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「おいしい」と「まずい」しか言葉がなければ「味」の世界は、その2種類に限定され、
「甘い」「しょっぱい」「辛い」「苦い」などといったことばを持てば、その数だけ「味」の世界は広がる、という事を聞きました。
この事について他にも具体例を教えてください

A 回答 (5件)

 言語の語彙は全てそうですよ。

ただし語彙が少なくとも、はなはだしきは言葉を持たずとも、自分の中ではイメージはきちんとあります。表現できる言葉を持たずとも、五感は誰にでも平等にあります。

 語彙が多いというのは、イメージを正確に他人と共有できるということです。日本の古い言葉では、たとえば「いとをかし」だけで、ほとんどを済ませていたこともあります。しかし、それだけではどう良いのかを伝えにくく、「いとをかし」を分類していく必要に迫られ、多様な褒め言葉が増えて行きました。

 しかし、あまりに語彙が多いと、習熟するのに手間暇がかかります。また、ある程度習熟しても、語彙が多いほど、各々の単語に対する個人間のイメージのずれから、かえって不正確に伝わることもあります。他の文化との交流で障壁になることもあります。

 単語は、一種の記号なんですね。各々の単語は、何らかの概念を表しています。「猫」という言葉には、生物としてのネコの情報は含まれていません。しかし、「猫」と書いてあれば、それだけで動物のどの種かは分かります。「動物」という言葉しかなかったら、延々と説明しなければ、ネコを言えません。

 このことは、自分の思考内でも役に立ってきます。これはイヌで、あれはネコといったことは、他人が「犬」や「猫」と表現していることから学んで、自分の中で分類ができてきます。その分類は、「犬」「猫」と表現している他人も持っているものです。そういう共有された分類などが、言葉を覚えることによって、自分の中にも生まれてきます。

 言葉にはそういう、内外での思考の共有という機能もあります。それを、知恵の一部と呼んでもいいでしょうね。
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>ことばが世界をつくる



このままでは誤解される可能性が大きい言い方です。

世界は言葉が現れるまでに完成していました。

また、世界はおおむね実質があり意味があり、アナログ(連続)的ですが、言葉は基本的に無意味であり、呪祖的観念的でデジタル(個別、ぶつぎれ)的です。

言葉と世界は基本的にまったく次元の異なったものです。

ですから、首記をこなしていえば、

人間の作ったことばという声音が、世界を見てそれをかれらなりに理解しようとしている人間の(きわめてローカルで不完全な)観念世界を、身勝手な、恣意的なやりかたで再構築するためのひとつのツールとなっているということでしょう。

それはそれでかなり成功していますから大したことだとは思います。このことが「神が世界を作った」といわれることの正体なのでしょうね。ずいぶん誇張して、誤解しているようですが。

>この事について他にも具体例を教えてください

他の人たちがたくさん答えておられますので、遠慮します。
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虹の色は何色?ってのがありましたね。


日本では一般に7色ですけど、所によって色数が違う。多い所では8色、少ないところでは2色。
確か沖縄でも2色で扱われていたころがあったはずです。
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中国では辛いっていうのを


唐辛子の辛さは「辛」
山椒の辛さを「麻」っていいます。

エスキモーだかイヌイットは
雪を表す言葉が多数ありますし

アフリカかどこかの部族では
茶色い牛を表す単語と
黒い牛を表す単語はありますが
「牛」って単語はありません。
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    下記などに例や、紹介が出ています。


    http://www.ipc.hokusei.ac.jp/~z00105/_kamoku/kis …
    http://d.hatena.ne.jp/keyword/%A5%B5%A5%D4%A5%A2 …
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