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クラシック、現代音楽の世界では、ポピュラーミュージックはどう思われているのでしょうか?
50年ぐらい(?)前の時代では当時のポピュラーミュージックを口ずさんでいただけでえらく叱られたという話を聞きました。
現代ではどうなんでしょう?
1.クラシック(現代音楽を含む)以外は音楽ではない
2.ポピュラーミュージックは音楽としては認めるが、芸術音楽は断じてない
3.ポピュラーミュージックの中にも芸術として認められるものはある。
4.クラシックだけを音楽的にずば抜けて優れたものとみなす見解は現代ではもうない
5.その他

A 回答 (5件)

他のクラッシック音楽ファンの方々と余り交流がある訳ではないので断定的なことは言えませんが、クラッシック音楽ファンには「1」から「4」まで、今でも、いるようです。

さすがに「1」は少なくなってきたように感じますが、口では「3」を表明するが心情的には「2」である、というような人は、かなりいそうです。

僕個人の感じ方は「4」です。ただ、ポピュラー音楽と、世間で言うところの「芸術音楽」の関係を単に時間の問題に置き換えるのは、単純化し過ぎであると思います。例えば、ビートルズはこれからも何十年も聴き継がれることでしょうが、だからといって、それが「芸術音楽」になるかというとそうではないでしょう。

ポピュラー音楽が「下」というわけでは、決してありません。ポピュラー音楽と芸術音楽がはっきりと線引きが出来るわけでもありません。境界はぼやっとしており、連続的です。だた、表現の方向性が少し違う、とは言ってもいいと思います。

単純化し過ぎなのを承知で極端に言えば、ポピュラー音楽は「俗っぽさ」を目指しています。「俗っぽさ」は、ここでは、けなし言葉ではありません。その俗っぽさのお蔭で、強く直接感情に訴えかける表現ができ易い。あるいは、俗っぽさを上手く活かした作品ができやすい、というようなことなのだと思います。その中にも、当然、名作も駄作もあります。

一方、(例えば)モーツァルトにもポピュラーっぽい表現があるにせよ、全体としての方向性は芸術音楽です。当時も、「大衆」のためには、当時のポピュラー音楽があったはずです。それが、ほとんど残っていない。(その当時は、ポピュラー音楽の経済基盤が弱かったせいでしょうか。)

現代のポピュラー音楽が、モーツァルトの時代のポピュラー音楽と違うのは、豊かな先進国では、ポピュラー音楽を支える「大衆」が経済力を持っているため、ポピュラー音楽がかつて無いほど盛んであり、そのため、才能のある音楽家や作曲家が、ポピュラー音楽にどんどん取り組むようになっていることでしょう。(良いことですね!) 例えば、他の回答者が挙げられた作曲家に加え、坂本龍一さんや菅野よう子さんを挙げたいと思います。「俗っぽさ」を高度に駆使できる作曲家さんたちです。

あと、経済力が上がったのに加え、CD やインターネットのお蔭で、音楽自体がにかかる費用が安くなったので、モーツァルトの時代では音楽に触れることができなかった人々まで、音楽に触れることが出来るようになったというのも、ポピュラー音楽の隆盛に効いていると思います。

最後に、なぜ、ポピュラー音楽を「下」と見做す人々がたくさんいるかというと、安易な駄作が大量に生産されていることと、「高度な」聴き手の割合が低いこと(だから、安易な駄作が大量に供給される)のせいだと思います。そのため、平均してしまうと、やはり、ポピュラー音楽のレベルは低い。ただ、良い物だけを取り出せば、芸術音楽に比べて下だという訳ではない、と言えると思います。
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5ではないですか?


つまり、人によります。 その人がより柔軟であるか、という表現が
いいかもしれません。

確か、葉加瀬 太郎氏だったと思いますが、ずっと1、つまり 「クラ
シック意外は音楽ではない」のように思っていたのに、ある時
有名なロックミュジシャン(海外)の演奏を聴いたら、すっかり魅了
されたそうです。
フジコ・へミング氏にしても、あるTVバラエティー番組で「クラシック界の
人はけっこう冷たい人が多い。」 また、(某ポップス歌手の演奏に対
して)「心があるわね」 のようなことを発言していました。

高校時代、有名音大卒の声楽家から声楽を少し習っていましたが、
「”私たち”は音楽を聴くときは常に声帯も反応してるの。 だから
ポップスなんか聴くと、喉が痛くなっちゃうの」なんて言っていて、
”なんか嫌な人だな”と感じました。(笑)  
なんとなく日本人に多い気がしますが。。

海外でジャズピアニストについて学んでいますが、年一回ナショナル
シアターで行われる師のライブで、ある時席が隣になった年配の女性と
雑談し、日本の話をしたり楽しくライブが聴けました。
後に、その方がクラシックのピアニストと判ったのですが、そういう方は
人間の幅を感じます。
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「4」だと思います。



「クラシックは不変性があり、後世に残る音楽。一方でポピュラーは一時的には爆発的に人気があるが、所詮は一時的な流行音楽で、永く聴き継がれるものではない。」と言う意識を持っている人はまだ多いと思います。

ただ、いわゆるポピュラー音楽もそれなりの歴史を刻むようになって、クラシックのように聴き継がれる曲も多くなってきているので、もはや、ポピュラーミュージックを「音楽として格下」とみなす人はさすがに少数派になってきているように思います。

バーンスタインはビートルズを高く評価していて、「ビートルズは今世紀最大の作曲家であり、今世紀以外でも、少なくともシューベルトやシューマンよりは上だ。」と言う語録を残しています。当時は結構な批判を浴びましたが、ビートルズの音楽が、彼らの活動していた時期から50年近くたって、いまだに世界中で聴かれている(ロンドンオリンピックもそうでした)ことを考えると、さすがはバーンスタインで、その慧眼を認めざるを得ません。

また、下にも書かれているように、特に映画音楽についてはクラシックとのクロスオーバーが激しく、どちらの作曲家と分類できないケースも増えています。ショスタコーヴィチはさすがに映画音楽作家とは紹介されないでしょうが、例えばキラールなどはその創作数から言っても映画音楽が本業だと思いますけど、同時に、押しも押されもせぬ現代クラシック音楽の第一人者です。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%B4%E3%82%A9% …

「スター・ウォーズ」を作曲したジョン・ウイリアムスも、クラシック界からレスペクトされており、ボストンポップスオーケストラの名誉指揮者になっています。

「ゴッドファーザー」や「ロミオとジュリエット」をはじめとして多くの映画音楽賞を受賞したニーノ・ロータもクラシックとの二刀流です。(本人は「自分は本来クラシック音楽の作曲家であって、映画音楽は余業にすぎない。」と常日頃言っていたようです。)
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 別に専門的ではない、ただの音楽愛好家ですので、「クラシックの世界」の人間ではありませんが、選択肢の中でいえば「4」かと思います。



 「クラシック音楽」だって、作曲当時は現代音楽、流行音楽だったわけで、ゲーテは同時代のベートーベンの「運命」交響曲を聴いて、「みんなが一斉にあんな音を同時に演奏したらどうなってしまうのだ、建物が壊れてしまうではないか」と動転したといいますし、自作の詩に曲を付けたシューベルトの歌曲もあまり評価しなかったそうです。
 また、20世紀前半の無調や新即物主義の若手作曲家は「恐るべき子供たち」(アンファン・テリブル)と呼ばれて保守的な批評家からは嫌われたようです。

 つまり、現代では「クラシック」と呼ばれているものも、当時はその新しさが理解されなかったわけです。逆に、当時すんなりと受け入れられた保守的な音楽は、時代に淘汰されて現代に残っているものは少ないのではないでしょうか。

 今では、「クラシック」というと19世紀の音楽を「古典芸能保存」のように演奏してるように見えますが、現在進行形で新しい曲も作られています。ただ、商業的には「古典芸能」の方がもうかるので、なかなか日が当たりません。
 かのフルトヴェングラーもシェーンベルクやヒンデミットの新作の初演を手掛けましたし、ブルーノ・ワルターはショスタコーヴィチの交響曲第1番を西側初演し、トスカニーニはレスピーギの「ローマ三部作」の初演やショスタコーヴィチの「レニングラード交響曲」のアメリカ初演を行いました。
 「クラシック音楽」も、本来は「現代を生きている」ものなのだと思います。そうでなくなったのは、レコードやCDが普及して「過去のものをありがたがって聴く」という聴き方が主体となってからのことではないでしょうか。

 「クラシック音楽」という呼び名が付いたのは、20世紀初頭のレコードやラジオで「生演奏でない音楽」を聴くようになってからと聞いたことがあります。王国・帝国が消滅して民族自決で次々に共和国が誕生し、ロシア革命が起こり、一般大衆が社会の中心となって、ジャズやダンス音楽、ポピュラー音楽が盛んになってきたころ。音楽が大衆化によって多様化したため、その中のジャンルとして19世紀までの音楽が「クラシック」と呼ばれるようになった、ということだと思います。
 ただ、ヨーロッパには旧来の「階級意識」があるもの事実で、19世紀音楽の担い手は「中産階級」、20世紀に生まれたポピュラー音楽の担い手はプロレタリア(労働者)を含む一般庶民・その発祥地はアメリカ(ヨーロッパから見れば新参者)、という意識はあると思います。日本のクラシック音楽界はドイツ・オーストリア偏重ですから、特にクラシック関係者の中ではそういったヨーロッパ・ドイツの価値観が色濃いことは事実だと思います。

 私個人的には、クラシック音楽の現在的価値は20世紀初頭で途切れ、それ以降は「古典芸能保存」中心でしか生き残れず、そのときどきの現在的価値(俗にいえば流行)はポピュラー音楽が中心だった、というのが事実だと思います。
 20世紀前半のクラシック音楽界では、新しいジャズなどの要素を取り込もうという動きもありましたが(ラヴェルのピアノ協奏曲やミヨー「屋根の上の牛」「世界の創造」、ショスタコーヴィチ「ジャズ組曲」など)、大きな支持は得られなかったようです。
 19世紀にクラシック音楽の王座を占めていた「オペラ」も、20世紀初頭以降新作はほとんど作られず、作曲家の意欲は「映画音楽」に移って行った、ということだと思います。20世紀の主だった作曲家は、ほとんどが映画やテレビ番組の音楽も担当しています(ショスタコーヴィチ、プロコフィエフ、イベール、ウォルトン、黛敏郎、武満徹など)。

 私が「4」を支持するのは、クラシック音楽とポピュラー音楽とを同じ土俵で比較するのではなく、「古い音楽の保存」と「その時々の最新の音楽」の両面で見る視点が必要だから、ということです。
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ご質問の「50年くらい(?)前の時代では・・・」を拝見して、私の高校時代の音楽の先生を思い出しました。


先生は流行歌ぎらいで、「悪い音楽だ。こういう音楽を聞くと音楽への感性が悪くなるから聞かないように」とおっしゃっていました。

過去にはそういった人もいましたが、今ではそういった片寄った人はクラシックの世界にもほとんどおられないのでは無いでしょうか?

私自身は、その先生のお陰かどうか、今では大のクラシックファンですが、
「現代では」のご質問に対しては、3支持、いや4でも良いか、と思います。
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