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彼氏がいる、又は結婚相手いる女性のことです。

みんなに愛されたいという女性の心理を教えて下さい。
男友達と遊ぶ女性の心理を教えて下さい。
1人では(夫、彼氏)満足できない、女性の心理を教えて下さい。

私の考えを書きます。
1.幼少期、両親の愛が足りなかった。
2.男性不信であり、複数の男をキープする。(不信になった理由はやはり愛情不足である。)
3.つまりは愛で起こる歪は全て愛が原因であると考える。

そういう性格だから。とかそういう考え方は私にはできません。
全てのものには原因と傷があると考えます。

どうでしょうか?生まれたときからそういう性格なんだという考え方もあるんでしょうか?
やはり私は、愛で起こる歪は全て愛が原因であると考えます。

「愛されたくて吠えている」だけだとそう思います。そして本当に愛してくれる人と出合ったならば
みんなに愛されたいという考え、遊ぶ考え、は消えると思います。
どうでしょうか?

A 回答 (7件)

愛されることだけを求めてゆけば どこまでも虚しさがつきまとうようです。


限りなく愛されたいという願望は決して満たされることのないものです。
そう分かっていても 求めずにはいられないのも女性の心理かもしれません。
小さな愛の重味を知らなければ、飢えた心のままで彷徨う・・・のでしょう。
本当の愛とは、小さな愛です。
小さな愛に気付くことが幸せです。
その幸せが、与える愛を目覚めさせてくれます。
与える愛を目覚めさせてくれる人が、その人にとって本当の人なのでしょう。
出会えるといいですね。
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愛の意味を知らないでいると思います、何故なら『彼氏がいる、又は結婚相手いる女性』と言う意味は『本当に愛してくれる人と出合ったならば、みんなに愛されたいという考え、遊ぶ考え、は消えると思います。



この考え方に賛同出来るからです。ならば『本当に愛してくれる人ではない事を知りながら』彼氏がいる、又は結婚相手がいる事に疑問が湧きます。

本当に好きになれないと思える相手を『彼氏にして、結婚相手にしようとしている事自体で』この人の心は、嘘を付いて生きている事を意味します。

周りの皆を不幸にしようとしている彼女は、未だ『心が大人に成熟していないからだと思います。』

この意味は『自分の人生の責任を、自分が引き受けてゆく事の意味』が未だ分からないと言う意味において、未熟と表現しました。

自分の幸福を他人が運んでくれる、と言う勘違いしている点で、未だ結婚をして子供を育てる段階になっていないと感じます。

この人の非難をするつもりは在りません、只一人で生き抜く決心や、独り立ち出来ないままの、今は未だ結婚を考える事が、時期尚早と思えるだけです。

この意味は『自分の不幸も、幸福も全て自分に責任がある事』を分かっていないと言う意味です。
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 質問文が、質問の趣旨に的確とは思えませんが、云わんとする気持ちは何とか受け止められました。



 質問(疑問)は他者から見れば“愛情”に満足しても良い筈の人なのに、満ち足りていないような行動をとる女性について、だと思います。

 “みんなに愛されたい”という気持ちは誰にもありますが、“この人”と思える人に出会った女性は“みんなに愛されたい”という気持ちは薄らぐと思います。

 質問に取り上げられたタイプの女性は、“確かな愛”をまだ得ていないからでしょう。
 求め中、なのです。

 youreさんが考えているように本当に愛する人、愛してくれる人、に出会えば「遊ぶ考え」は消えると思います。
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全ての女性がそうである訳ではないですよね?


ご提起の内容を見ると女性の側に原因を求めよう
とされていますが、多くの女性が「1人の男性では
満足できない」という事はない以上、真っ先に指摘
すべきは「相手の男性が、女性を満足させるに足ら
ない」せいだと考えるのが普通でしょう。
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人に対してでもモノに対してでも、愛するということはその対象に関心を持つことです。

関心を持ち続けるためには、対象の中に常に新しいものを発見していく必要があります。愛するの反対語は憎むではなく、飽きるです。ところが、本当の関心というのは新しい関心を生みます。つまり飽きないのです。つまり本当にその人を愛するというのは、その人に飽きないということになりますが、その人が飽きてしまうことも考えられます。相思相愛というのはお互い飽きないということになります。こういう二人は常に相手の中に新しいものを発見しているから飽きないのだろうと思います。
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愛は利他であるとして、


愛の対立概念は「憎しみ」や「恐怖」ではなく、
他者を罰し自由を奪って利己の憎しみや恐怖を解放しようと望む「自由」であるのではないか?

愛と自由を曖昧に成立させることができたとしても、
絶対の愛も自由も求める魂を持った自分があったりする。
夢を見る余地のないほど音楽で表現できないかと故尾崎豊さんはずっと考えてた。

女性は育みの性であるため、自分の血肉を使って他を養うことができ、
言語能力と同じように潜在的に大人になれる能力があります。
自分に必要以上のものは争って奪ってまでしなくても済みます。

けど男性が愛を育める大人になるには群れる必要があって、
女性より自己の制限と適者生存の競争という罪の中で戦って奪ってこなきゃなりません。

女性側がまだ未熟で大人に成り切れてないと、現実に飽きて、
それが実に賢明であったり、成長したということだったりであるのですが、
自由を望んで、演じることの空しさに勝てなかったり、これは男性だってあるでしょう?

人間関係というものは演技であることに気付かないで
執着という愛とも自由とも別のものを代用して美化して大事にしていくこと。
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色んな仮説は立てられるけれど、究極的には本人に聞かないと動機はわからないと思います。

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