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自分はアカデミックな世界とは関係ない一社会人です
学生の頃から哲学が好きで、哲学書をよく読んできました
最近になって、書物を読んでも内容をすぐ忘れてしまったり
理解したつもりになっていて、正しく理解していなかったりと
読書の仕方に悩むようになってしまいました
趣味で哲学書を読んでいるようなものなので、そんなに
悩むこともないのですが、せっかく時間をかけて読んでいる
ので、自分の中に読んだ内容をきちんとインプットしたいのです

そこで同じ本を2度、3度と再読すべきか、理論的な内容を
ノートに書き綴っていくべきかで悩んでいます
何回か再読していくうちに、わからなかったところが理解できる
ようになる、という神話もありますし、サブノートのような
ものを作って、理論の流れを書き留めていけば、きちんと
論理構成を把握しながら読めていけるかな、とも思います

どちらも時間のかかる作業だと思います
もしかしたら何を目的として読んでいるのか、そういう
読書姿勢のようなものがしっかりしていないと、
どっちを実践しても血肉化できないのかとも思えます

同じようなことで悩んだことのある方、アドバイスを
頂ければと思います

A 回答 (11件中1~10件)

あなたがノートに書き綴った時点で、


筆者が言いたいこととかけ離れてしまいます。

Aという本を読み、自分なりに解釈した時点で
A'(ダッシュ)になります。
だから世の中には解説書なるものが存在するのです。

形而上学的に内在することです。
Aという本を書いた筆者に近づけば
Aという本の内容を永久に保てます。
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特別の目的がない限り、サブノートを作ることはお勧めしません


時間がものすごくかかり、書いたら安心して終わりです

趣味で読むのなら、二度三度と繰り返して読むほうがいいです
重要な所に線を引くなどで十分です

その哲学書の思想があなたの考え方の土台になるものなら
座右の書にして繰り返し読めばよいのです
忘れるのことは気にしなくていいです

ノートを取る必要があることは哲学書を読んでの
あなた自身の疑問や省察などです
覚書きとして簡単に書き残しましょう
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No.8の回答の補足です


認知科学のほうで記憶には4段階があるのがわかっており、
これにあわせて自分の求めるレベル・労力を決めると良いかと思います。

記憶の四段階

(1)ファミリア(familiar)
 どこかで覚えたことがあるという親近感(familiar)程度の漠然とした記憶
(2)リコグニション(recognition)
 きっかけがあれば見分ける(recognition)ことはできる程度の記憶
 →リコールレベルからどれくらいでリコグニションになるかを見極め、計画的に覚え直す
(3)リコール(recall):一般学習での目標レベル
 きっかけがなくとも自力で思い起こす(recall)ことができる記憶
(4)オートマティック(automatic):言語などの習熟のレベル
 自然と浮かんでくるレベルの記憶

1ならばななめ読み、2なら1回通読、3ならノート取って繰り返し精読、4なら3を継続という感じでしょうか。
音楽に例えると知ってる曲、サビを鼻歌で歌える、カラオケの持ち歌にして熱唱する、人に教えるレベルなど。
カントなど大哲学者の本の精読になると、バッハを演奏するように
ある程度腰を据える必要があるかと思います。。
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哲学書に限らないですが、最低限の読書ノートはつけたほうがいいですよ。

(ブログでも良い)
書名、著者名、最低3行くらいの感想と5段階評価など。
まず書くことによって自分の思考を外に出して客観視できます。

5段階評価で4以上なら再読、5ならノートを取って再読という感じにすると良いでしょう。

哲学書も玉石混淆なので、ダメ本に付き合わないで、良書と格闘するのが
コツだと思います。

読んでいて疑問に思ったところ、わからないところ、他の例を思いついたところなどを
チェックすると血肉化しやすいと思います。
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なんでも読むほうですが


とにかく哲学書は読みにくい
わかりにくい

しかし
おかしなことに
日本人が書いた哲学書は
読みやすいのに
(理解しやすいとは別の問題として)
外人が書いた翻訳の哲学書は
読みにくい

いかに
日本の翻訳者が
哲学書をわかりにくくしているのかが
わかりますね
(だいたい、翻訳者が理解していない場合に
面倒くさいので直訳にするとこうなる)

読書姿勢ですが
わたしは線を引きながら読み
読後、線を引いたところだけを
ノートに書き写しています

ひとにもよるでしょうが
わたしにはこの方法が
いちばん頭に入りやすく
記憶にも残りやすいように
思われます

10年前、20年前の本でも
再読することがあります

おどろくのは
自分の思想、考え方が
じつはこの本からだった、なんてことを
発見することがあるんですね

再読は
いろいろな発見があっておもしろいですね
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>どっちを実践しても血肉化できないのかとも思えます



 その通りです。目的が最重要なんですよ。
 一例としては、読書の為の読書なら読書が趣味ということですから、読書を楽しめば結構なわけです。

 私はこう思います。

 図書館の中だけでは豊かな人生は生まれない。ということ。

 読む人の経験が浅いと、いくら言葉を組み合わせても、深みがないからですね。

 「海」と言う言葉一つとっても、「海」は海ではなく、どんな海を見て、触れ、泳ぎ、潜り・・・という実体験が海なんですよね。図書館で海の専門家は出来ますが海の達人はできません。

 また、書籍というのは、理解したつもりになったところがその人の理解の限界なんですよね。
 正しい理解なんてのもあるようで無いんですね。執筆者の解説を聞いても、結局それも言語ですし。

 専門家になることが目的でなければ、図書館を出て、実経験を踏んだ方がよほど深みのある読書が出来ることになります。

 哲学書は、抽象概念のかたまりですから、その正しい理解と言うこと自体が、読み手の人生経験に大きく左右されます。


 
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指示命令はメモしながらとか、社会人の場合、そんな事を言われませんでしたか?


文字を記載する事で、考えを整理できるなど、理解の補助になる事は珍しくも何とも
ありません。それをしないで何度も読むのは、理解する事ではなく読む事そのものが
目的になってしまっている可能性があります。手段が目的化しているわけですね。

俺ならば、ノートでもレビューでも、とりあえず文字にする事を奨めます。
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作為は不要。


「私は著者には及ばない」と思えば、謙虚さを獲得し
謙虚さを獲得すれば、わかる部分とわからない部分が明確になり
わからない部分をこねくりまわし解釈することが減りわかる部分がよりわかる。
そして、わかる部分が深化することによりわからない部分もわかってきます。
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アドバイスというのもおこがましいのですが。



何しろ、量を読むことだと思います。
そんで、ポイントだけメモしておく。

哲学書って、ポイントが少ないように感じる
んですよね。
隙が無いように、反論に耐えるように書いてある
部分が多く、専門家以外にはどうでもよい部分が
大多数のように思えます。

何度も読むとか、ノートを造るてのは専門家
ないし、試験勉強をする学生には適当でしょうが
趣味道楽でやるにはどうでしょう。

それよりも、ポイントだけしっかり押さえ、後は
自分で考える、て方が有効じゃないでしょうか。

量を読んで、ポイントを押さえておいて、それを
自分の思考で繋げる。
そして、掲示板などで議論して鍛える。
そういう作用が大切だと思います。
そうでないと、ただの知識自慢になるだけです。
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私は読書というのは、初めて行く見知らぬ街を観光するための旅行案内書を読むようなものだと思っています。

読書(旅行)の目的が見聞を広めるために旅行に出るのか、自分の生活を豊かにしたいのかで変わってきます。、本そのものが旅行案内書ですから、メモをとるということは旅行案内書の抜粋を作るということだろうと思います。旅行から戻ってからの毎日が以前と変わったかどうかも大切だと思います。
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