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私の趣味は室内でできてしまうものが多いですが(例えば読書やパン焼きや編み物など)、職場の子からは人に会わない趣味は自分が全く成長しないし世界も広がらないし、より良く幸せになる為にはたくさんの人と身体を動かす趣味を持つ事だそうです。

私は人に会うのは嫌いじゃないし、外で遊ぶのだって好きです。

好きな物は好き!!!って信念が揺らいでモヤモヤします。
やはり年をとるにつれ趣味も広げてって、たくさんの人に会うべきなのでしょうか?

皆様はどう思われますか?

A 回答 (8件)

趣味が何であるかということは、人間を介そうが介すまいが、さしたる問題ではないと思います。


むしろ、幸せのために人間関係を広げたり、人間関係を広げるために趣味も選別するような場合、一見もっともらしく見えますが、本末転倒な狭い価値観に囚われることになり、かえって幸せからは遠のきます。
趣味がどういうものであろうと、趣味を大切にできる人は、人間も大切にできるはずです。
言葉を変えれば、趣味を愛せる人は、人間も愛せるということになります。
人は愛のあるところに自然に集まります。
マニュアル本を読んで知的理解から人間関係を広げよう広げようと努力する人よりも、ずっと効果的です。それだけ愛は力を秘めているわけです。
人間を愛するには、愛する土台が形成されてなければなりません。
愛する土台を培うには、人間以前に存在する物や動植物あるいは、鉱物や天体などの人間以外の対象に対する態度や心が問われるのです。
物ひとつを大切にできない人が人間なら大切にできるなどということはありません。
「小事に忠実な者は大事にも忠実な者である」といいますが、まさにその通りなのです。
小さな物をどう扱うかを見れば、その人がどういう人かは他の大きな行動を見なくとも判別できてしまうのです。
小を軽んずる者が、大なら重んずるというようなことはありません。 一事が万事なのです。
あなたが小さな趣味を愛する人であることが伝わってきました。
よって、あなたが人間関係などに特に心を向けなくとも、十分幸せになることも心に伝わってきますよ。
趣味という小世界をだいじにできるあなたなら、それよりもっと大きな世界、人間という尊厳ある世界をだいじにできないはずはありません。
そんな小世界を軽んじないあなたの愛に人は引き寄せられるのです。
今まで通り、いや今まで以上に趣味を大切にして下さい。それが人を愛する土台になるからです。
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回答者NO1の方とほぼ同じですが



趣味にたいしての考え方がいろいろあると思います。

人の輪を広げて行く趣味にたいして、個人的に奥深く

とことん追究してゆく趣味などどちらも本人はまちがいなく

幸せを感じているはずです。それが趣味というものでは

ないのでしょうか。

ただ、個人的な趣味を深く追求ししていくうちに他の人の

やりかたが気になってくるかもしれません。そこで同じ趣味の人

との交流がはじまって、さらに成長をしていくということが

考えられます。そのようになってくれば更に楽しく趣味を生かして

行くことが出来るのではないかと思いますが。
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趣味に対する価値観は人それぞれで、こうあるべき、というのは無いですよ。



そもそも自分個人の楽しみでやっている趣味に他人さまの「べき論」を
持ちこむ事は無意味だし、相手にそれをするのも失礼というものです。

好きなものは好きというので大いに結構じゃないですか。

反対に、人と交流しないと出来ない趣味ばかりでは疲れないですかね?
趣味自体の事ではなく、誰かとの人間関係が少し上手く行かなかったりして
それが原因でその趣味までつまらなくなってしまったら、、、。

人と交流する趣味もあって良いけど、独りで楽しめる趣味も持つというのが
ベストかもしれませんね。
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そんなことはないでしょ・・・。

読書やパン焼きや編み物、いい趣味ですよね。人に会うのも外で遊ぶのも好きで、偏っているわけでもない。読書や料理や創作で広がる世界もあるし、部屋でひとりでする趣味にも、人を成長させる要素はいっぱいあります。

趣味は好きなことを追求することで、義務じゃない。好きなものだから夢中になれるし、喜びや感動や、時に快楽も味わえるんだし、好きじゃない人にはできない力も出せて、想定外のスゴイことができちゃったりもするんですよね。

ついでに言えば、もともとは興味がなかったけど、人に勧められてやってみた趣味で、人生が好転するってことだってあるでしょうから、こうでなきゃいけないなんて決めつけないで、やってみようかなと思ったら、やってみることですよね。
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残念ながらその職場の子は、他人の趣味を理解しないタイプ、あまつさえ、人の趣味に口まで出すタイプなので、


その子の言うたくさんの人と身体を動かす趣味の世界と、相談者さんの想定する外の世界は全く違うものです。なにも参考にならない。

彼女のいう趣味は、特別目標を持たず、同じ事をみんなで楽しめればいい、相手を深く知ろうとしない、広く浅い付き合いの趣味。
相談者さんの趣味は、自己研鑚型の趣味なので、相手を尊重し他人の趣味に口を出してはならない、狭く深い付き合いの趣味。
大学のコンパサークルと、図書委員会や手芸部の違い。
好きな対象が、人で繋がるかモノで繋がるかの違いがあり、趣味が自分の信じる宗派なので、
間違って飛び込むと空気が全くあわないどころか、無意識に否定しますので、より良く幸せになるより、自分が惨めになります。
彼女の説明、宗教勧誘と全く同じでしょ?自分の信じる趣味以外、ダメで邪悪な趣味で地獄に落ちるのです。実際問題、趣味サークルが宗教勧誘や悪徳商法の勧誘に利用されることも多いですし。

人に会わない趣味も成長しない趣味も世界が広がらない趣味なんてないのです。他人から肯定をしてもらっての趣味という個性なので。
相談者さんに必要なのは、学生時代の部室のようなサロンです。
自分の都合のいいときにいつでも開いていて、いつも誰かが集まっていて、自分の趣味の話題についてこれる教養が相手にあり、知人が知人を紹介して交際関係が広まる、自分達の趣味を否定する邪魔者がいない場所。
あんまり日本にはないんですけど、カフェとか小さい酒場が、そういうサロンになっていることがよくあります。ネットだとオフ会ですね。

沢山の趣味を持つよりも、だんだん人が集まってくる話題のある趣味を探したほうがいいかと思います。人付き合いって結構疲れますし、既成の大所帯に馴染むのは大変ですから。
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どんな趣味でも極めようと思えば世界も広がるし、成長もすると思いますよ。


それに質問者様は「人に会うのは嫌いじゃないし、外で遊ぶのだって好き」とのことですから、趣味に没頭するあまり一人で室内にこもりっきりになっているわけでもないですよね。
誘われれば外で体を動かす趣味にもつきあうけど、空いた時間に一人で何しているかと言われたら自分の趣味のことをしてる。そんな感じでいいのではないでしょうか。

私も、趣味を聞かれたら、読書・映画鑑賞くらいしか答えられません。
だからと言って、休みに常に自室にこもっているわけではないですし、誘われればアウトドアなこともします。←スポーツは、運動神経がかなり鈍いので基本的には遠慮しますが;
他にもコンサートに行ったり、観劇に行ったり、スポーツ観戦に行ったり、ちょっとした旅行をしたりしてますが、それを「趣味」と言わないのは、自分的に頻度が低い、と思っているからです。
個人的な感覚として、年に数回楽しむ程度のものを趣味と言ってしまっていいのかな?と思ってしまうわけです。せめて月一回はやらないと、趣味とは言えないのでは?みたいな・・・。
質問者様も、そんな感覚ではないですか?

職場の人にとっては、年に数回程度しかやらなくても好きなことだったら「趣味」と定義しているのかもしれません。「頻度」ではなく、「好き」かどうかを重要視してるのではないかと。
その感覚で言えば、外で遊ぶのも好きな質問者様は、充分、多趣味なんじゃないでしょうか?
例えば、友達とランチするのが趣味、とか、会社帰りにウィンドウショッピングするのが趣味、とかでもいいわけですから。

行動範囲を広げていくというのは大切なことだと思いますが、広げた範囲を趣味として確立しなくてはいけないわけではないと思いますよ。
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刺激が無いから と言う事かも… その人の性格によると思います。

気にせず言わせておきましょう。スポーツジムに通ってましたが自分が成長した実感はありません。
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自分に合わないことを無理にしたって自滅するだけです。


その子は室内でできることに興味も持たないし、理解もできないんじゃないでしょうか。
そもそも幸せとは?
他人のものさしで決めることじゃない。
あなたが幸せを感じていればそれは幸せなのです。

ただあえて言えば読書は自然の中や屋外でするのも気持ち良いし、パン焼きや編み物は仲間を見つけ数人で楽しくわいわいできるし情報交換もできます。
そういう意味では外に出ないのはあくまで傾向であって可能性はありますよ。
アドバイスが的を外れてるね、っていうのは同じことですけど。
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