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私は何者か?今まで、自問自答してきました。ある自己啓発書に感化され、なりたいものを創造しイメージし計画を立てるという方法を試してみましたが、状況は、なぜか悪化するばかりでした。考えてみると、そもそも目標を持ったために状況は悪化するという現実が生まれました。ふとしたことから、ニーチェを読み、求めていた解答のヒントがありました。より深く哲学について、今、ここで生きている人と語りたいです。イメージとは怖いものです。それ以外の物事を否定して流してしまうものですから。しかし、なりたい夢を叶えたいという感情とその夢にとらわれずに他の可能性も考えよという感情が、ぶつかりあっています。私は、どちらを選択すればいいのでしょうか。私は何者か?今は、どちらも選べない者であるということが正しい表現なのでしょうか?分からない。分からない。

A 回答 (14件中1~10件)

同じように悩んでいます。


就職活動という人生を左右する時期で、この企業に自分を託してよいものかどうか、考え込んでしまう。
「自己啓発書」に頼るのはどうかと思いました。あれに書かれているものは「自己啓発書」の「自己」(著者の自己とも言えるかもしれません)であって、ryoumimanさんの自己にはなりえないからです。
ではどうやって自分が何者かがわかるか。
他者と触れ合ってみることですね。異質なものと触れ合うことで、自分の境界線がわかると思います。自分はこうではない、という否定の連続が、なんらかのヒントになると思います。
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この回答へのお礼

自分を知るには、他者を知らないと何も生まれない。本当にそうですね。ありがとう。がんばってみます。

お礼日時:2001/05/23 03:37

ぜ~んぶひっくるめてあなたでしょ?何者か?絵本作家?一般人?プ-太郎?自分を称する名称ひとつであなた自身を語ることはできないし、あなた自身を何かひとつの枠に囲うこともできないのでは?何かひとつを選択したとしたら、もう他のことはできくなる・・・・そうなのかなぁ~?形をかえてかかわりあうこともできるんじゃないかなぁ~?その形にとらわれてしまうと、できない!と思えてしまうかもしれない。

そうすると、前にも後ろにも進めなくなったり・・・・そんなときは、慌てて動き出すこともない。いま、このとき、たぁ~くさん自分探しをすればいい。考え悩む時間を持つことも大事だと思うから・・・また、気づかなかった自分に出会えるかもしれないよ。
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この回答へのお礼

全部ひっくるめて私。そうですよね。今まで、自分はこうでなくちゃいけないという固定観念がありました。脱出します。生まれ変わります。ありがとう。

お礼日時:2001/05/23 03:39

たとえばこんな状況。

あなた以外に誰も居ない世界で、あなたは茫漠とした大地にたったひとりで佇んでいる。生まれたときから、そうだった。(なんてありえない話ですが)

そのとき、あなたは「わたし」という言葉を、お使いになるでしょうか? いえ、それ以前に、言葉すらお使いにならないでしょう。つまり、「わたし」というのは、他者との関係の中にしか現われないものなのです。

だから、Aさんに対する「わたし」とBさんに対する「わたし」は、ときどきまったく別の「わたし」です。一つの肉体の中に、複数の「わたし」が居るのだと思います。それぞれが、それぞれの物語を生きている。自分の人生を単線で考えるのは、時に窒息したりして危険じゃないかと思います。

いまの自分の中にある自分像は未来に対して同等の権利を持って自分の中に存在しています。意識化されていない自分像でさえもそうです。自分の中にうごめく複数の「わたし」たちを見つめながら、もっとざっくりと自分を規定するのもいいかなと思います。littlekissさんがおっしゃるように「ぜ~んぶひっくるめて」。
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この回答へのお礼

自分は、細かく考え過ぎでした。人は、いろいろな顔を持っている生き物なんだよね。ありがとう。

お礼日時:2001/05/23 03:42

まず、その考え方にはアプリオリに「私は何者かである」と言える


ということが前提となっていますね。そもそも、私というものが
固定的に定まっていると。

大抵の自己啓発ものはビジネス書であり、つまりビジネスの世界
での成功を目指すものです。絵本作家で年収何千万になりました、
で終わりです。どんな低劣な作品を書いていても、収入さえあれば
「私はこの方法で作家になりました!」と胸を張ってしまう世界
です。あなたがそうなりたいならそれを目指すのもいいでしょう。

「本当のあなたはもっとすばらしい」自己啓発ものや女性への
口説き文句や宗教の勧誘での常套句ですが、どうすばらしいかと
いうと、ビジネス的成功者や口説いている自分にとって都合がいい
女かより金銭的にハマってくれる信者になれる、ということです。

しかし、人間はそんなに簡単なものではありません。例えば
子供であり母であり妻である女性はそのすべてが自分ですし、
むしろ母であること妻であることそれらひとつひとつの複合体である
ことこそが自分への条件です。誰ひとりとしてあなたの名前を
呼ばない世界ではあなたは何者でもありません。

そして、あなたが呼ばれる名前は大抵あなたの期待と異なるもの
ですが、それは人間としては誰しも感じることです。

「本来の自分」などという、あなたにとってだけ都合のいいモノは
ありません。あるのは常に何かを選択している自分です。選択に
より絶え間無く変わっていくのが自分です。そうして未来の自分に
賭けていく自分です。選択の失敗を嘆く必要も無く自慢する必要も
ありません。そのときそう選択したのがほかならぬ自分であり、
そうだからこそ、自分なのですから。
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この回答へのお礼

虚しさの原因が、わかりました。ビジネスとしてやりたいのではなく、自分がそうなりたいから努力しているのだと気がつきました。一瞬一瞬が、選択のときですよね。ありがとう。

お礼日時:2001/05/23 03:47

>私は何者か?



人に限らず一切の存在に意味はありません。その答えが必要なら、
自分で決めればよいのです。

>なりたい夢を叶えたいという感情と
>その夢にとらわれずに他の可能性も考えよという感情が、
>ぶつかりあっています。
>私は、どちらを選択すればいいのでしょうか。

現在の自分の能力、持ってる物、得られる物の範囲で他の可能性を探るのが、
一番安楽で無難です。(殊に精神的に)謂わゆる「少欲知足」です。

しかし、なりたい夢に関し、静かに自問自答して、本当になんとしても、
なりたいのであれば、「制約」を課してそれに向かって進むのもよいでしょう。
「制約」とは、使う予算や、期限を切るとかして、それでダメであれば、
すっぱり諦めるという、「覚悟」をするのです。
諦める覚悟もまた大きな覚悟です。けっして恥ずかしいことではありません。
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この回答へのお礼

自分に欠けていたものは、覚悟でした。実際、今まで、「大欲遅足」でした。地道にやっていきます。ありがとう。

お礼日時:2001/05/23 03:52

「他」がない世界の、自分を自分といえない自分です。

それが、「私」です。

この回答への補足

私の能力では、全てを理解することができないのですが。もう少し、くわしく教えて下さい。お願いします。

補足日時:2001/05/23 03:52
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 希望が無いと人はその存在理由がなくなり、死んでしまいます。

引きこもりの子供は社会的に望ましい希望を拒否しますが、実生活ではゲームなりをして「このステージをクリアする」というような小さな希望を持ってるからこそ生きていけるのです。ぼーっと何も考えずにしてる時も実生活の中の希望から疲れて遠のいている状態に過ぎません。「自分が何者であるか?を問う事」に小さいながらも希望を見いだして出している状態だと思いますが、果たしてこの問いが実生活に有益に機能するかは疑問があります。
 「自分を問うこと」は多くが「自分を否定すること」を導いてしまします。過去の自分を否定すること、あるいは自分の未来へ自分の姿を想像し可能性を否定することになってしまうと思います。未来は無限に想像し存在することができるので、自分の未来の姿は際限なく現れてきます。とどまることなく否定することとなり、その思考の循環から抜け出すことは難しいと思います。
 現在の希望(自分を問うことという希望)をべつの希望にすり替えてやることをお勧めします。まずは希望を探し求めてみるのがいいかと思います。そしてその希望を持ち続ける、あるいは小さな希望を順にステップアップさせてやることで住み甲斐のある世界が構築できると思います。

この回答への補足

夢を持って走っているとき、否定的な感情はありませんでした。ふと、自分について考えはじめてから否定的になりました。確かに、そのとおりです。そのてめに、自分よがりで殻に閉じこもっていたのだと思います。希望の形を変化させます。力が湧いてきました。ありがとう。

補足日時:2001/05/23 03:55
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その、自己啓発書は、ryoumimanに合わないのでは、


哲学を人生を通しての哲学にしてみたらどうですか?
生きている哲学に・・・・・
あなたは、あなたです、
ある情報に惑わされているのでは・・・
ryoumimanさんに必要な情報と必要な時間を・・・
全ての自身を受け容れてみて、そして、改めて考え直す。
何かが掴めるはず。

イメージに惑わされているのであれば、一度流して忘れてください。
そして、クリーンな状態になってから、素直な気持ちで何を必要としているかを考えてみてはどうでしょう?

お役に立てれば幸いです。

この回答への補足

今の状態を一度、無に還すということでしょうか?

補足日時:2001/05/23 04:02
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あなたは、あなた。


イメージしているのもあなただし、
“やっぱり、なれない”と思っているのもあなたで、
そう思っている間はなれません?!
その結果は考えていた通りになっていくもの。

答えを選択したら、それが正解。間違ってないですよ~。
この世に無意味なんてないんだそうです。
この先を見越して言わせていただくと
誰かが,或いは何かがあなたを必要としている大事な人なんです。
漠然としていますけど、誰も自分が何者かは分かっていない。
悩まないで心配しないで、
どうせ1回だけの自分の人生なんだから
どう生きたって誰にも文句言う事できないんだし・・・。
(悪いことしちゃだめだけど)
いまだけのあなたを評価させていただくと
あなたのおっしゃる通り,
「どちらも選べない者、且つ、自分を真剣に考えている者・・・。」
失礼でしたら、ごめんなさい。
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この回答へのお礼

どうせ1回きりの人生なんだから、思いっきり楽しんだ方がいいよね。ありがとう。

お礼日時:2001/05/23 04:36

あなたと同様に私も悩んでいました。

いや、多分いまもまだ悩んでいます。悩んでいるときに自分の気持ちを書きとめた文章をそのまま載せます。長文ですいません。

 社会に出ると一体何をすれば良いのか判らなくなる。何をしても良い。どんな生き方を選んでも良い。はじめてその自由を実感したときは、気が遠くなるほどだった。2年足らずで最初の会社を辞め、ふと次に何をしようかと考えたときに、恐ろしいほどの自由に囲まれていることに気付いた。昔はあれほど束縛されることを嫌っていたのに、何ものにも束縛されないと言うことは恐ろしいことだ。

 道標はどこにもない。道標どころか道もない。何一つ判らない。誰の期待に応える必要もなく、自分がやりたい様にやれば良い。一体、僕は何がしたいんだ。

 幸せとは一流企業に勤めることではなかった。少なくとも僕にとっては。幸せとは「束縛」だ。目標を定めることで、行くべき道が限られる。もちろん目標到達には様々な道があるが、何もないよりずいぶんマシだ。そうして、やっと僕は歩き始めることができる。

 束縛によってできた道を進むことのなんと心地良いことか。目標だけ見て進めば良い。目標が僕を束縛してくれれば、努力する楽しさも味わうことができる。自分に酔うことだってできるぞ。そうだ。幸せとはこの「道程」なんだ。プロセスなんだ。だから、目標なんて何でも良い。僕を束縛してくれさえすれば何でも良い。できれば、ずっと遠くにあるほうが良い。そうすれば、ずっとプロセスは続く。ずっと幸せでいられる。「夢は大きく」ってそういうことか。

 束縛して欲しい。その束縛に従うか、従わないかが選択できる。自由記述より選択問題の方が簡単だ。人生を決める試験で、問題も何もない真っ白な紙だけ渡されてもどうして良いか判らない。いや、待て。誰が採点するんだ?僕の人生を。採点するのは僕しかいない。自己採点だ。そうか。採点基準は自分の中にしかない。だったら何しても満点だ。やっぱり自己満足が全てだ。
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この回答へのお礼

束縛されているときは、辛いと感じても何者かを自分で決めなくても歩いていける。これから、束縛の中へ飛びこんでみようと思います。ありがとう。

お礼日時:2001/05/23 04:39

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