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自分がひどいことをされた時に、相手許すことで自分にはどんなメリットがありますか。

A 回答 (8件)

なぜ許したほうがいいかといえば、自分も許してもらうためです。


なぜ他人を批判したり裁いたりしないほうがいいかといえば、
自分も裁かれず、批判されないためです。
なぜ人のものを盗んだり、人を傷つけたりしないほうがいいかといえば、
自分も盗まれず、傷つけられないためです。
なぜならこの世界、この宇宙は、
「自分の与えたものが自分に戻ってくる」宇宙の法則に支配されているからです。
ですからいかなる状況にあろうとも、
その中で自分が選択する自らの行為がどのようなものかは非常に重要です。
そこで問われているのは、相手がどうかということではなく、
私はそれに対してどう考え、どうするか、ということなのです。
そこで私には「どこまで許せるか」ということが問われているのであり、
それが私の霊的成長の達したレベルなのです。
そしてたとえ命を奪われようとも、相手を許すことができる境地に達するとき、
私は物質的3次元の地球レベルを卒業します。
そして再び、このテーマをクリアするために地球に転生する必要がありません。
許せないとき、そこに自分がクリアしなければならないテーマがあります。
許せないとき、許せない相手と同じレベルにいるのです。
他人を批判し、裁き、嘘偽りを言うとき、私はそのレベルにいるのです。
人の不幸を見て喜ぶとき、私はまだそのようなレベルの人間なのです。
問われているのは、私はどうなのか、ということです。
私の周りに起きてくる出来事は、私を反映しています。
ひどいことをあなたにする人は、実はあなたを写し出しているに過ぎません。
私たちがなかなか他人からされたことを許せないのは、
そこに不公平感を感じるからです。
「自分は何もしていないのになぜ?」「なぜこういう目に?」と思います。
そこに感じているのは一つのアンバランスであり、
バランスをとろうとするとき、ある人は仕返しをしたり、言い返したりします。
そのバランスの一つが、相手を憎み、決して許さないと思うことです。
しかしこのバランスは間違ったバランスであり、
多くの人たちがその結果、心を病み、精神を病んでしまいます。
しかし実際には、子供が投げるその石の一つにさえ理由があるのです。
私たちはその出来事のほとんどの理由を知りません。
それは私たちが
輪廻転生を繰り返すものであることを知らないことに行き着きます。
先に述べましたが、宇宙の法則の一つに、
「自分の与えるものが自分の受け取るもの」というのがあります。
つまり私たちは、自分が与えたものを受け取っているのです。
この法則は、実は非常に冷酷な厳しい顔を持つものです。
それが理解されるようになると、
私たちは初めて自分というものに気づき、他人というものに気づき、
物事の真の意味に気がつくようになります。
そして
「自分が受け取りたくないものは、決して与えない」と望むようになり、
それがつまり、
「自分がして欲しいように人にもする」ということであると気がつくのです。
なぜなら私たちは、「他人を自分自身のように愛する」という、
この法則による命題を、一人一人が抱えているものだからです。
この言葉を多くの人は聖書などで知っていると思いますが、
それはキリストがその法則を知っていたということであって、
本来、宇宙の法則はいかなる宗教にも属するものではありません。
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この回答へのお礼

知りたかったことを知ることができた気がします。

お礼日時:2012/09/25 09:31

>河野義行さんが、「加害者に対して憎しみを持ち続けているより、残りの人生楽しく生きたい」



 これは希望です。その通りでしょうし、過去の事件について心情としてその憎しみが消えることはあるでしょう。とはいえ、河野さんが心情として加害者を許したかどうかは、河野さんにしか知りえないのです。ご質問のメリットは自分の憎しみが消えることですが、コントロールできるものではないということです。

 また、加害者がサリンを再び撒くようであれば絶対に阻止しなければなりません。
 サリンを撒いたことを許すことは出来ないのです。

>自分がひどいことをされた時に、相手許すことで自分にはどんなメリットがありますか。

 相手を完全に許すと、再びひどいことをされてしまうという大きなデメリットが生まれてしまうのです。

 寛容であることを否定しているのではありません。寛容とは、人間として寛容であることが醸成されるのであって、無理に寛容な態度をとることではないのです。
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この回答へのお礼

そうんですね、その行為は許されない。
この場合の「許す」とは「許可」のことですか。

許さないとと憎しみの関係はどうなんでしょうか。


>河野さんが心情として加害者を許したかどうかは、

難しいですね。「心情として許す」という意味を考えれば考えるほど分からなくなってきました。

許すって、心情なんでしょうか。理性なんでしょうか。心情と理性って対義語なんでしょうか。

考えてみます。2度もありがとうございました。

お礼日時:2012/09/24 15:54

選択肢が2つある場合は、選ぶとき実利も気になりますよね。


選択肢として、「許さない」と「許す」についてみて行きましょう。


許さない場合
気持ちの中にわだかまりが残る→思いだしては、イライラしたり腹立たしくなる
→同じようなことをする人がいると、その人も許せなくなる
→許せない人は増え続け、イライラや腹立たしさも増え続ける
→気分がよくない時間が増える→気持ちや考えがそこに集中しやすくなる
→イライラする時間を増やしていく→楽しいことややりたい事に使う時間が減る

実質的な時間をそれに割かれますよね。
それにともなって

イライラが増えると、細かいことまで気になりだし人に注意したくなる
自分が小さい人間だと思えてくる
自分を見下し始める
自分に情けなさを感じてしまう
自分が同じことをやってしまうと、自分を責める
自分も人に許されないことをやっているのではと、人の顔色を見るようになる
人に指摘されると、辛くなっていい訳をはじめてしまう
段々と小心者になっていき、チャレンジができなくなってくる
人に嫌われないように生きることを選択し始める
最後は投げやりになって、人に嫌われてもいいと自暴自棄が始まる

などなど、自分の中で発展して行き、それが自己形成となっていく。
そんな要素を含んでいるのが「許さない」だと思います。
本当はもっとあるけど、このくらいで。


許す場合
許すは、その出来事に自分の中で終止符を打つことになるから
嫌な気持ちを自分の中に残さず、イライラや腹立たしい時間として浪費しない。

許していれば自己の中が健全でいられるので、気分良く仕事や勉学に集中できる。
いつも笑顔でいられる
自己評価が高くなる
常に前を向いて、進んで行くことができる


そんな自身の内情とは別に

許せる人は、尊敬されやすい
人に好かれる
懐が広い
周りの人が笑顔でいられる
頼りにされる
下に慕われる
信用が厚い

などなど、他からの評価も高くなりやすいと思います。


ただ人の心は、メリットだけで許す・許さないを決められるものではなく
「許せる」に至る経緯があります。

しかし、メリットがあれば「許せる人間を目指してみよう」と思うのも事実です。


質問者様のおっしゃる「ひどいこと」は、単に許してしまうだけでいいのかは存じません。

しかし、私が思うひどいことをされて相手を許したこともあり
私がやってしまったひどいことを許してくれた人もいます。
それで、私自身が随分救われました。

結果として、許したことへのメリットもあり、許されたことに対しての自身が頑張ることも出ました。
それで分かったのは、罪を憎んで人を憎まず。

ひどいことに対して報復はしないけど、何らかの賠償など必要が出る場合もありますよね。

それと別に許すか許さないかは、自身の生き方が変わる元になるかもしれないと思います。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
回答者様のように、自分も許されてきたのだと思える人もいます。

>許せる人は、尊敬されやすい
>人に好かれる
>懐が広い
>周りの人が笑顔でいられる
>頼りにされる
>下に慕われる
>信用が厚い

これらはみな、許すという行為が自分以外の人に認識された場合ですよね。
誰にも分からない場合はどうなんでしょうね。

お礼日時:2012/09/24 15:44

形の上で許すことは出来るでしょう。

そのメリットはケースバイケース。

人間は、気持の問題として許すことなど出来ないのですよ。逆上しているときに理詰めで許すことはないのです。

逆です。

気持の上では、怒ってはいるけど許してもいいかなと思いはじめてその揺れ動きから、形の上でゆるすかどうかを言葉を探しているにすぎません。

怒るにしろ許すにしろ言葉にして理由を探っているだけ。
怒りの根本に向き合ってみれば解ります。

親を殺され、妻を殺され、娘に銃口を向けられているとき、相手を許すメリットなどありはしません。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

分かります。

>親を殺され、妻を殺され、娘に銃口を向けられているとき、相手を許すメリットなどありはしません

ここでふと思い出したのですが、松本サリン事件の被害者の河野義行さんが、「加害者に対して憎しみを持ち続けているより、残りの人生楽しく生きたい」というようなことをおっしゃっていましたが、その心情は許すとはまた別なのかな・・・。

お礼日時:2012/09/23 16:26

もう少し客観的に考えましょう。

 質問者が許すか許さないかで、事態は変化しますか?
何も変わらないかと思います。事態を変化させるには、相手を変える影響力を持つか、
自分自身が過去の過ちを繰り返さないように成長するかのどちらかしかありません。

変えられない過去に対してこだわりを持つのは効率が悪い。不毛な事に執着していては
自分自身の成長が全くないであろう。韓国という国家の在り方と全く同じなのです。
したがって過去の結果としての現在より、未来の原因である現在を重視する方が
質問者自身にとっても建設的ではなかろうか。

他人を変えられないならば、自分が変わる(成長する)しかない。
許す許さないというのとは少し違うが、こだわっているだけ無駄ではなかろうか。

結局、相手ではなくて、質問者の主体的な姿勢が重要です。
相手を許すから、自分はどうしていくか。許さないからどうするか。
臥薪嘗胆という言葉の意味を調べてみてください。それが無難ではなかろうか。
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この回答へのお礼

>他人を変えられないならば、自分が変わる(成長する)しかない。
許す許さないというのとは少し違うが、こだわっているだけ無駄ではなかろうか

本当にそうですね。

まずは、自分は不毛なことに執着しているな、と気づくことができればいいんですけどね。

お礼日時:2012/09/23 16:29

その相手に対して怒りや憎しみを持っている場合、人の心はネガティブな感情に支配されています。

許す事によってそれから解き放され、自分自身の心が軽く自由になる、という事ではないでしょうか。
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この回答へのお礼

そうですね。そうすると次は、許すことと許さないこと、どちらがよりエネルギーを使うのかな、
許すことは忘れることだろうか、などと考えてしまいます。

>自分自身の心が軽く自由になる

結局は執着しないってことなんでしょうかね・・・

お礼日時:2012/09/23 13:09

こんにちは。



その、されたひどいことの度合いにはよると思いますけど…。

例えば、自分が人生というマラソンを走っていたとして、周りの観客が石を投げたり、足を引っかけたり、そんな障害を与えてきたとしましょうか。

そのときの自分の対応の仕方によって、自分にメリットがあるかということですよね?

その障害を与えた人に対して何らかの復讐行為を行った場合、その時点で人生マラソンが”失格”になるかも知れません。
先制攻撃をされたという理由を考慮しても。

その相手を許す、というか気にせず前に進んだ場合、障害による若干の痛みは残るでしょうけれど、上記にあるような”失格”という人生のブレを経験せずにいられるような気がします。

特別なメリット(プラス)はないかも知れませんが、余計なデメリット(マイナス)を自分の中に入れずに済むというのが、メリットと考えれば…。

難しいですね。
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この回答へのお礼

分かりやすかったです。ありがとうございました。
色々な状況に広げて考える事ができました。

お礼日時:2012/09/23 13:18

自分への直接のメリットなんか考えていたのでは、人を許すことなどできませんね。



情けは人のためならず、といいますね。これは、情けをかけてやることは、その人のためにはならない、という意味ではなく、他人へ奉仕することは、めぐりめぐって、自分のためになる、ということです。利益、メリットというとそれまでですが、心が豊かになる、人間的に大きくなる、などの抽象的なもです。僕は、「自己満足」と呼んでいますがね。これは、自分だけが満足していても仕方がない、というものではなく、何回も「自己満足」を重ねることにより、より自分が磨かれるというものです。

相手を許す、ということにも、同じようなことがいえるんじゃないでしょうかね。イエス・キリストの教えなど知る由もありませんが。
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この回答へのお礼

興味深いお話ありがとうございました。
「自己満足」というのは、相手がどう思うかというより、その行為を行った自分がどうかという目線でみることである、ということですよね。

お礼日時:2012/09/23 12:55

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