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次の文章は「機事ある者は必ず機心あり」という荘子(中国古代の思想家)の言葉をもとに書かれた文章の一部である。これを読んで後の設問に答えなさい。

孔子の弟子である子規が旅の途中で、汗にまみれながら畑を耕している老人に会った。老人は井戸から瓶に水を汲み、えっちらおっちら畑に運んでいる。労力ばかりかかって、いっこうに能率があがらない。子規は見かねて、
「水汲みなら、はねつるべという便利な機械がある。それを使えばわずかな労力で簡単に水を汲み出すことができますよ」と教えてやった。すると老人は、「それくらい知っているさ。だが、機械を持っていると、機会を使う仕事(機事)が増える。そうなると、機械に頼る気持ち(機心)が生まれて
ますますそれに頼ろうとするだろう。機会に頼るばかりになってしまったら、一体どこに人間の精神が残るというのかね。私は道具を知らずに使わないのではない。そんなものを使うことで精神が汚れるのがいやなのさ。」と答えた。荘子に書かれた話であるが、もちろん実話ではない。真理というものは孔子が説く儒教に、ではなく、老子の道の教えにこそある、とする創作である。だから荘子の中で、孔子とその弟子たちは道をわきまえぬ未熟者、といった調子で書かれている。
それにしても機事ある者は必ず機心あり。とは、現代人に対する重大な警告ではなかろうか。チャップリンは映画モダンタイムスで全てが機械化されぬく現代文明を風刺したが荘子のこの物語が書かれたのは二千年以上前のことなのだ!
人間は大変非力な生き物だその力を補うため道具を生み出してきた。それにより文明や文化が創造されたのだ。人間の歴史は常に機械の発明、発達史とともにあった。いや、道具や機会の発達こそが人間史を織りなしてきたというべきであろう。
ではなぜ、人間は道具を発明してきたのか。何より自然から身を守るため、生活の糧を得るためだ。次に自分の肉体を使う日々の労働から解放されて楽をしたい、という欲求のゆえだった。どうして楽をしたいのか。もっと心豊かにしたい、と考えたからである。それには生きていくための労働を最小限にとどめ、それによって得た時間を人生の愉しみに当てるようにしなければならない。そこで、人間は必死になってより便利な道具や機械を発明してきたのだ。
ところがどうだろう。その結果皮肉なことに荘子が説いた機心がふくらんで、人間は機械に頼るばかりになり、そのあげく、生活はいっそう忙しくなっていった。そして、人間の精神はいよいよ貧しくなってしまったのである。

設問
本文で筆者は「機事ある者は、必ず機心あり」という言葉は「現代人に対する重大な警告」だと述べている。本文の内容を踏まえた上で、その言葉を現代社会の問題に関連づけて考察し心豊か生きるためにはどのようなことが必要か、あなたの考えを書きなさい。
ただし、次の言葉を2つ以上使うこと。
便利さ、ゆとり、情報、科学技術、消費社会、環境

私の論文
道具や機械の発達こそが人類史を織りなしてきたと、筆者がいうように私達人間の暮らしは機械に頼っている。私は人間が心豊かに生きるためには機械ばかりに頼ってはいけないと考える。
私は調べたいものがある時、ネットで検索する。これも機械に頼っていると言えるだろう。しかしこの時私はそのサイトに載っている情報しか得ることができない。ではネットを利用しない方法ではどうなるのか。例えば気になるニュースがあれば実際現地まで行く。すると近所の人から多くの情報かつ、正確な情報が聞ける。機会を使うよりこちらの方が機会に頼らず謎が解決できる。多くの意見を聞くことで心は豊かになるはずだ。
私達は機会の便利さに負け人間の精神を狭めて生きている。心豊かに生きるためには多少の苦労をしてでも機械にあまり頼らないことだ。多くの意見を聞くことで考えの幅を広げることができるからである。

A 回答 (2件)

#1です。

完成度を高めるためにいろいろ申し上げましたが、採点するとすれば文章構成はほぼ完璧に近いので、採点者の観点もいろいろ異なるところを考慮しても、100%中「80~95%」はあると思います。お世辞ではありません。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
もう回答はこないのではないかと思っていたのでとても嬉しいです。

分かりやすく、ためになる回答で
とても参考になりました。

挫折しそうになっていましたが、
回答者様の言葉でまた論文を書こうという気になりました。


本当にありがとうございました。

お礼日時:2013/02/04 22:58

1)道具や機械の発達こそが人類史を織りなしてきたと、筆者がいうように私達人間の暮らしは機械に頼っている。


2)私は人間が心豊かに生きるためには機械ばかりに頼ってはいけないと考える。
3)私は調べたいものがある時、ネットで検索する。これも機械に頼っていると言えるだろう。しかしこの時私はそのサイトに載っている情報しか得ることができない。
4)ではネットを利用しない方法ではどうなるのか。例えば気になるニュースがあれば実際現地まで行く。すると近所の人から多くの情報かつ、正確な情報が聞ける。機会を使うよりこちらの方が機会に頼らず謎が解決できる。多くの意見を聞くことで心は豊かになるはずだ。
5)私達は機会の便利さに負け人間の精神を狭めて生きている。心豊かに生きるためには多少の苦労をしてでも機械にあまり頼らないことだ。多くの意見を聞くことで考えの幅を広げることができるからである。

1)筆者の見解の真であることの是を確認
2)自身の見解(筆者と同一見解)
3)自身の見解に反する日常行動の例示とその行動の限界
4)上で述べた行動に反する行動の具体的可能性
5)まとめ1.2.3.4.の一般的表現

文章構造としては非常にうまくまとめられています。しかし内容としては「「機事ある者は、必ず機心あり」」の意味である老人の解釈「機械を持っていると、機会を使う仕事(機事)が増える。そうなると、機械に頼る気持ち(機心)が生まれて ますますそれに頼ろうとするだろう。機会に頼るばかりになってしまったら、一体どこに人間の精神が残るというのかね。」の繰り返しになっています。直接添削はしておりませんが、思考の練り方、深め方なら以下のようにアドバイスしたことになるかもしれません。

時間的に原始社会の方向へ戻れば、人間の苦痛を鎮めるため(便利さのため)に機械を作った事は事実です。時代が進むにつれ、貨幣制度の利潤を得るために機械つまり製品(商品)を作ってきました。つまり便利さのための消費ではなく、消費のための消費という社会へと進行してきました。さらに現代はお金という記号まで製品(商品)にしてしまい、お金を売ることでお金を売る金融経済がグローバル化しています。つまり過去の便利さ追求のための機械(商品)ではなく、利潤を生み出すための機械(商品)になっているのも事実です。これが経済的観点からみた解釈の一つです。

老荘思想は、インドの仏教思想と融合して中国禅仏教というものを生み出しています。現前にあるものを直接体験することの中に経済という概念はほとんど入りません。つまり非常に哲学的観点からの解釈になります。本題の老人の解釈はまさにこれです。人間の生きる道はこの後者の生き方が原点になるはずですが、いつのまにか上記経済的観点つまり、人間が公理として受け入れざるを得ない貨幣制度から生まれる利潤というものの解釈を、本来あるべく老人の解釈に少し入っていれば完全に近くなったかなという個人的見解です。

文章の書き方は私なんかより非常に上手です。難しいですが短時間に自分の考え得る限りのより深い思考をどの程度含むことができるかという問題になると思います。

次の中の2語を使うという出題者の意図はどこにあるか分かりませんが、私が勝手に解釈して論点です。いろいろな発想はいろいろな人から出てくると思います。
「便利さ」=本来の人間の求めてきた道、しかし老荘思想ではこれも不可と言っているわけですが。
「ゆとり」=便利さがゆとりを生むが直接体験は少なくなるという哲学的観点。消費のための消費になり本来の意味のゆとりからはかけ離れてしまったという経済の哲学的解釈。
「情報」=「こと」的世界が「もの」的世界への直接体験を失わせている。
「科学技術」=「科学」の発展の方向性はどこにあるのか?人間という存在の本来性から遊離してきたのか?科学のための科学?
「消費社会」=便利さのための消費という観点から消費のための消費という観点への移行?
「環境」=人間のための環境であるはずが、消費、利潤のための環境へと遊離してきた?

何学部の問題でしょうか?
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