られました。
つまり、神は人と動物の役割を分けたと考えられます。

人は人として、動物は動物として共に生きる。
これが神の意思ではないでしょうか。


少し論理的ではないかもしれないですが、思ったことを書いてみました。
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お礼日時:2012/05/31 07:15

これまで報告されている事例では、その様な子供は早くに亡くなってしまったそうです。


過度のストレスが原因かと推測します。私見ですが、ご質問の内容を反映してみると、
知恵の実の毒性に拒絶した結果にも感じます。
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お礼日時:2012/05/31 07:15

アダムとイブの物語では神の意思にそむいたので、善悪を知るものになったということです。


私はアダムがイブを強姦したと考えています。
アダムとイブが大きくなったとき神の言いつけを守れなくなって自制がきかなくなったのでしょう。
おちんちんが急に大きくなってムラムラした気持ちのことです。
でもこれは、人間はなぜ罪を犯すのかを考えて考えて考えだした架空の物語と思います。

人間にはなぜ罪を犯すのか?この問題はアダムとイブの問題であって
このときの原罪を受けついているから、人間には不義な思いがあるというキリスト教的な考え方です。
すなわち、その見つかった子供にも原罪を受けついているという考えですね。

でも、この教えはキリスト教が全て正しいのではないです。
もともとこの旧約聖書の一番最初のほうのことですね。
これはユダヤ教もイスラム教も信じていることです。

仏教は、神教ではこのような考え方はしません。
位の高い霊が人間に神からの言葉を与えたシルバー・バーチもこのような考えをしていません。
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お礼日時:2012/05/31 07:15

キリスト教の一派には現代の科学の成果の多くを拒否しているものがありますが、彼らがオオカミ少女に人間の知恵を教えることを、神に背くことだと考えるかどうか、聞いてみたいと思いました。



私見ですが、人間は知恵を人並みにもってはじめて人間として社会に適応し、幸せに暮らせるので、現在の神は決してそれに異見をさしはさむことはないと思います。知恵の実の話は単なる寓話でしょう。人間が裸のままで獣同様に暮らし続けていたらどうだったかと考えることは思考実験としては面白いですが、それを肯定することは神のエゴであり人間という存在を否定することだと思います。
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お礼日時:2012/05/31 07:15

 こんにちは。



 エワとそしてアダムが 善と悪を知る木から採って食べることは 神としては織り込み済みだったのではないでしょうか。

 ただし 自分の意志によって考え行動するというその人間のおこなう行為というもの これについては その体験をしなければ分からなかった。と考えられます。

 神のことばに背いて木の実を採って食べたところから 自由意志が自然本性としてひとにはそなわっていると ひとは分かった。ものと思われます。

 この神の言葉は 単純に良心のことであるかも分かりません。

 そのような自由意志のものがたりに ヘビを持って来たのは 愛嬌でしょう。
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お礼日時:2012/05/31 07:15

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Aベストアンサー

同じ誤解はラテン語でもギリシャ語でも起こり得ます。

「リンゴの実」はギリシャ語では μηλον メーロンですが、特にリンゴに限らず果物一般を指す名詞でもあります。古代のギリシャ人にとっては、リンゴだろうとスモモ、杏子、柑橘類、ローズヒップなどなど球形の果実はなんでもμηλονでした。

英語に借用されてリンゴとは似ても似つかないmelon「メロン」となっていることからもおわかりになるでしょう。

一部の方言での語形は μαλον マーロン で、これがラテン語に入ってmalumマールム「リンゴの実」です。ラテン語の場合もリンゴを指すこともあればその他の果実を指すこともありました。ラテン語は男性名詞化すれば「~の木」の意味になりますからNo.5さんがご指摘のmalusとなります。

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 実際、当時の中近東にはリンゴはなかったそうなので、アダムたちが股間を隠すのにイチジクの葉を使ったことから、「知識の実」はイチジクではないか、という意見は多いようです。
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>アダムとイブが「身体を木の葉で隠」す必要があったのかが、理解できません。

すでに出ている回答と重なる部分があるかもしれませんが、参考になればとおもいます。

まず、楽園にいたアダムとイヴですが、彼らは「欲望」がありませんでした。
しかし、蛇に化けたサタンにそそのかされ「知恵の実」を食べたことによって「欲望」がわき起こりました。
そして、この「欲望」のなかで「イチジクの葉」に関連するのは「性欲=罪」です。
「知恵の実」を食べる前のアダムとイヴは、「欲望」がないのだから当然「性欲」もありません。
「性欲」がないのだから、それに対する「恥じらい(罪の意識)」もないのです。
しかし、「知恵の実」を食べたことで「欲望(性欲)」がわき起こりました。
しかし、同時に「罪(恥ずかしさ)」もわき起こります。
この「恥ずかしさ」を隠す為に「局部」を隠す必要があったのです。

そして、この「知恵の実を食べ、肉欲に代表されるあらゆる欲望がわき起こるようになった」事が「原罪」の教義なのです。
この「原罪」を重要視するために、「アダムとイブの楽園追放」の物語はとても重要なのです。

※正し、この見方はキリスト教側からの見方です。
ユダヤ教では、あまりこの物語は重要視されません。

>アダムとイブが「身体を木の葉で隠」す必要があったのかが、理解できません。

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