10秒目をつむったら…

ラジオを聞いていて出会うのですが、話し手が説明する際に、”やはり”という言葉を多用する人がいます。
「……やはり……。……やはり・・・・・・・・・・・。」というように喋ります。
”やはり”を多用する人は、話に慣れていない人ばかり、ではありません。
どういう心境で、”やはり”を多用するのでしょう?

A 回答 (4件)

あんまり面白い質問なのでついコメントする気になりました。

”やはり”私は普通ではないとのかと思いました。質問者さんはなぜこの質問をされたのでしょうね。「やはり言葉」を多用される方をあまり好ましく思っておられないか、もしくはご自分もついよく使ってしまって困っておられるか、あるいはその方の成長過程でなぜそうなったのか等と不思議に思われたからでしょうか。
私の考えでは二通りおられるように思います。第1のグループの方々は自分でも気づかず”やはり”を多用される方です。#1さんが答えておられるのと同じです。単なる癖なのでしょう。あまりお話がお上手ではないということでしょうか。ほんとの意味で”やはり”を使いたいときその言葉は死んでいます。

第2のグループは、自分は教養のある普通に物事の判断できる人物だという事を聞き手にあるいは自分自身にもアピールして安堵感を覚えている人たちの集まりです。第1のグループの人たちは指摘されれば話し方が改善できる人たちです。しかし第2のグループの人たちは多少厄介だと思われます。人に話をする場合でも自分の私的な意見を一般化して相手を納得させようと言う気持ちが無意識に働いているからです。勿論意図的である場合もあります。聞き手にまわった場合はよく理解できなくてもある程度は理解できていますという意思表示に使っています。さらに話し手の気持ちを傷つけまいという気持ちが話し手に「あなたはは教養人ですね。」と言う代わりの言葉として使っています。それくらい気配りの上”やはり”を使っているのですから注意したりコメントしたりすると気分を害してしまいます。

もう少し手厳しく言うとまさに自己が確立していないため自分の意見もなく判断基準も持っていない人たちがよく口にします。
こういう人たちは”長いものには巻かれろ”式の人たちですからまず創造的ではありません。悪く言うと烏合の衆です。よくいえば”見ざる、言わざる、聞かざる”です。私は英語でこの言葉にぴったりくる表現はないのではと思います。普通に訳すとAnyway,After all, as I thought, So, 等全然意味が違いますね。無理に合わせて訳すと、Generally speaking, as most of people thinks. でしょうか。こんな事を言うのは講演者か政治家です。やはり日本人らしい表現だと思います。悪く言うと島国根性、良く言うと最適化文化、適合文化でしょうか。 

質問者様の質問の意図は測りかねますが私は日本という国が今後国際的な存在感を持つため、あるいは主張するためには個人が論理立てた意見、あるいは感性豊かな自分の意見を持ち相手に伝える技術を備えなければならないと思います。従ってできるだけ意味なく、責任の所在を不明確にする”やはり”という言葉は使ってほしくないと思っています。

質問者様の意図と全く異なった回答になっていたらすみません。私も気になっていたものですから。
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この回答へのお礼

早急な、かつ綿密な分析された回答ありがとうございました。

なぜ私が、この”やはり”という言葉が気になったかを、今考えています。
私は古典落語が好きで、毎日聞いています。落語家は、言葉や台詞が短時間には重ならないようにして、はなしています。笑いを取るときは別として、同じ表現を避けたり、言い換えたりしています。私はそれに気ずき、感心しました。(落語家、だけでなく演劇・小説・新聞記事でも同じですが)
私は、日常しゃべる時にも、その重複が気になっているようです。
ただし、なぜ、よりによって、”やはり”という言葉について、ここへ投稿するほど気になったのか、まだ分かりまん。

本題に入りますが、
<第2のグループの>
<自分の私的な意見を一般化して相手を納得させよう>
ということは、よくわかります。
社会の中でも
<責任の所在を不明確に>
に通づるのですね。

お礼日時:2012/05/23 08:03

>>どういう心境で、”やはり”を多用するのでしょう?



断言できることではないですが、『やはり』と連発するという事は、そこには相手の方との隔たりとした事実が存在しますよね。(他人であるなら余計にです。)

親友とか、気の置けない仲、でも何でもない訳ですから、『決定』付ける発言、内容などは言えるはずがないと思われます。

言われている様に、『話し手が説明する際に、”やはり”という言葉を・・・』というのは極めて自然であり、然りとも思われますね・・・。

“スポーツ”観戦などでも、『○○がもう少し、前に出て行かないと、“やはり”この一点は取れないでしょうね。・・・“やはり××も、もう少し頑張ってほしいし、“やはり”☆☆も守備の詰めが必要でしょうねぇ。』などの様になってしまうかと思われます。(上手くは言えませんが。)

なので、“やはり”とした言葉は自然体であり、必要性のあるものだと思われます。
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私の推測では、「自分の言葉に自信が持てない」なので『やはり』と引用し、自分を納得させて、自信を得ている。



他人が「***」というと「やはり・・・」として、自分の自信の無さを補完する。

逆に言えば、明確に違うこと以外は、「やはり」という言葉を連発する。
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この回答へのお礼

早急な回答ありがとうございます。

確かに
<明確に違うこと以外>
すなわち、明らかに反論される以外の場合に、
に使っているようですね。

お礼日時:2012/05/23 07:21

個人的な感想だと,自分の意見を自分で肯定している。

そうしないと落ち着かない。相手の相づちを自分で先に言っている。
そんな風にしか思えません。単なる口癖の可能性もあるでしょうけど。
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この回答へのお礼

早速の回答ありがとうございました。

なるほど
<そうしないと落ち着かない。>
そして
<単なる口癖>
もありうる、ですね。

お礼日時:2012/05/23 07:16

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